第四十一楽曲 第四節

 この日、泉は社内のスカウト会議に出席していた。泉が所属するジャパニカンミュージックの他、ジャパニカン芸能やグループ筆頭のジャパニカンホールディングスからも出席者がいるので、錚々たる面々だ。

 作曲家菱神大和を発掘した吉成もいる。吉成はジャパニカンミュージックの専務ながら、ジャパニカンホールディングズの執行役員も務める。


「どうですか? このバンド!」


 力をこめて前のめりになる泉。窓際から縦に長いロの字型に長机が組まれた大会議室。その窓側には吉成を含めたスカウト活動を取り仕切る長たちが座っている。両サイドはグループ各社の様々な役職の社員で、スカウト責任者の泉は窓と反対側、つまり吉成とはかなり距離の離れた対面だ。


「曲は素晴らしいな」

「そうですね」


 両サイドからガヤガヤとそんな好評が聞こえる。泉の表情は思わず綻んだ。

 このスカウト会議は芸能人発掘を目的としたもの。スカウト担当が見つけてきた素材となる人物やグループを会議にかけ決済をもらえばデビューだ。

 泉の場合はバンド発掘に力を入れていてレーベル所属の社員なので、受け入れてくれるグループ会社の芸能事務所が見つかり、長たちの決済がもらえれば、晴れてそのバンドはメジャーデビューである。昨年はメガパンクも通った会議だ。


「けど、ガールバンドか……」

「容姿はいいけど、受けるのかな……」


 所々そんな声も聞こえる。受けるとはつまり、売れるのかどうかを意味している。しかし泉は自信に満ちた表情を見せていた。


「これが菱神さんの育てているバンドか」

「そうです!」


 長机に肘をつき口元で手を組んでいる吉成が言った。背後からの日の光は逆光で、シャープな縁なし眼鏡に照明の光を反射させている。泉が議題のバンドを追っていることは水面下で報告を受けていたが、実はそのバンドの楽曲や容姿は初めて知った。


「そうか……」


 表情が読み取れない吉成はどこかその声のトーンが低くも感じられた。レーベルで社員として育ててくれた吉成だから泉は一目置いている。しかしその吉成の声が曇ると少しばかり自信がなくなる。


「これほどのバンドを育てていたとは……。いや、育てた結果これほどのバンドになったのか……」


 次に出たのは好評だ。泉の自信は戻って来た。そしてもう一押しだと思った。だから泉は発言をしようとした。しかし、先に口を開いたのは吉成だった。


「しかし残念だ……」

「え……」


 瞬間、泉を落胆が襲う。ざわざわとした感情が泉の体内を支配した。周囲の会議出席者は吉成の意図を探ろうとしながら、黙って吉成の次の言葉を待つ。


「これだけの曲を書いたのは大したものだ。しかし、地元ではチケットノルマをクリアできるようになった程度。今出しても絶対に埋もれる。それに名前を売るだけの実績もない」


 泉は返す言葉がなかった。そう、泉が会議にかけたバンドはダイヤモンドハーレムで、提出した音源は発売前のインディーズデビューCDだ。そして話題の曲が『STEP UP』である。


「これほどの曲を今後作れると思うか?」

「……」


 吉成の質問に何も答えられず俯いて唇を噛む泉。吉成はまぐれの可能性を示唆していた。


「それなのに無名の今からインディーズCDに入れてしまった。明らかにミスだ」

「将来性が大きなバンドだと思います」


 絞り出すように、なんとかそれだけ言葉を繋いだ泉。しかし吉成は雰囲気を変えずに言う。


「それはわかるが、インディーズ活動での実績がまず小さい。実力は認めるが、このCDもまだ発売前だ。大きなステージ実績、若しくは、この『STEP UP』を足掛かりとした更なる傑作曲。そのどちらかがないと契約は無理だ」


 その言葉は決定打となった。つまり泉が会議にかけたダイヤモンドハーレムのメジャー契約は否決。泉はトボトボと会議室を出た。


「あ、益岡さん。お疲れさまです。どうでした?」


 出た先の廊下にいたのはジャパニカン芸能の男性社員だ。泉は自分でもわかるほど暗い顔をしているのだから察しろよと思った。しかしそんなことは口にせず、力なく首を横に振るだけだった。


