第四十八楽曲 第一節
ファミリーレストランの6人掛けのボックス席に着くのは大和、杏里、美和、詠二だ。対面式のソファー席で美和と詠二の姉弟が大和と杏里の従兄妹と対面する。テーブルには食事が5人前並べられていた。
「さすがは育ち盛り。詠二君、よく食べるね」
「うっす」
大和の言葉に黙々と箸を進めながら短く返事をしたのは詠二だ。実際の人数より一人前多い食事の原因は、この中学3年生にある。美和にとって弟の食事量は既に知るところだが、大和と杏里を前に苦笑いである。しかし大和と杏里は詠二を微笑ましく見ており、その大和が質問を重ねる。
「正樹君とも仲が良くて、彼の影響で野球をしてるんだっけ?」
「そうっす。と言っても、この夏引退しました」
「そっか。中3か」
「姉ちゃんに聞いたんですか?」
「うん」
「正樹君のことも?」
「そうだよ」
「ふーん」
口の中をもごもごさせながら答える詠二であるが、言葉はなんとか聞き取れる。体育会系だからだろうか、同性の大和だからだろうか、質問にはハキハキ答えている。とりあえずと言った感じではあるが、社交的な態度の弟に美和は安堵する。
「高校でも野球続けるの?」
これは杏里からの質問である。初対面となるメンバーの弟に大和と杏里は興味を示しているのだ。また、年上ばかりを前に詠二が気負わないように気遣ってもいる。相変わらず詠二は食事の手を止めずに答えた。
「はい。推薦の話が来てます」
「え!? スポーツ推薦?」
「そうっす」
これには杏里のみならず、大和も驚きを見せた。一方、杏里に対しても最低限の受け答えができている詠二に、美和はまたも安堵する。母子家庭になってから何かと生活の面倒を見てきた弟なので、美和の保護者意識は高い。
「凄いじゃん! どこの高校?」
「中央電気高校っす」
「すご……」
件の高校は県内の高校野球の名門私立で、野球部員は全寮制だ。杏里も大和も目が丸くなった。
家庭内でこの推薦のことが話題に上がった時は、美和も姉弟の母も喜んだものだ。第一報はまだジャパニカン芸能所属の話もない頃で、美和は大学進学に関して迷いもあった。それが詠二の入学金と学費免除の話である。
来春からかかるのは、美和の大学費用と詠二の学用品や野球の費用だけである。もちろんそれもそれなりの金額になるが、母からは見通しが立ったと聞いているし、美和は学費こそ甘えても大学の学用品や生活費などは自分で賄うつもりだ。
やがて食事を終えた席は皿が片付けられ、フリードリンクのグラスだけが並んでいた。1人前の3人に対して、2人前を平らげた詠二も同じタイミングで食事を終えたので、大和と杏里は感嘆する。
スポーツをしていただけあって中学生にしては体格がいいように思う。それでも詠二は肥満体質ではない。この体のどこに収まるのかと、大和も杏里もあっぱれだ。
「そう言えば……」
すると詠二が思い出したように大和に目を向ける。一度グラスの中のコーラをストローで吸ってから彼は言葉を繋いだ。
「正樹君ってカノジョいるじゃないですか?」
「うん、そうだね」
思わぬ話題で、大和はキョトンとしながらも肯定した。
「どんな人っすか? もう付き合って長いっすよね?」
「へ?」
それは本人に聞いていないのかと意外に思い、大和は間抜けな声を出す。むしろ美和にこそ聞けばいいものをなぜ自分に聞くのかと解せない。
「どんな人……?」
大和は声を絞り出しながら美和と杏里に視線を這わす。詠二はグラスか大和にしか目を向けない。つまりこの質問は完全に大和に向いている。そこで察したのは杏里で、彼女は美和に言った。
「美和、ちょっと用事。ついて来て?」
「え、あ、はい」
「え? どこ行くの?」
慌てたのは大和だ。しかし立ち上がった杏里はギロッと大和を睨む。
「女子にそういうこと聞かないの」
「あ、はい……」
しょぼんと肩を落とす大和。つまりお花を摘みに行くのだとわかった。加えてグラスも持ったので、ドリンクのお代わりかと理解した。更に席を離れる時に杏里が言うのだ。
「時間かけるつもりだから、ゆっくり待っててね」
