第四十二楽曲 第七節

 4人のサングラスをかけた男たちを前に委縮する男B。しかしなぜ煽り運転の果てに車を止められ、そしてこうして絡まれるのかその理由がわからない。ただビビッてはいるので腰が低い。


「は、はい……」


 これは巻き舌で言われた「おいこらぁ!」の後の返事である。するとなんとサングラスの男たちが物騒なものを向けた。小刀が1人と拳銃が2人である。それを見て大和も慌てて小刀を向ける。

 もちろん大和はサングラスの男たち4人の内の1人だ。サングラスをかけているので仲間内に調子を合わせるために観察する視線も、泳ぐ視線も悟られない。雰囲気を出すのとともに相乗効果だ。

 一方、そんな物を持っていると思っていなかった男Bはもう失禁しそうだ。


「お前、どこの組のモンだ!?」

「ひえっ! ど、ど、ど、どこにも所属してません……」


 話は大和の同行に最初に手を上げた役者が進める。男Bの怯えっぷりは増す一方だ。


「あぁあん!? カタギの人間だとぉ!?」

「は、はひっ! ただの大学生です」

「てめぇ、うちの組長のお嬢とそのご友人を拉致しやがって、覚悟はできてんだろうな!?」

「え、え、えええ!」


 さすがの演技力である。男Bは完全に信じ切ってしまっている。男Bにとってはまさかの事実だが、もちろん虚偽だ。演技ではったりを噛ましているに過ぎないが、だからこそ少しでも突けばボロは出る。しかしビビっているのでそんなことにも頭が回らず、情けない。

 度胸がないなら最初から女子高生の拉致なんて止めておけばいいものを、つまり非力な相手にしか大きな態度を示せない小心者だ。意気込んで車を下りたのだって相手が自分たちより少人数だと勘違いしたからである。


「す、すいません! そんなことも知らずに失礼しました! すぐにお返しします!」

「当たり前じゃボケぇ! それで済むと思うなよ!」

「ひえっ! ご勘弁を!」


 その頃、車内では男Aも男Cも怯えていた。様子を窺おうと少し窓を開けたので、ドスの効いた怒鳴り声はしっかり車内にも届いていたのだ。こちらも男B同様、自分よりか弱い相手にしか大きく出られない小心者である。

 すると血相を変えた男Bが後部座席に来て運転席側のスライドドアを開けた。


「下ろせ!」

「お、おう。下りろ!」


 男Cが美和と古都に促す。美和と古都は一度キリッと男たちを睨むとワンボックスカーを下りようとした。すると男Bを追って近くまで来ていたサングラスの男が言う。


「何命令してんだ! こらぁ! てめぇが下りねぇと下りられねぇだろうが!」

「ひっ! すいません! 下りてください!」


 男Cが車道に下りたので美和と古都は窮屈さを感じることなくワンボックスカーから出た。すかさず男Bは運転席に乗り込み、男Cも後部座席に乗り込んだ。そしてそれぞれドアを閉めようとした時である。手が割り込んで来た。怒鳴り散らすサングラスの男に加えて、もう1人サングラスの男が寄って来ている。


「誰が帰っていいって言ったよ?」


 とは言うものの役者側にも立場はある。揉め事を長引かせるつもりはない。あくまではったりの一環で、詰めの作業だ。


「すいません。もう2度とご迷惑をおかけしませんので、ご勘弁ください」

「お前ら顔とナンバー覚えたからな」


 この言葉に唯一一度もワンボックスカーから下りていない男Aはガクガク震え失禁していた。


「すぐにお前らの身元も割るからな」


 男Cも少し失禁した。


「組のお嬢だってこと、少しでも人に言ったらお礼に行くわ」

「絶対言いません! スレも立てません!」


 ブルブル体を震わせ、今にも泣きそうな声で運転席の男Bが答えた。


「書き込み見つけた瞬間、お前らが犯人だからな?」

「そんなっ!」

「わかったか!?」

「わかりました!」

「じゃぁ今日はこれくらいで許してやる。行け」

「失礼しました!」


 ここでやっと解放してもらいワンボックスカーのドアを閉めることができた。そしてワンボックスカーは一度バックをしてセダンから距離を取ると、対向車線に膨らんで走り去って行った。因みにその車内は尿臭い。


「菱神さんが探し出してくれたんだよ」


 男たちに怒鳴りつけていた役者が、車を下りてまだ車道にいる古都と美和に優しい声で言った。その声は先ほどまでとは天と地ほどの差がある。古都と美和は大和に目を向けた。大和はワンボックスカーを見送ってサングラスを外した。


