第四十三楽曲 第三節
周囲が騒がしくなっているダイヤモンドハーレムだが、ゴッドロックカフェのこの日の営業は平常通りであった。数名の常連客が来て、希を推している客が彼女を囲み、泰雅は他の客と酒を楽しむと言った感じだ。
しかし周囲は騒がしいので変化はある。こんな時だから念のためと思って酒を口にしていなかった大和はそれが報われる。尤も喜ばしいことではないが。
それは希が勝の車で帰宅してからであった。時刻は22時過ぎ。大和のスマートフォンが着信を知らせる。
『大和さん……』
相手は美和であった。どこか泣きそうな、それでいて疲れ切った声を発している。
「どうした?」
『バイト先から出られません……』
「は!?」
よくよく話を聞いてみると、アルバイト先にも追っかけが付いて来たそうだ。更に美和のアルバイト先はコンビニだから、店先の駐車場で屯しているのだとか。それで今、美和はコンビニの事務所にいる。店長など他のスタッフは店頭に出ているそうで、助けられないとのことだった。
「わかった。迎えに行く」
『すいません。ありがとうございます』
「どうしたの?」
電話を切ると杏里が気にして問い掛ける。大和は一度嘆息して事情を説明した。
「ということだから、美和を迎えに行って家まで送ってくる」
「わかった。店は任される」
大和はそそくさと準備をして店の外に駐車してあるハイエースに乗り込んだ。そして美和のアルバイト先まで行った。
「大和さん、ありがとうございます」
「ううん。気にしないで」
「お母さんを巻き込みたくなかったから助かります」
それに対してなるほどと納得する大和。あまり家や家族を知られるのも憚られるのだろう。それに関しては大和も賛成だ。
「美和の家はすぐ近くだからちょっと大回りして帰るね」
「助かります。て言うか、大和さんと夜のドライブになって嬉しいです」
そんなことを言われて照れる大和だが、着信でそのいい気分も即現実に戻される。相手は杏里だ。大和はコンビニの駐車場で、エンジンをかけただけの車内で電話に出た。
『唯が店に来た』
「は!? なんで?」
『バイト終わって帰ろうとしたら出待ちがいたんだって。それでさっき店に電話をかけてきて、泰雅が迎えに行ってくれたんだよ』
「マジか……。わかった。一旦そっちに向かう」
そう言って大和は電話を切った。そして美和を向く。
「唯がカフェに来たって」
「うわ……」
短い言葉で美和は悟ったようだ。大和は続ける。
「一回カフェに行って、唯を送ったら美和を送るよ」
「わかりました。それなら十分大回りになってかく乱できますね」
ということで、大和は車を走らせた。その間に美和は古都と連絡を取った。彼女は客前に出る仕事じゃないので、何事もなく無事帰宅できたとのことだ。美和と唯はずっと客前なので、そのまま追っかけが付いていたわけだ。
「それだと来週からの希も心配だね……」
「そうですよね……」
希はこの日アルバイトが休みだったので、ゴッドロックカフェで常連客との交流を図ったわけだが、その常連客の中には酒を飲まずに車で来る兄の勝がいたから救われる。
その希はと言うと、帰宅してから美和と唯の状況を知ったので今後のアルバイトの迎えを勝に頼んでいた。アルバイト先には可愛がってくれる大学生もいるが、女子大学生だった佐藤さんは既に辞めて社会人だし、男子大学生の鈴木君は車だが退勤時間が希と合わないと送迎を頼めない。結局頼めるのは家族の勝であった。
「のんはそういうことらしいです」
「良かった……」
美和が希と連絡を取り内容を話すと、大和は安堵のため息を漏らした。その頃にゴッドロックカフェに到着した。
「うぅ……、大和さん……」
完全に怯え切っている唯は大和の顔を見るなり声を震わせた。大和は唯の肩に手を添えて車に乗せた。
「大丈夫。ちゃんと送っていくから」
「ありがとうございます……」
こうしてハイエースは再びゴッドロックカフェを出る。大和は助手席に美和を、セカンドシートに唯を乗せて話しかけた。
「唯って自転車が駅にあるんだっけ?」
「はい」
「じゃぁ、寄って積んでから帰ろう」
「ありがとうございます……」
とても恐縮そうだ。それでも安心したのか唯の肩から力が抜けたようだと、大和はルームミラーで確認しながら思った。
