第四十楽曲 第二節

 入店した大和とダイヤモンドハーレムのメンバーは、会員登録などの事務手続きを済ませるとコントロールルームに入った。

 真っ先に目に入るのはミキシング機材とパソコンである。それは幅広のデスクに置かれ、脇には機器が詰められたラックもある。

 部屋の壁際には3人ほどが座れるソファーも据えられていて、ソファー以外はゴッドロックカフェのバックヤードを思わせる。それでも電子機器が発達した現代。レコーディングスタジオのコントロールルームもかなりコンパクトになった。


「お! 久しぶり!」

「お久しぶりです、平井さん」


 大和に声をかけてきたのはレコーディングエンジニアの平井という男で、半分ほどが白髪になった中年の男だ。デスクのオフィスチェアーでふんぞり返るように大和に振り向いていた。受付スタッフは大和と面識のないアルバイトだったので、知った顔を見て安心する。


「誰だっけ?」


 カクンと膝が折れそうになる大和。久しぶりと言っておいてこれだ。

 ここは大和がクラウディソニック時代に過去2度、インディーズCD制作のためレコーディングに使った店だ。尤も、会員証の有効期限も切れたくらいご無沙汰だが。だからこの日は大和もダイヤモンドハーレムのメンバーと一緒に会員登録をした。


「大和です」

「ああ! YAMATO君ね」


 思い出してくれたようでホッとする。それに忘れていたということは、地元の音楽関係者ながらクラウディソニックの事件のことは知らないかもしれない。若しくは知っていても忘れているかもしれない。それならば反ってやりやすいとも思う。

 すると男がもう1人入って来た。


「ちゃっす。峯崎です」


 彼もエンジニアだ。30代半ばくらいで黒縁眼鏡をかけた冴えない男と言った感じだ。大和は自己紹介の後、メンバーに体を向けた。


「この子たちが今日からお世話になるダイヤモンドハーレムです」

『よろしくお願いしまーす』

「こちらこそよろしくな」

「よろしくお願いします」


 メンバーの元気な挨拶に表情を綻ばせて挨拶を返す平井と峯崎。可愛い女子が一度にこれほどの人数来ることも少ない。


「ボーカルギターの古都と、リードギターの美和と、ベースの唯と、ドラムの希です」


 大和が順々に紹介をする中、メンバーはペコリと頭を下げた。それを聞き終わって峯崎が言う。


「もう入ります?」

「いいんですか?」


 スタジオの予約時間までまだ15分ほどある。セッティングに時間もかかるので早めに入らせてもらえるのは助かる。


「大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。――じゃぁ、準備しようか?」


 大和がメンバーに向き直って指示をするとメンバーは『はい』と返事をした。


「まずはリズム隊だから、古都と美和は希のドラムのセットを手伝ってあげて」

『はーい』

「唯は僕と一緒にベースの音の確認ね」

「お願いします」


 荷物を持ったメンバーと大和は峯崎の案内で18畳ほどの広いスタジオに入った。壁際に並べられたアンプやスピーカーやドラムセット。そしてスタジオ独特の匂いと防音が施された内装。メンバーは武者震いした。


 希は自分のスネアとツインペダルをセットし、彼女の指示で希が叩きやすい配置に古都と美和がドラムセットを組み替える。ツータムにクラッシュシンバル2枚のベーシックなスタイルだ。


 大和は唯と一緒にベースの音の確認である。このレコーディングのために唯は1つエフェクターを購入していた。それは周波数を調整するイコライザーで、サンズアンプとチューナーと一緒にベース本体とアンプの間に繋いだ。

 イコライザーはギターの古都も美和も使っているエフェクターだが、ゴッドロックカフェのベースアンプにも搭載されている。だから今まで唯は必要性をあまり感じていなかった。とは言え、ここはレコーディング向けのスタジオ。ベーシストに一番普及しているアンペグのベースアンプがあり、こちらにもイコライザーは搭載されている。


 ドーン、ドーン……。


 唯が音を鳴らしていると、大和が唯のエフェクターとアンプのつまみを調整していく。


 パンッ! パンッ!