「そうですか。次は俺ですね。こないだ渋谷でスカウトした中学生です」

「は!? 中学生!?」


 どうやら次に会議室に入るのはこの男のようだ。そして中学生と言われて泉は驚いた。


「そうですよ。中学生のうちから育てられるなんてロマンがありません?」

「まぁ、確かに。タレント? 女優?」

「基本路線は女優で、タレントも視野に入れてます。去年はまさか益岡さんがタレントをスカウトしてくるとは思ってなかったから、自分も結果出さなきゃって焦りましたよ」


 大和から引き受けた家出少女、萌絵のことだ。少しずつバラエティー番組出演の仕事を取るようになったと、泉は担当部署から聞いている。演技レッスンも順調のようで、女優の仕事も1つ取ったとマネージャーが得意げだとか。

 この辺りの話は萌絵と親しくしているダイヤモンドハーレムの美和も把握している。昨夏以降会ってはいないが、マメに連絡は取っていた。


「それじゃ、行ってきます」


 人当たりのいい表情でそう言うと、その男性社員は会議室の中に消えた。泉は「ふぅ……」と一度大きく息を吐いた。


 その夜。都内の居酒屋で酒を飲むのはステージプロデューサーの久保だ。そのボックス席の向かいには、テレビの番組プロデューサーが座っていて酒を酌み交わしている。


「ほう、まさかドラマの制作をしてるとはな」


 久保がビール瓶を向けながら番組プロデューサーの男に言う。


「あぁ、もう2年くらいになる。お前と会うのも久しぶりだからな。相変わらずお前はステージの仕事なんだな」


 そんなやりとりだ。

 この男はドラマ制作のプロデューサーで梶原かじわらと言う。梶原の言う通りドラマの現場はまだ2年だが、それ以前は久保と一緒に仕事をしたこともある。当時はテレビの歌番組の特番で、そのステージ制作の仕事だった。それから久保とは親しくしている。


「今ドラマ録ってるんだけど、予定してた主題歌が飛んじゃってさ」

「どういうことだ?」


 久保がビール瓶をテーブルに置きながら問い掛けた。梶原は心底参っているようで、表情を顰めている。


「こないださ、妻子持ちのバンドマンが独身のタレントとゲス不倫して世間で騒がれただろ?」

「あぁ! CM女王って言われたタレント?」

「そうそう。そのバンドマンの方のバンドが主題歌を歌う予定だったんだよ」

「それは、それは……」


 皆まで聞かず久保は悟った。そんなスキャンダルによって予定していた曲が使えなくなったので、制作側としては今まさに奔走していることだろう。


「売り込んでくる事務所ないのか?」

「あるさ。けどイメージと合わないから断ってる。1から新曲を作るにも時間がないし」

「つまり撮影が始まってるドラマなんだな?」

「そういうこと。7月クールのドラマで、学園もの」

「なるほど、学園もののイメージね……」


 久保は1つ心当たりを見出したが、すぐにそれを自分の頭の中で否決した。


 しかしそれからしばらく時間が経って酔いも回った頃、皮肉にもしたたかに梶原は、口の空いた久保の鞄に目が向くのだ。


「鞄から見えてるそのCDなんだ?」

「あぁ。これは今度俺が設営するビリビリロックフェスのサードステージにブッキングしたガールズバンドのCD」

「ん? インディーズか?」

「あぁ。けどこれはまだ発売前だから、白盤のコピーをもらったんだ」


 久保はそのCDを鞄から取り出した。それは大和からもらったコピーで、量販店で売られている薄いCDケースに入った無地のCDだ。ダイヤモンドハーレムのインディーズデビュー楽曲である。


「ガールズバンドね……。ちょっと貸して」

「まぁ、俺はもうスマホに入れたからいいけど。たださすがにこの曲はドラマに使えないと思うぞ?」


 久保は梶原の思惑を悟って言った。尤も先ほど久保の頭を過ったのはこの楽曲だが。それに梶原は1%にも満たない可能性として期待しているに過ぎない。それもわかっている。


「なんで?」

「商品登録されない非流通のCDだし、そもそもインディーズだからどのレコード会社や芸能事務所にタイアップの打診をするんだ?」

「あぁ……、まぁ、そうだな。けど聴くだけ聴いてみるから貸してくれ」

「わかったよ。発売前の非公式のやつだから管理は厳重にな」

「あぁ」

「聴いたらすぐ返せよ」

「わかった」


 そう言葉を交わして久保はCDを梶原に渡した。

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