第五十楽曲 第二節
武村の動きは迅速であった。会社はすぐに納得し、ドラッグ撲滅フェスの開催を決めた。但し、ダイヤモンドハーレムの主催ではなく、ジャパニカングループの主催だ。それでもダイヤモンドハーレムの出演は真っ先に約束された。
これも役員である吉成の鶴の一声があってのことだ。自身が作曲家としての大和の才能を埋もれさせまいと、ジャパニカンの仕事に引き込んだ。しかし事件から2年半経ってその大和の元メンバーが起こした凄惨な事故。しかも被害者は元バンドマン。
ジャパニカングループには直接は関係ないとは言え、業界で起きたこの事故には眉を顰める役員が多数いた。それこそ役員会では、今後も大和がダイヤモンドハーレムのプロデュースを続けることに難色を示されたほどだ。
しかし吉成はダイヤモンドハーレムがドラッグ撲滅フェスの発起人となることで、その彼女たちを育てている大和を認めてほしいという思いが強くあった。
「専務も最初にダイヤモンドハーレムをスカウト会議にかけた時はブツクサ言ってたのに、よくここまで認めてくれるようになったもんだ」
これは武村を前にした時の泉の言葉である。社員は役員会の詳細を聞かされていない。武村は泉に答えた。
「菱神さんの功績ですよ。彼が育てたからこそ、ダイヤモンドハーレムの楽曲はタイアップのチャンスを得て世に認められた。そしてビリビリロックフェスでは成功を収めた」
それに対して泉は実に嬉しそうに笑った。ただ泉にとっても現役当時に交流のあったスターベイツのメンバーが被害者になった事故である。人との話の中では笑顔を見せることがあっても、気持ち自体は沈んでいるしタローの回復を願って止まない。
そして武村だ。会社の後押しを受けてからも彼女は迅速に動いた。まずは箱。これにはなんと、都内の2千5百人規模のライブハウスを押さえた。
しかも開催日は10月2週目の日曜日だ。直近で日曜日のこの日を貸し切りで押さえられたことは評価できるものの、準備期間は極端に少ない。武村はそれに頭を悩ませていた。どこのイベント会社も賛同はしてくれるが、スケジュールの調整ができないと断るのだ。
そんな武村のもとに1本の電話が入った。武村はオフィスの自席でその電話を受ける。
『お世話になっております。久保です』
「これはどうも。ご無沙汰しております」
電話の相手はステージプロデューサーの久保であった。ビリビリロックフェスの宴会で名刺交換をしたのはまだ記憶に新しい。
『菱神さんから電話をもらいましてね』
「菱神さんからですか?」
大和が久保に電話をして、更にここまで流れてきた事実に一瞬首を傾げた。しかし武村にすぐに1本の線が繋がった。そして一気に期待感が湧く。それとともに久保が核心を言った。
「ダイヤモンドハーレムが発起人になって、御社がドラッグ撲滅フェスをやるからもし良かったら手伝ってもらえないかって」
「はい! そうなんです!」
武村は声を弾ませた。ステージをプロデュースできる者がまだいたことに武村は高揚する。
「それでもし、ステージ企画の会社が決まっていなければ、ぜひうちを使ってもらえないかと思いまして」
「願ってもないお話です!」
「良かった。報酬は実費だけで結構です」
「え! よろしいのですか?」
「はい。チャリティーライブですから」
つまり久保が請求する額は実際にかかった経費だけである。それは久保の会社に金銭的利益をもたらさない。
「恐れ入ります。久保さんのお仕事は常々耳にしており、その手腕も疑い様がありません。本来ならこちらからお電話するところを、本当にありがとうございます」
「恐縮です。こちちらこそよろしくお願いします」
イベント会社の件は解決した。次は出演者だ。武村はダイヤモンドハーレムの他に、ジャパニカン芸能に所属するバンドを中心にオファーを出した。その中にはメガパンクもいた。しかしフェスと言えるだけのバンド数はまだ集まっていない。