 すると乾いたスネアの音がスタジオに響いた。どうやら希の方のセッティングも進んでいるようだ。


「こんな感じでどうかな?」

「はい。いいと思います」


 やがて音色が腑に落ちた大和は唯とそんな会話を交わすと彼女から離れた。ふと見てみるとドラムのセッティングも終わっているようだ。次にギターの2人である。

 美和は任せて安心だ。と言うか、響輝から指導を受けたことでもう自分の手には負えない。エフェクターも多数なら、美和の方がよっぽど大和よりギターの音作りは慣れている。とは言え、最終確認はもちろん大和がする。大和は古都に付きっ切りとなった。


 ジャー、ジャー。


 古都がパワーコードを弾き鳴らす。古都の場合、クリーントーンのパートも多数あるので、大和はアンプからドライブを切った。歪はすべてエフェクターに任せるつもりだ。


 カチッ。


 古都がディストーションを一度踏むとエフェクトが切れ、今度はクリーントーンが鳴る。歪がなくシャキシャキ感のあるクリアな音は古都の大好物だ。


 各々セッティングができたところで、大和は1人1人の音を確認する。マイクテストもした。それが終わると全体演奏もさせて入念に音の確認をした。更には一度コントロールルームに入って、仮で録音した音まで確認した。


「うん。いいと思います」


 大和はエンジニアの平井に言った。その頃既に、スタジオに入ってから1時間近くが経過していた。


「よし、じゃぁ、やるか」


 平井の言葉で大和はスタジオにいたメンバーを呼びに行き、希だけを残してエンジニアとメンバーと大和がコントロールルームに集まった。

 希は予め録ってあったデモ音源を流してそれをヘッドフォンから聴いた。ドラムは打ち込みで入れてあって、コーラスを除く他のパートが入っている。リズムが機械音なのでテンポがずれることはないし進行もわかる。それを聴きながら希はドラムを叩き、エンジニアは音量の調整を済ませた。


「どうだ? 聴こえるか?」

「はい」


 ヘッドフォン越しに聞こえる平井の声に、希は脇にあったマイクを使って答えた。


「準備はいいか?」

「大丈夫です」

「よし。じゃぁ3カウントで録音開始するから自分のペースで始めてくれ」

「わかりました」

「3、2、1、……」


 平井の手で録音ボタンが押された。希は一度静かに深呼吸をすると、手元のデモ音源を再生させた。そしてそのカウントに合わせて演奏をスタートさせた。


 しかし。


 イントロからAメロに移行するところで希はスティックを飛ばしてしまう。コントロールルームにいるメンバーは突然止まった音に「え?」となった。


「すいません、スティック飛ばしました」


 コントロールルームに希の声が響いたので、平井は一度録音を止めた。そこですかさず動いたのは大和だった。彼は鞄からテーピングテープを取り出すと、希のいるスタジオに入って行った。


「大和さん、ごめんなさい」

「気にするな」


 いつものように表情に変化はないが、さすがに初っ端から失敗して申し訳なかったのか、希はまず謝罪を口にした。大和は希を気負わせないように穏やかに答え、希のすぐ横に立った。すると彼女の手を取り、その手のひらを見た。

 心臓が強いはずの希。しかし彼女ですら、商品音源としてのプレッシャーから手は汗ばんでいた。


「ちょっとスティック貸して」

「はい」


 すると大和は持っていたテーピングテープを、希の2本のスティックの取っ手に巻いた。希だからと安心していたが、最初からこうしていれば良かったなと内心苦笑いだ。

 ライブなら予備のスティックを用意しているが、レコーディングは1つの音すら欠けることが許されない。予備のスティックを手に取る暇はない。


 大和は次に希が用意して脇にかけていたタオルを取ると彼女の手を拭いた。希はしっかり気にかけてもらって心が温まる。

 大和は滑り止め効果のあるテープを巻いたスティックを希に渡して言った。


「これで叩いてみて?」

「ありがとう、大和さん」


 素朴な表情で言う希に笑顔で一度首肯すると、大和はスタジオを出た。希は大和の登場に安心し、気持ちが軽くなった。

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