「大和さん……」

「校舎外には出るなって言われただろ!」


 大和が怒鳴った。


「ひっ。ごめんなさい……」

「ごめんなさい……」


 古都も美和も首を縮めて謝罪を口にした。初めて見る大和の剣幕を前に、聞いていなかったなんて言えるはずもない。心配をかけてしまい恐縮し切りだ。


 すると大和が古都と美和に歩み寄った。古都も美和も首を縮めたまま大和を上目遣いで見る。

 そして大和が2人の前に立った瞬間だった。手を広げて振り上げたのだ。古都も美和もギュッと目を瞑って体を強張らせた。

 しかし大和が女に暴力を振るうなどできるはずもない。心配がそれほどの怒りに変わったことは事実だが。それに一見無事だと思える2人を見たら安心の方が勝ったのもある。


「はぁ……」


 大和は一度息を吐くと、正面から2人を抱き寄せた。そしてしっかりその腕を2人の背中に回す。身構えていた古都と美和は一瞬呆気に取られるが、大和の温かさに涙が零れてきて彼の背中に目いっぱい腕を回した。そしてワンワン声を上げて泣くのだ。


「うえーん。怖かったよぉ!」

「大和さぁん! ごめんなさぁい!」


 そんな3人に目を細めるのは役者の3人である。あまりにもオープンな抱擁に下世話な疑念が頭を過ることもなく、バンドと大和の信頼関係は厚いのだなと悟った。ちょっと羨ましく見ていたのも事実ではあるが。


「菱神さん、僕たちは撮影があるので先に行きます。車は6人も乗れないので3人は歩いて帰って来てください」


 最初に手を上げた役者が少しばかり悪戯な笑みを浮かべて言う。大和は古都と美和の頭越しに目を向けた。


「本当にありがとうございます。助かりました」


 役者の3人はセダンに乗り込むと意気揚々と撮影現場に戻った。大和は古都と美和が泣き止むのを待ってから2人を連れて歩き出した。


「目立つだろ?」

「嫌。今は離したくない」

「もうちょっとだけ。お願いします」


 大和は古都と美和からしっかり手を握られている。そんな周囲を気にする大和をよそに美和が問い掛けた。


「小刀と拳銃って……?」

「あぁ。撮影チームがたまたま持ってた小道具」

「え? そんなシーンないですよね?」

「ないけど、物はあったみたい」


 古都も美和も役者が演技をして助けてくれたことは既にわかっている。


「2人とも無事? 変なことされてない?」

「はい」


 古都と美和の基準では一応の事実だ。体を押さえつけられただけで助けが来た。しかし大和にとってはそれも許容範囲外なので、もし事実を知れば今からでも追いかけるだろう。ただ大和は気づく。


「古都?」

「な、なに?」

「もしかして足、引きずってない?」

「気のせいだよ」


 大和は一度足を止めた。そして2人から手を離すと屈み、古都の靴下を下げた。


「赤くなってる」

「平気だよこれくらい」

「どうしたの?」

「抵抗してたら蹴られちゃって……」


 すると途端に立ち上がり、ギロッと背後を睨む大和。今にも駆け出しそうなので古都と美和はすかさず大和の手を握った。


「もういいよ。お願い。私にとっては大和さんが助けに来てくれた事実が全てだから」

「私もです」


 そんなことを言われては大和も怒りを収めるしかない。大和は一度深呼吸をして気を静めた。すると再び古都と美和の手を離すので、古都と美和が切なそうな顔をした。


「もう現場がすぐそこだから手を繋ぐのはここまで」

「大和さん、心配かけてごめんなさい。本当にありがとう」

「ごめんなさい。ありがとうございます」


 その言葉でやっと笑顔が戻った大和だが、次の瞬間古都と美和の腕が大和の首に巻きつく。そして2人は背伸びをして頬を密着させ、それぞれ大和の唇の左右半分を分け合った。


「ちょ、ちょ、こんなところで!」


 2人が離れた瞬間狼狽える大和だが、顔を真っ赤にして上目遣いで見上げる古都と美和に射抜かれる。


「助けてくれたお礼って言うか……」

「せずにはいられない気分だったって言うか……」


 古都と美和の言葉にポリポリ頬をかいて照れる大和である。その時に周囲を見回すと誰の視線もないようなので安堵する。


 この後3人は現場に戻り、古都は左足のふくらはぎの手当てを受けた。幸い軽い打ち身で、3日ほどで痛みは引いた。加えて2人とも手や指に怪我をしておらず、大和は安堵した。古都と美和は心配をかけてしまってスタッフやキャストに恐縮しきりだった。

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