第四十四楽曲 第三節
2年半前、東京まで出向いて頭を下げた苦い記憶が響輝の頭に蘇る。
「小林さん。ご無沙汰してます」
「もしかしてお連れさんはYAMATO君が面倒を見てるガールズバンドのメンバー?」
「えぇ、まぁ……」
少しばかり響輝の様子が腑に落ちない美和と希だが、小林と呼ばれたその男にペコリと頭を下げた。
小林は30代中盤くらいで眼鏡をかけており私服姿だ。この暑い季節なので軽装ではあるが、地味なポロシャツなのでどこか観衆とは違いを感じる。どちらかと言うと、スタッフや設営関係者という印象を美和も希も抱いた。
「へー、まだ音楽活動やってるんだ」
これは大和に対する言葉だと理解した響輝。そして美和と希にはどこか嫌味に聞こえた。その懸念は小林が口を開くほどに増す。小林は皮肉を込めたような笑みを浮かべている。
「ダイヤモンドハーレムだっけ? まだインディーズなのに最近凄い勢いだよね? まったく大和君はどの面下げてアーティスト活動をしてるんだか、呆れちゃうよ」
「むっ」
この言葉に反応したのは希だ。しかしすかさず美和が希の手を握る。美和は確信まで至らないものの、この小林という男の正体を察し始めていた。響輝は愛想笑いを浮かべるばかりで何も答えられない。
「それどころかREO君なんてステージにまで上がってるし」
「え? 怜音ですか?」
まさかの名前が出てきて、響輝は表情を無くして疑問を口にした。彼のそんな様子を見て小林が言う。
「知らないの? セカンドステージで今まで
響輝の胸がざわついた。なんで、怜音が……? しかしそんな響輝に構わず小林は続けた。
「明後日は僕が担当しているバンドも出るんだよ。セカンドで11時半から」
サードステージでダイヤモンドハーレムが上がる時間と同じである。これは意図的なのか? そう思っているとそれを確信に変える人物が加わった。
「あ! 小林さん! ここにいたんですか!」
「門倉さん。すいません、いきなり動いちゃって」
現れた男は音楽情報誌ロックロックの編集者、門倉だ。またも苦い感情が響輝を包む。居た堪れなくなって響輝は早くこの場から解放されたいと願った。その門倉は敵意を剥き出しにした視線を響輝にぶつける。
「ロックロックの門倉さんの口利きでその時間に入れてもらったんだ」
小林からのその情報を聞いて響輝の中のざわつきは増した。明らかに意図的にダイヤモンドハーレにぶつけたタイムテーブルだ。
「小林さん?」
「あぁ、はい。そろそろ行かなきゃ。それじゃぁ」
門倉に促されて小林は一方的に話を締めるとこの場を去って行った。門倉は泉に弱味を握られているから逃げ腰だ。できるだけ元クラウディソニックやダイヤモンドハーレには関わりたくないと思っている。
小林と門倉の背中を複雑そうな表情で見送る響輝。そんな彼に美和が問い掛けた。
「門倉さんと一緒にいた今の人って……?」
「あぁ。クラソニが所属する予定だったABC芸能のマネージャー。俺らの担当マネージャーをやる予定だった人だ」
やっぱりそうかと解せた美和。会話の内容から予想していた。するとまだ視界にいる小林が歩を止めて振り返った。そして小走りで寄って来る。門倉は来ずに待つようだ。響輝は身構え、小林と対面した。
「大和君に言っといてもらえるかな?」
「なにをですか?」
「あんま調子乗ってると潰すよって」
「むっ」
ここでまたも反応したのは希だ。美和はすかさず希の手を握る。しかし今度ばかりは希は引かなかった。無理に振り払おうとはしないが、言葉で受けて立った。
「潰すって私たちのことですか?」
「ん? ダイヤモンドハーレの……」
「ドラムの希です」
「あぁ、そう。NOZOMIちゃんね。そう、君たちのことだよ」
相変わらず嫌味な笑みを引っ込めない小林である。そんな彼を睨みつけて希が言う。
「私たちは人に潰されるなんてことありません」