もちろんダイヤモンドハーレムも動いている。とは言え、9月に入ってやっと公式的な芸能活動を始めたばかりのバンドだ。集客力のあるバンドは同じ事務所に所属するメガパンクくらいしか交流がない。200~300人規模のライブハウスで一緒に対バンライブをやったバンドでは条件に見合わない。実のところ手詰まりであった。
しかし他にもこのフェスのために陰ながら動いている者はいた。大和、響輝、泰雅、杏里だ。クラウディソニック現役当時、交流のあったバンドの中には既に有名になったバンドもいる。彼らに片っ端から声をかけていた。前向きな返事をくれるバンドがいればそれを武村に報告し、武村から久保に引き継いで、久保から正式オファーが出された。
「とりあえず、フェスの形になるだけの組数は集まったな」
9月中旬。実家暮らしの響輝は自室で安堵の言葉を述べる。話し相手は杏里だ。2人ともタローの回復を願う気持ちが強く、フェスに積極的だ。しかし加害の当事者バンドとして表立った動きができないのはもどかしい。
「うん。けど、成功するか正直不安」
「そうか……」
「確かに国内では名を売ったバンドがたくさん出るけど、ビッグアーティストとまでは言えない」
「確かにな」
杏里の不安はそこにあった。いくらメジャーデビューをしたとは言え、フェスの成功を掴めるだけのビッグネームと言えるかは疑問が残る。メガパンク然り、クラウディソニックが交流を持っていたバンドも然りだ。皆メジャーバンドの端くれである。
これは武村も同様の認識を持っている。ジャパニカン芸能所属のバンドの中にはビッグネームもいるのだが、如何せん準備期間が短い。彼らのスケジュールを確保するには至らなかった。
響輝は徐にスマートフォンを操作する。すると響輝が指を這わせながら杏里に問うのだ。
「あのさ、『日本の元バンドマンです。ダイヤモンドハーレムが発起人になってドラッグ撲滅フェスをやるのですが、現在出演者を募ってます』って英訳できるか?」
「無理。簡単な英語ならニュアンスでなんとなく聞き取れても、話せないし書けない」
「だよな……」
「翻訳サイト使いなよ?」
「そうだな。ちょっと頼りないけど、そうするか」
「て言うか、誰にそんな文を送るのよ?」
「ん? ダメ元で……」
それから2日後のことであった。
「武村さん!」
ジャパニカンのオフィスで血相を変えて武村のもとに駆け寄って来たのは、一般職の女性社員だ。あまりの勢いに武村は返事をすることもできず、ポカンと顔を上げただけだった。
「今、インフォに届いたメールを転送しました! 見てください!」
「あ、はい……」
何をこんなに焦っているのだろうと疑問に思いつつ、武村はマウスを操作した。
「英文でしたが、日本語訳は私の方で追記してあります」
確かに彼女が英語を話せることは知っているので、社内では重宝された人材だと認識している。とは言え、そんなことを言われても未だに解せないが、とにかく武村は言われたメールを発見したのでクリックした。
そして開いたメール。その文面に目を這わせるに連れて、武村の眼鏡の奥の瞳はみるみる開いた。
「え!」
素面の時はそれほど騒がしくない武村だが、彼女にしては珍しく動揺した声も上がる。
『日本の元バンドマンからツイッターにリプライがありました。それで御社のアーティストであるダイヤモンドハーレムが発起人になって、ドラッグ撲滅フェスを企画していることを知りました。もし良かったら当プロダクション所属のレッドオフデイも出演させて頂けませんでしょうか? レッドオフデイはダイヤモンドハーレムのファンです』
口をあんぐりと開けて固まってしまった武村。文末にはその海外の世界的ビッグアーティストが所属するプロダクションの連絡先などが詳細に書かれていた。そう、メールの送信者はレッドオフデイのマネージャーからであった。
「2通くらい返信はしてみましたが、間違いなくレッドオフデイが所属するプロダクションのメールアカウントからで、ちゃんと返信も来ました」
「……」
武村は言葉も出ない。とりあえず数分後、このメールは久保に転送された。無論、久保も口をあんぐりと開けて固まった。
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