第四十楽曲 第一節
迎えたレコーディング初日。大和は1人車を走らせて、メンバーを自宅まで迎えに行く。因みに杏里は響輝とデートなので不在だ。
大和がまず到着したのは美和が住む市営住宅。到着して車を降りると、美和はすぐに下りて来た。
「おはようございます」
「おはよう……」
大和は麗しい美和の笑顔に思わず見惚れる反面、まともに直視できず視線を逸らす。返した挨拶も尻すぼみになって弱い。それでも美和はご機嫌な様子で、荷台にエフェクターボードを積み込むと助手席に乗り込んだ。
「機材の積み込み、1人でありがとうございます」
「これくらい大したことないから」
顔は直視できないものの、どこか得意げに言う大和。なかなか調子は上がらないが、見栄は張りたいようだ。各メンバーのメイン楽器はゴッドロックカフェに置かれているので、大和は出発前にこれを1人で積み込んでいた。
美和は機材と言ったが、彼女たちはレコーディングに適した容量の自前のアンプを持っていない。レコーディングにゴッドロックカフェの機材を使う予定もなく、使用するのはスタジオ機材だ。実質大和が積み込んだのは弦楽器と希のスネアとツインペダルだけで、メンバーが家から積み込むのは持ち帰りしているエフェクター類だけである。
緊張を隠せない大和がエンジンをかけると、シフトレバーを手にしたところでその手を握られる。
「ん?」
大和は助手席を向いた。
「かぁぁぁぁぁ」
すると美和が素朴な表情で手を伸ばし、大和をじっと見ている。大和は射貫かれた。尤ももうそういう関係だから、自分の感情をどう理解しても自己嫌悪はしない。気になるのは世間体だけだが、密室の車内で今はそれも関係ない。
「古都が毎月のように……って言ってました」
「……」
顔を真っ赤にして何も答えられないのは大和だ。そう言う美和も恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、その核心の部分はごにょごにょっと濁したのだが。しかしさすがに関係が変わると鈍感の大和でも何を求められているのかはわかるわけで、大和は美和の肩に手を回した。そして抱き込むようにキスをする。
「えへへ。嬉しいです」
大和からしてもらえたことに美和はご満悦で、大和はその柔らかい感触にうっとりした。しかしすぐに気を取り直すと大和は言う。
「い、行くよ?」
「はい。お願いします」
今度こそ大和は車を発進させた。次に向かうのは希の自宅である。備糸市内中心部にあるゴッドロックカフェを出てまずは南下し美和を拾った。そしてその後は北上する。市内南から順に美和、ゴッドロックカフェ、希、古都、唯の位置関係だ。
「どんな音源になるのか楽しみです」
「僕も初めて本格的なレコーディングをする前はそんな期待してたな」
「ん? する前?」
「うん。始まってみればわかるけど、レコーディングはとにかく根気だよ」
「へー、そうなんですね」
発進してしまえばなかなか普通に話せるものである。大和は2人きりで間が持たないかと心配していたが、前方を向いて運転しているため顔を見なくて済む。それに美和がよく話しかけてくれる。この調子でいけばレコーディングも問題なさそうだと前向きになった。
そんな穏やかな雰囲気で到着した希の自宅。美和がインターフォンを押した。するとバタバタとした音でも聞こえてきそうな勢いで玄関ドアが開いた。勝だ。
「お、おはようございます……」
「おはよう」
勝は一度キリッと美和を見据えると、運転席から出て来た大和を睨む。大和は気圧されるが、朝の挨拶をした。
「おはようございます。勝さん」
「ふんっ」
「……」
悪態だ。勝は腕を組んでじっと大和を見据えている。すると彼の背後から希が出て来た。
「お兄ちゃん、挨拶くらいちゃんとしなよ。私の大好きなお兄ちゃんはそんな尖った態度を取る人じゃないわよ」
「おはよう」
結局即挨拶をした勝である。しかし表情は引き攣っていて面白くなさそうだ。大和と美和は苦笑いである。
「おはよう、ダーリン」
