第四十二楽曲 第六節

 走り出した車内で体勢を整え、後部座席で早くも古都と美和にちょっかいを出そうとするのは男Aと男Cである。しかし……。


「止めろー! 触るなー!」


 拘束が緩くなって古都が暴れる、暴れる。セカンドシートに腰を埋めて手と足をブンブン振っていた。アドレナリンが分泌されているのか、左足のふくらはぎの痛みも感じていない様子だ。


「嫌ぁ! 止めてー!」


 そして押し込まれた当初は震えていた美和も、古都の勢いに倣って暴れる、暴れる。2人ともギタリストなので大事な指を怪我しないか心配ではあるが、この際そんなことは言っていられない。とにかく暴れる、暴れる。車は走行に関係のない揺れも生じていた。


 パンッ。


「ちっ! 痛ぇなぁ」

「くそっ! 暴れんな!」


 時々勢い余って平手打ちを食らう男Aと男Cだが、広い車内とは言えセカンドシートに4人が詰め込まれているので、暴れられては手も出ない。怒りも湧くが、車が止まるまでは2人を押さえ込むのに必死だ。しかし古都も美和も抵抗の手を緩めない。


 そんな走り出してしばらく経った車内でのことだった。運転席の男Bがルームミラーを気にする。


「んだよ。煽りか?」


 そんな声が聞こえたので、セカンドシートの男Aが後方に目を向けた。すると物凄いスピードで黒塗りのセダンが追いついてきて、途端に車間距離を詰めたのだ。少しでも急ブレーキを踏めば間違いなく接触するだろうというくらいの狭い車間距離だ。


「後ろに構うな」

「あぁ、わかった」


 男Aの言葉に男Bは納得を示した。後部座席の女子2人を人目に付けるわけにはいかないので、ロードレイジになんて構っていられない。つまりこの男たちに犯罪の自覚はある。

 しかしだ。左は崖下。右は山肌。そして右カーブ。そんな場所に差し掛かり、対向車とすれ違った瞬間だった。


「はっ?」


 運転席の男Bは驚愕する。運転席のドアミラーに後続車の全貌がはっきり映し出されたのだ。まさかである。後続の黒塗りのセダンは見通しの悪い右カーブにも関わらず、対向車線から追い越しにかかったのだ。

 ワンボックスカーの車内はオーディオが煩いにも関わらず、追い抜かれる際はけたたましいエンジン音が届いた。

 男Bはルームミラーやドアミラーから、黒塗りのセダンは運転手と助手席の同乗者だけだと思った。抜かれる際は前方確認もあって、スモークフィルムが貼られたセダンの後部座席に目が向かない。しかし最初に美和を押し込んでセカンドシートの右側にいた男Cだけは、そのセダンの後部座席に更に2人乗っていることを確認した。


「うおっ!」

「きゃっ!」


 すると突然の急ブレーキだ。尤も急ブレーキだから突然なのも当然だが。セカンドシートの男Aと男Cはそれぞれ運転席と助手席のシートに体をぶつけた。急ブレーキに体を振られたのは古都と美和も同じなので、2人も軽く悲鳴を上げた。とは言え、なんとかシートには収まったままなので、男たちが離れて安堵もする。


「くそっ!」


 急ブレーキを踏んだ当初こそ唖然としてハンドルを抱えていた男Bだが、正気を取り戻すと怒りが込み上げてきた。なんと黒塗りのセダンは走行車線上に斜めに止まっており、完全にワンボックスカーの進路を塞いでいた。あと数センチで接触する距離だ。


「行ってくる。ちょっと女見ててくれ」


 そう言うと男Bは仲間の返事も聞かずに運転席のドアを開けて車外に出た。するとオレンジのセンターラインを跨いだところで、黒塗りのセダンからも人が下りてきた。


 1人、2人、3人、4人……。


 皆サングラスをかけていて、表情が見えない。意気込んで車外に出た男Bだが、自分の仲間内よりも人数が多いことを初めて認識して、怒鳴りつけるつもりだったテンションも急降下だ。


「おいこらぁ!」


 すると巻き舌で勢いよく怒鳴りつけてきたのはセダンに乗っていたサングラスの男の方だった。その貫禄に男Bは恐れを成す。車種と言い風貌と言い雰囲気と言い、これは間違いなくその筋の人間だと思った。気づくのが遅かったとさえ後悔するが、どうしても服装だけは軽装なのでその違和感が邪魔をしたのだ。