「ふーん。可哀そうに。芸能界もまだの君たちは業界をわかってないんだね」
「なんとでも言えばいい。私たちは折れないし、何ならこのフェスでそっちのバンドより観客を集めてやる――」
「希!」
響輝が制した。小林は目を丸くしている。
「小林さんには俺たちが迷惑をかけたんだ。お前らの活動を窮屈にしてるのは本当に申し訳ないけど、失礼な態度を取らないでくれ。頼む」
そう言われては鼻息が荒い希も引くしかない。そう、既に希も察している。
2年半前にクラウディソニックが起こした事件。それによりデビュー目前だったアーティストを失ったABC芸能。その損害は計り知れない。それこそこの先で様子を窺っている編集者の門倉より甚大だ。小林は元クラウディソニックの関係者を恨んでいる。
しかし希の言葉を聞いてしまった小林も引かない。響輝が止めに入るのは遅かったのだ。
「調子に乗るなよ、ガキが」
ゾッとするほどの冷たい言い方だった。怒らせてしまったと響輝は頭を抱える。
「女のくせに俺のバンドより観客を集めるだと? どの口で言ってんだ?」
「先ほどまでの言動は失礼しました」
素直に謝った希。しかし希が素直なはずはない。あろうことか言葉を返す。
「けど、女だからって言うのは違うんじゃないですか?」
「あん? インディーズデビューしたばかりのお前らがどれほどのモンだって言うんだ? 大方股でも開いてステージプロデューサーやドラマプロデューサーに媚びたか?」
自分たちのみならず、世話になった久保や梶原のことまでバカにされた。これには希ならず美和まで敵意を向けた。しかし過激な行動までとるつもりのない美和だから希の手を離さずしっかり握っている。
「聞き捨てならない」
「希!」
先ほどよりも強い口調で響輝が制する。しかし希はその鋭い視線を小林に向けたままだ。響輝は小林に向いて言う。
「教育が足りなくてすいません。俺は自分が謝るばかりの立場だからここで揉め事を起こそうとか思ってません。気分を害してすいませんでした。こいつらをすぐに引っ込めますのでご勘弁ください。大和には小林さんとお会いしたことはちゃんと伝えます。今日は失礼します」
そう言うと響輝は頭を下げ、希と美和を引っ張ってこの場を離れた。背中に大げさな舌打ちが投げつけられたが、響輝が振り返ることはなかった。
やがて響輝は希と美和を連れてショップエリアで腰を落ち着けた。美和が新しいドリンクを買って来て、4人掛けの円卓に置く。響輝は礼を言うと置かれたばかりのビールを煽った。
「ふぅ……」
「響輝さん、ごめんなさい」
すると希が座ったままペコリと頭を下げた。どうやらここまで歩く間に頭は冷えたようだ。確かによくよく考えればこちらが恨みを買う立場。喧嘩を売るのは筋が違うと思ったのだ。響輝は優しい笑みを浮かべて希に答えた。
「いいよ。全部俺たちが悪いんだ」
「そうは言っても……」
「まぁ、確かにさっきの態度は褒められたことじゃないな。お前らに影響を与えて本当に悪いが、もうこれからは挑発に乗らないでくれ」
「わかった。ごめんなさい……」
希が理解を示したようなので響輝はもうこれ以上小言を言うのは止めた。すると椅子を引いて座った美和が言う。
「でも、そこまで響輝さんばかりが謝ることはないんじゃ……」
「そうはいかねぇよ。俺は当時バンドのリーダーだったんだから」
「そうですか……。けど、まさか怜音さんがバンド活動に復帰してるなんて……」
「それは俺も驚いたな。セカンドステージなら大和は生で観た可能性が高いな」
この予測に肩を落とす響輝と美和。希は怜音の顔をはっきりとは知らないからそこまで感情移入できない。ダイヤモンドハーレムのメンバーで現役当時のクラウディソニックを知っているのは古都と美和だけである。
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