すると希がそんな呼び方をするものだから勝の視線は再び厳しくなる。大和は彼から目を逸らし希に「おはよう」と返した。とにかくこの場に居づらいので大和は希と美和をすぐに車に乗せる。
希の音楽関係の荷物はスティックだけなので手間はない。……はずだが、なぜか希はピクニックにでも行くかのような大きなバスケットを持っている。しかしやはりそれほど手間はない。大和もすかさず運転席に乗り込んだ。
「ダーリン」
エンジンをかけようとしたその時、助手席の希が腕を広げて大和に向いた。今度は希が助手席のようだ。
「ちゅう」
「バ、バカ」
「私は気にしませんよ?」
すると後部座席から2人の間に顔を覗かせた美和がニコッとして言う。随分楽しそうだ。
「行くよ!」
まだ玄関前で鬼の形相を浮かべたシスコンがいるのに、そんなことできるわけがない。そもそも集合住宅の美和ならまだしも、女子高生をカノジョにして本人の自宅の玄関先でそんなことができるわけがない。大和はエンジンをかけると希の「ちぇ」という声とともに車を発進させた。
「今日は一日デートね」
「デートじゃなくてレコーディング」
次の目的地に向かう最中、そんな会話が繰り広げられる。後部座席から顔を覗かせる美和はその様子を「くくく」と笑っていた。
「デートよ。早起きして人数分のお弁当も作ったんだから」
「え!?」
これには驚いて大和は希に振り向いたが、生憎運転中のため一瞬だ。とは言え、その事実は初耳である。
「私とのんが交代でお弁当を作るんです。5回中1回だけは唯が頑張るって言ってました」
「そうなの!?」
今度は信号で止まったので、大和はしっかり後部座席に振り返る。希が持ち込んだバスケットの意味が解せた。
「う……」
しかし美和の顔が近い。そして美貌に目を奪われる。すると。
「ちゅっ」
頬にキスをされた。大和は美和の柔らかい唇の感触に頭が茹で上がる。
「むむ! 私も」
と、すかさず希が言うが、生憎車内が広いハイエース。ブレーキペダルに足を乗せたままの大和は助手席まで体を伸ばすつもりがない。それならばと希は迫って来る。
「ちょ! 危ない!」
「ちゅぅぅぅぅぅ!」
なんなんだ、この浮かれた女子たちは。とは言え、カノジョからの手作りの弁当に心躍る大和である。
そんな浮かれた一行は次のメンバー、古都の自宅に到着した。
「大和さん、ちゅぅぅぅぅぅ」
助手席に乗り込んだ古都もこの調子だ。とは言え、自宅前。大和は無視して車を発進させた。無論、無視とは大和の心の中での言い聞かせであって、我慢しているというのが本音である。ムッツリめ。
「おはようございます」
「おはよう」
そして最後に乗り込んだのが唯で、やはり助手席だが、彼女は大人しい。ほっこりとした癒しをくれる。それが残念なような、ホッとするような大和だが、少なくとも安全に運転できることは救いだと思った。
やがて市境を超えて到着した街にあるレコーディングスタジオ。出発地から見て都心寄りに位置するその市の中心部にあるスタジオは、コンビニ跡を改装してできた平屋のレコーディングスタジオだ。唯の自宅から30分余りでの到着だった。
18畳ほどと10畳ほどの演奏スタジオの他に、コントロールルームがあり、そのコントロールルームの中にはボーカルブースがある。練習スタジオとしての貸し出しもしているが、基本は本格的なレコーディング向けのスタジオだ。
機材などの都合上、車で来るバンドマンが多く駐車場は広く確保されている。その駐車場にハイエースを停めるとメンバーと大和は降りた。メンバーは皆一様にこれから始まる創作に向けてワクワクしており、笑顔ながら緊張を含んだ表情は真剣である。
メンバーは各々自分の楽器とエフェクター類を手に持ち、大和は希の荷物を半分負担した。
「さ、行こうか」
『はい!』
元気に返事をしたメンバーの声を聞いて、大和は入り口の扉を開けた。
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