意味不明で大和が返す言葉を探していると、杏里は美和を連れてそそくさと離れて行った。仕方がないので大和は詠二に目を戻す。
「で、どんな人っすか?」
「うーん。僕よりお姉さんの方が詳しいと思うよ? 去年はクラスも同じだったみたいだし」
「姉ちゃんとこういう話はしにくいっす」
ここでやっと「あぁ、なるほど」と思った大和。それを察した杏里が美和を連れ出したわけだ。とは言え、切り出したのは美和がいる時だったから詠二も頑張ったのだろう。
「大和さんは正樹君のカノジョとは会ったことないっすか?」
「あるよ。普通にいい子だよ」
「そっか、そうなんすね」
するとストローを咥えてコーラを吸う詠二。表情から何を思うのかはあまり読み取れない。それなので大和はストレートに聞いてみた。
「なんで気になるの?」
「えっと……」
すると詠二は言いづらそうな様子を見せた。大和は急かさず詠二の言葉を待っていると、やがて詠二は答えた。
「正樹君っていつか姉ちゃんとくっつくのかなと思ってたから」
「……」
一気に脈が速くなった大和。正樹の色恋事情の話かと思いきや、姉の美和の方が本題だとわかった。とにかく居た堪れない。
「それか若しくは、俺が知らないだけでもうくっついてたのかなって」
もちろん正樹にカノジョができた今となっては、それが違うとはわかっている。ただ大和は正樹が当初惚れていた美和を、今や自分が囲っているからばつが悪い。どうにかこの話を流したいが、早く締めても不自然だ。苦笑いしか出ない。
「詠二君はお姉さんと正樹君がくっついてほしかったの?」
「うーん。よくわかんねっす」
詠二がまたグラスに手を伸ばしたので、大和も手元のウーロン茶のグラスに手を伸ばした。涼しい室内で且つ食後なので、喉が渇いていたなんてことはないはずなのに、しっかり潤う感じがした。つまり緊張だ。
「恥ずかしいから本人には言わないんですけど、姉ちゃんって自分の時間を犠牲にして今まで俺の面倒を見てくれたんです。俺より早起きして朝練に間に合うように朝飯作ってくれたり」
早起きの事情まで聞いたことがあるわけではなかったが、家事をしていることは知っている大和なので、そんな美和の献身的な姿は窺い知れていた。
「だからこんなんでも一応感謝してるんです。って姉ちゃんには言わないでくださいね」
「あはは。せっかくだからお姉さんに教えてあげたいけど、言わないでおく」
やはり大和は苦笑いしか出てこない。それを隠すように意地悪な言葉も含んでみたわけだ。
「お願いします。――で、そうやって音楽以外の自分の時間を犠牲にしてきた姉ちゃんだから、本人がちゃんと納得できる人で、姉ちゃんをしっかり支えてくれる人とくっついてくれたらなって思います」
これには口を噤んでしまった大和。詠二の美和に対する思いはすぐに理解したわけだから、それこそ所謂ゲス交際をしている自分を責めた。交際を考え直そうかと、そんなことまで頭を過った。
しかし今ではメンバーがどれだけ自分を慕っているのかをわかっている。交際することになってからは男として慕われていることも理解しているつもりだ。だから美和のことを思うと、今更交際を解消するなんてとても言えない。もちろん大和が美和を含むメンバーを想う気持ちも本物だ。
「姉ちゃんって、正樹君以外一切男の影が見えないからそういうのどうなんだろうって思って。音楽関係ではそれなりに交流があるんですかね?」
「あはは。そうだね。それなりにね」
どうしても苦笑いしか出てこない。間違いではないが、その音楽関係者の自分が囲っている。なんとも回答に困窮する大和だ。
「お待たせー」
すると杏里が美和を連れて戻って来た。女子2人が手に持っていたグラスをテーブルに置くと、美和が大和と詠二を交互に見た。この2人で何の話をしていたのだろう?
するとその時だった。
「竜口君!」
甲高い女声がファミリーレストランに響いた。この場の誰もが寄って来たその幼気な少女を向く。
「げ……」
途端に詠二だけは表情を歪めた。
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