第四十八楽曲 第二節

 後頭部で髪を束ねた幼気な少女は、真っ直ぐ詠二を見ながら彼の席に近づいて来る。目はキリッとしていて、床を踏み鳴らすような歩調だ。表情を歪めた詠二は、彼女の機嫌が悪いことを一発で悟った。


「みさか……」

「誰よ、この女?」


 詠二がいるボックステーブルの脇まで来ると、少女は美和に向けてピンと人差し指を向けた。詠二の隣に座っている美和はいきなりの不躾な態度に眉を顰める。


「姉ちゃんだよ」

「……」

「……」

「はっ! お姉さまでしたか! これはとんだ失礼な態度を!」


 突然態度を改めて深く腰を折る少女。薄手のワンピースから発育途上の肢体が垣間見える。美和は賑やかな少女を前に引き気味だ。その少女は上体を起こすと今度はキリッと杏里に向き直る。そしてまたもピンと人差し指を向けるのだ。


「こっちのおばさんは誰よ?」

「おば、おば、おば……」

「ちょっと!」


 初めて言われたその代名詞に、表情を無くした杏里の口がパクパク動く。よほどショックだったのだろう。しかしすかさず口を挟んだのは美和だ。詠二は頭を抱えており、大和はこの状況に目をパチパチさせている。


「大学生に向かってそれは失礼じゃない?」

「う……、大人の魅力を兼ね備えたボインで色気のあるJD……」


 美和に咎められた少女は敗北を認めるかのように肩を落とす。どうやら誉め言葉があったようだと、徐々に杏里が落ち着いてきた。すると一度深いため息を吐いてから口を挟んだのは詠二だ。


「まず、こっちの男の人が姉ちゃんのバンドのプロデューサー。隣の女の人がその従妹でバンドのマネージャー」

「はっ! お姉さまのマネさんでしたか! これはとんだ失礼な態度を!」


 またも深く腰を折る少女。大和は相変わらず圧倒されているが、杏里も美和も面倒くさそうな少女だと思い始めている。すると少女ははっとなった。


「え!? マネさん!?」

「そうだよ」


 呆れたように詠二が答える。美和と杏里は目立つからできれば声量を落としてくれないかと内心嘆息する。


「ダイヤモンドハーレムって芸能人になったんですか?」


 そんな疑問を口にする少女に、詠二以外の3人はダイヤモンドハーレムの認識があったのかと驚いた。しかし認識があるのなら美和を見た瞬間、気づけるだろうにとも思う。室内の今はキャップも取っているし。その美和が見かねて説明をする。


「今までだって自主活動とは言え、十分芸能人だよ。今後は芸能事務所の所属も決まったの」

「なんと! おめでとうございます」


 今度は笑顔で祝辞を述べた少女は態度の変化が忙しい。するとすぐさま鋭い視線で詠二に向き直る。


「言ってくれてもいいじゃん!」

「別に聞かれてねぇもん」


 詠二は素っ気なく答えるが、少なくとも詠二と親しい間柄ということは理解できた。そこで不信感を隠さない美和が物申す。


「そもそもあなたこそ誰よ? いきなり噛み付いてきて名前も名乗らないなんて、それこそ失礼じゃない?」

「はっ! 失礼しました! 私は竜口君のカ――」

「クラスメイトの御坂心寧みさか・ここね


 すかさず詠二は少女の言葉を遮るものの、その御坂は怯まない。はっきり言い直した。


「竜口君のカノジョです!」


 御坂は得意げな表情でドンと胸を張る。薄手のワンピースからその貧相な胸が「貧相」だと強調された。

 まさかの発言に言葉を失ったのは美和だ。弟にカノジョがいたなんて初耳だ。はっきり口にさせてしまって詠二はまたも頭を抱えるが、その様子から知られることを嫌っていたのだとわかる。

 キョトンとしているのは大和と杏里で、しかし2人はカノジョだからこそ女が同卓にいるこの席で、美和と杏里に噛み付いたのかと理解した。


「詠二? お付き合いしてる子なの?」


 美和が顔を伏せた詠二を覗き込むように問い掛ける。その様子は保護者そのもので、詠二は観念して弱く答えた。


「ま、まぁ。そうかな」


 しかしまだ高校生の美和だ。この事実にどういう言葉をかけたらいいのかもわからない。すると御坂が詠二に言った。


「竜口君! 今日はお墓参りって言って私とのデートを断ったよね?」

「そうだけど?」

「それがなんでこんなところにいるのよ? せっかく予備校が休みのお盆なのに。ラインも全然返してくれないし」

「はぁあ? 今墓参りに行った帰りなんだよ。ここに来るまではしっかり返事もしてただろ?」

「なんでここに来てからは返事をくれないのよ? それにお墓参りの帰りなのに、なんでファミレスに家族じゃない人までいるのよ? 本当は私からの誘いを蹴って、遊んでたんじゃないの?」