「とりあえず、明日武村さんにも連絡して今後どうしたらいいかを相談するよ」
「お願いします」
助手席で美和が答えた。
それこそ予約完売を知った時は浮かれたものだ。それは大和もメンバーもそうだった。しかしその分知名度は飛躍的に上がったわけで、更にはアイドルにも劣らないメンバーの容姿だ。野次馬のみならず追っかけまでできてしまった。
マナー良くライブなどに来てくれるファンなら大歓迎だ。しかし完全に有名人と化してしまって、今の状況は手放しでは喜べない。しばらくは緊張した状況が続きそうだ。
「そう言えば、バイトを辞める話はしたの?」
「はい。今日話して、7月いっぱいってことにしました。けど夏休みはバンドの予定があってシフトを入れないから、実質夏休み前までです」
「私もです」
美和の回答に唯が続いた。
「古都とのんはもう店には言ったって言ってました」
「そっか、そっか」
大和はそれに納得するも、あと3週間この状況が続くのかと先が思いやられた。
「そう言えば!」
すると思い出したように美和が声を張る。大和は運転をしながら美和の話に耳を傾けた。
「話変わるんですけど、今日バイトに行く前に近くのATMで記帳しようとしたんです」
「そっか。それで?」
「エラーで銀行窓口に行ってくれってアナウンスが」
「えっと、つまり……、予約してくれた人がすぐに送金したってこと?」
「はい。それでATMでは記帳が追いつかなくて。とりあえず残高照会だけしてみました」
「どのくらい入ってたの?」
唯も2人の話を聞いているので、運転席と助手席の間から顔を覗かせる。そして。
「ひえっ!」
美和が答えた金額に悲鳴を上げた。大和も前方を見ながら目が見開く。美和はどこか表情が強張っているようにも見える。
「大体予約の7割くらい入金済みの金額です」
なんとも行動が早くて恐れ入るばかりである。そこで美和が質問を振る。
「お金ってどういう風に計算したらいいんですか?」
「杏里がエクセルで管理はしてくれてるんだけど、まずはレコーディングとプレスにかかったお金は原価で、君たちの持ち出しだからそのまま口座に残して。それを超えた分が利益かな」
「その利益から河野さんの事務所の費用と、杏里さんと響輝さんと泰雅さんに謝礼を払えばいいんですよね?」
「そう。更にそこから残った分が制作者に分配」
つまりそれをメンバーと大和の5人で均等に割る。と言っても、メンバーの分はそのまま口座に残すので出金は大和の分だけだ。そして既に利益は出ている。つまりレコーディング開始前まであった残高を今の預金は超えている。
更に言うと、9月からはジャパニカン芸能のマネージング契約が始まる。高校卒業までは実家暮らしで高校生だから少額の育成援助金をもらえるが、それも今のアルバイト代よりは多少手取りが増えるのだ。
「あ、そうか。だから8月いっぱいのライブのチケットバックまででその口座はもういらないね」
大和が気づいて言った。それに美和が首を傾げる。
「そうすると、口座の中の大金はどうしたらいいんですか?」
「メンバーで分配」
「ひえっ!」
またも悲鳴を上げたのは唯だ。分配とは言っても大金。メンバーで割っても高校生が持つには桁の違う金額だ。
「あ! でもダメだ」
しかし大和はすぐに思い直す。それにまたも美和が首を傾げた。
「今回予約が溢れたからダウンロード配信をしようって杏里と話して、もう動いてるから口座はまだいるや」
「そうなんですか!?」
これはまだメンバーにも言っていないことだったので美和は驚いた。
「うん。しかも夏休みに1回、ギグボックスでワンマンも決まった」
「……」
「……」
口をあんぐりと開けて固まる美和と唯。ワンマンと聞いて思考が停止したかのようだ。
そのライブのチケットは果たして売れるのだろうか? いや、今のこの騒ぎを肌で感じて完売するような気もする。それならばCD売り上げが好調な今、夏休みのフェスとライブの収益に音楽配信の収益が合わさって、口座は一体どのくらい膨れ上がるのか。その現実味がまったく持てなかった。
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