 その頃車内では古都も美和も外の様子に気づく。しかし見慣れないサングラスが違和感を与える。つまりそれは何か意味があるのだと、余計なことを口走らずに事の成り行きを見守っていた。


 遡ること数十分前。古都と美和のゲスト出演による撮影が終わった後だ。大和は2人の姿が見当たらず探し始めた。唯と希は控室になっている教室を出るつもりがないことを聞いていたので、彼女たちを控室に残して廃校内を探した。

 すると1人のスタッフに言われる。


「さっき裏門の方の手洗い場に行きましたよ」

「そうですか。ありがとうございます」


 大和はすぐにその手洗い場に行った。するとそこから驚愕の光景を目にする。

 廃校から少し離れた見下ろせる場所の通りに黒のワンボックスカーが停まっている。そしてなんと体操服姿の美和が押し込まれた。直後、古都が押し込まれそうになり足を突っ張った。

 大和は慌てて踵を返した。走っても行ける場所ではあるが、そうは言っても距離がある。間に合わないと悟って大和はドラマプロデューサーの梶原を頼った。


「梶原さん!」

「どうしました?」


 校内の短い距離を走っただけだが、大和の息は上がっていた。表情が真っ青なのでただ事ではないと梶原のみならず、近くにいた佐々木や大人のキャストも大和の言葉に注視した。そう、この時は既に大人のキャストも撮影現場に揃っていた。


「うちのバンドのメンバーが2、3人の男に拉致られました!」

「はっ!」


 途端にざわついた現場。大和は言葉を続ける。


「追いかけるので、車を貸してください」

「わかりました」


 と梶原が答えたところで、1人の男性キャストが機転を利かせる。


「僕も付いて行きます」

「そんな、申し訳ないです」

「遠慮してる場合じゃないでしょ!」


 その剣幕に大和は圧された。


「僕は演技ができます! 助けるならはったりも必要です!」


 これには納得した大和。この俳優は華やかさこそないものの、演技の実力は折り紙付きだ。だから主役級にはありつけないが、要所の役どころを期待され、多くのドラマや映画や舞台に呼ばれる役者である。


「俺も行きます」


 するとまた1人役者が手を上げた。


「俺も」


 そして更に役者がもう1人。するとアシスタントプロデューサーの佐々木が大和の報告からものの数十秒で小道具をかき集めた。小さな段ボール箱に入れられたそれらを見ただけで、手を上げた役者の3人は察した。更に佐々木は言う。


「これ、僕の車の鍵です。黒塗りのセダンだからこっちの方が効果あると思います」

「ありがとうございます」


 大和は鍵を受け取ると役者の3人を連れてすぐに駐車場に行った。


「運転は僕がします。これでも一応、スタントの経験もあるんです」


 そう言うのは2番目に手を上げた役者だ。大和は素直に従い鍵を渡すと運転席を任せた。

 そして男4人が乗り込んだ佐々木の黒塗りのセダンは勢いよく発進した。すかさず大和はワンボックスカーを見た場所と、そのワンボックスカーが向いていた方向を指示する。

 大和は後部座席の助手席側だ。その隣は最初に手を上げた役者で、膝に抱えた小道具を助手席の役者に手渡す。


「菱神さん、なにがあっても僕たちに任せて調子を合わせてください」

「わかりました」

「じゃ、これをかけて」


 そう言われて手渡されたのはサングラスだ。普段あまりかけないので慣れないが、大和に反論の余裕も理由もない。


「ケンちゃん、今からサングラスをかけるな?」

「はい。頼みます」


 すると猛スピードの運転席に収まる運転手は、背後の後部座席からサングラスをかけられた。既に助手席の役者はサングラスをかけている。運転手にサングラスをかけた大和の隣の役者も自身にサングラスをかけ、そこで小道具の段ボール箱に目を落とした大和はゾッとする。


「あはは。菱神さん、絶対調子を合わせてくださいね」

「わ、わかりました……」


 大和の引き攣った表情を見た彼だがとにかく自信があるようで、大和は意見を言うこともなく承諾した。そしてやがてセダンはワンボックスカーの背後を肉眼で捉えた。

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