 捲し立てる御坂に一同ポカーンである。容姿は悪くないように思う。クラスメイトだと言うから中学生なのは間違いないが、整った顔立ちで美少女と言える。

 しかしだ。しかしなぜここまで束縛する? 若年故に気遣いがまだできないのだろうか? 美和は嫉妬深い印象を抱いた御坂を前に我が弟を心配した。ただそれでも、スマートフォンに比べて機能性が低いガラケーながら、詠二が忙しそうにしていたのは御坂とのラインが原因だったのかと納得もした。


「そんなことねぇって。急に決まった予定なんだよ。て言うか、お前はここで何をしてんだよ?」


 追及を躱すように詠二は逆質問を返した。鼻息を荒くしている御坂は腕を組んで答える。


「竜口君が遊んでくれないから、従姉のお姉ちゃんとご飯に来たんだよ」


 大和と杏里と同じ関係性である。詠二を咎めておいて滅茶苦茶な言い分だ。確かに誘いを断られた側ではあるが、一同唖然とする。


「えっと、御坂さん?」

「はい!」


 たまりかねて美和が口を挟むと、御坂は背筋を伸ばした。どうやらカレシの姉に対しては肩に力が入るようだ。美和は美和で名前を口にして初めて、苗字で呼び合うカップルに初々しさを感じた。しかし一言言っておく。


「あなたたちの交際に関しては健全なお付き合いなら私は口を出すつもりはない。けど、今日の詠二は間違いなく家庭の用事だった。プロデューサーさんとマネージャーさんと会ったのは偶然なの。それで急遽ご飯に来ることになった。だから詠二には悪気もないし、落ち度もないよ?」


 咎められて「うぅ……」と顔を顰める御坂。正論を言われて返す言葉もない。それにカレシの姉だから気に入られたい。


「ごめんなさい……」


 御坂から謝罪の言葉が出た。それを耳にして美和は、御坂が現れてから初めて笑みを浮かべる。


「今からなら詠二を解放してあげるけど、どうする?」

「ちょ、姉ちゃん!」

「いいんですか!?」


 対照的な中学生カップルの反応である。まだ億劫な態度を変えない詠二に美和は首を傾げた。もしかしてマズかったかな? そんなことも頭を過るが、時すでに遅し。御坂は詠二の腕を引っ張ると、強引に彼を立たせた。


「行こう? 竜口君」

「え? いや、ちょ……。俺、車で送って来てもらったし」

「ここからなら十分家まで歩けるでしょ?」


 歩けない距離ではない。しかしかなり遠い。


「いやいや、無茶言うな」

「私のお姉ちゃんも車だから送ってってお願いするよ。もう駐車場で待ってるし」

「は? お前、もう飯済んでたのかよ?」

「そうだよ。お会計の時にレジから竜口君が見えたから」


 そんな会話を繰り広げながら詠二は連行された。その中学生カップルの背中を見送って大和がポツリと言う。


「いいのかな? 僕が送って行くって美和のお母さんと約束したのに」

「あはは。ちゃんとお母さんには私から言っておきます」

「て言うか、あれ大丈夫?」


 今度は杏里がポツリと言った。美和は大和に答えた時の苦笑いのままだ。


「やっぱりマズかったですかね?」

「どこ行くんだろ? 話の流れだとカノジョの家?」

「う……、さすがにそれはマズいか……」


 ここで漸く気づいて苦虫を嚙み潰したような顔をする美和。しかし指摘をしたばかりの杏里がフォローする。


「まぁ、親戚もいるならよほど変なことにはならないよ」

「ほっ」


 これに美和は安堵したようだ。男子の保護者とは気苦労が絶えないようである。それこそよそ様の大事な娘に対しては気を使うのだ。

 この後、残った3人も席を立ち、やがて会計を済ませた。


「大和さん、お金……」


 建物を出ると美和が眉尻を垂らす。しかし大和は涼し気な表情で言う。


「いいから、いいから」

「でも……。お母さんからちゃんともらってますし。さすがに私と詠二の分は」

「気にしないで甘えときな? 大和かなり稼いでるし、美和はカノジョなんだから」


 杏里にまでそんなことを言われて美和は財布を仕舞った。

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