第三十五楽曲 第四節

 カランカラン。


 入り口のドア鈴の音に反応して唯が立ち上がる。すると顔を見せた仕事着のYシャツ姿の男に唯の表情が明るくなった。


「高木さん!」

「あれ唯ちゃん!? え? うそ? もしかしてもう終わっちゃった?」

「まだですよ、高木さん」


 答えたのはカウンターの中にいる杏里だ。来店した男は常連客の高木だった。杏里はステージを指して続けた。


「今、寄せ集めバンドが前座やってます」

「寄せ集め?」


 高木が怪訝な表情でステージを向いた。スタンディングの客がステージ前を埋めているためよくは見えないが、大和と響輝と、なぜか勝がステージ上にいることだけは理解した。


「今日仕事なのに来てくれたんですか?」


 高木の疑問は唯の質問で遮られた。高木は唯を向くと朗らかな笑顔を見せて答えた。


「あぁ。お客さんのとこに行ってたからその帰りに寄っちゃった」

「わざと営業周りのスケジュールをここに寄れるように組んだんでしょ?」


 すかさず杏里のツッコミが入る。図星を突かれて高木は頭をかいた。

 住宅メーカー営業マンの高木は日曜日のこの日、出勤日だ。しかし久しぶりにダイヤモンドハーレムと会えるので、仕事をサボってここに来ているのである。そして実際に唯の顔を見て嬉しそうだ。


「わざわざお仕事の調整をしてくれてありがとうございます」


 そう言いながら唯は整理券を受け取った。すかさず高木は杏里にウーロン茶を注文する。仕事中なので酒を飲むことは叶わない。いつもとは違うソフトドリンクを手にする高木が唯には新鮮に映った。


 この後、ステージの現状を聞いて納得した高木は、早速オーディエンスに紛れた。その頃ステージではちょうど勝がセッティングを終えた頃だった。と言ってもチューニングは古都が済ませており、エフェクターもない。自信がない勝は緩慢な動きでギターを直接アンプに繋いだだけだ。


『それじゃ! 2曲目いきます!』


 そして響輝の発声で演奏が始まった。このコピー曲は高校生でも知っている有名な邦楽のロックである。ぎこちないながらもイントロを弾き、声をマイクに通す勝。その様子をPAブースで見守る2人の女子。


「勝さん、案外歌うまいんだね」

「うん。初めて聴いた」


 美和の言葉に頷くのは希だ。互いに相手の耳元に口を近づけて交互に張った言葉を送る。しかし……。


「けど、ギターがどこかぎこちないけど……」


 はっきり下手だと言わないのは美和の優しさである。するとよく自宅で勝と演奏をしている希は言う。


「たぶん忘れてるだけよ。この曲を弾いてるのは聴いたことがないから」

「そういうことか。確かにそんな感じだね」

「少なくとも1年前の合宿で古都に教えられるだけの実力はあったし、普段家では他の曲をもっとスムーズに弾いてるわ」

「なるほど」


 昨年のゴールデンウィークを思い出して納得した美和。希は本来の実力を知っているが故の意見である。尤も本人に面と向かって褒めたことは一度たりともないが。


「勝! ギターはいいからしっかり声出せ!」


 客席では常連客からの野次が飛ぶ。轟音で声は届かないが、言った常連客が口元で手をパクパクさせるジェスチャーも交えたので、勝は読み取った。そしてアドリブで全てパワーコードに切り替えて歌に集中した。すると勝の歌が思いの外うまいのでオーディエンスは盛り上がった。

 容姿が整っている勝なので、ステージはそれなりに映えていた。そうしてなんとか1曲を歌い終えた勝はどっと疲れたように肩を落とし、ステージから下りた。


『それじゃぁ、最後の曲! よろしくお願いします!』


 大和がそう言った途端、泰雅がハイハットでカウントを鳴らし、最後の曲が始まった。途端に皆の目と耳がステージに集中する。


 それは実に大和らしい編曲アレンジで、響輝のギターリフを強調したメロディアスでハードなサウンドだ。クラウディソニックを知っている者はもちろん、現役当時のクラウディソニックを知らない唯と希までが、それは大和が作った曲だとすぐに察した。

 そしてイントロを経て歌に入ったのは大和である。本来のボーカルがいない限定的な再結成のスリーピースバンド。ボーカルは大和と響輝で曲によって分けていた。音域が広く優しい印象のある男声に、オーディエンスは聴き入る。


 コピー曲を1曲挟んだため一瞬頭から離れたが、これもクラウディソニックの音楽だ。今のダイヤモンドハーレムをも連想させる大和の音楽だ。当時のクラウディソニックを知るオーディエンスは思い出していた。

 泰雅のバスドラがつま先から入り込み、大和のベースが鳩尾に落ちて体中に広がる。そして響輝の伴奏が鼓膜を刺激し、歌を乗せてそれらすべてのサウンドが脳天に走り抜ける。そんな疾走感のある曲だ。


 一度泰雅がクラッシュシンバルを叩けば体が浮き上がるような感覚に襲われ、それに倣ってオーディエンスは拳を突き上げる。体中のノリを刺激してくれて、この音楽を奏でられるからこのバンドを贔屓目なしに応援していた。常連客のおっさんたちは実にいい表情で、目に薄っすらと涙を溜めていた。

 ロックを愛して止まない先代の店主。彼がいたからその孫を知り、その音楽に期待して応援した。そもそもは自分たちのロックの語り場を用意してくれた先代の店主だ。常連客の誰もが逝ってしまった尊いその先人を思い出していた。


 そんな感動を抱くステージはやがて終え、スピーカーから音は鳴り止んだ。昼間からだが、どうしても酒が進む河野はウィスキーのお代わりを頼もうとカウンターの中の杏里を向いた。


「杏里。おい、杏里?」


 杏里はステージ上の響輝を見ながら目がハートである。完全に仕事を忘れている。河野は少しの間、酒はお預けかなと肩を落とした。


 しかし杏里だけではない。その正面に座る唯もステージでベースボーカルを務めた大和を見て目がハートだ。せっかく大和のステージを観ているのだから色呆けしていないで、同じベーシストとしてしっかり勉強をしたらどうだろうか。

 とは言えそれも無理はないのだろう。なぜならステージ袖にいる古都も大和に目がハートだ。演奏が終わったのだから次は自分たちの番だ。惚けてないで進行役なのだからしっかり動いたらどうだろうか。

 しかしそれだけでは済まない。PAブースにいる美和と希も大和に目がハートなのだ。せっかく貴重なステージなのだから、美和はアドバイザーの響輝を、希は師匠の泰雅の演奏をしっかり目に焼き付けてはどうだろうか。


 とまぁ、こんな感じのダイヤモンドハーレムだが、程なくして自我を取り戻すと着替えのためにステージ裏の控室に集まった。

 ステージを終えた大和は次のメインステージに向けてPAブースに身を入れた。響輝と泰雅はホールで酒を飲みながら客たちと固まった。そんな中泰雅が、離れた場所にいる勝に視線を向けて響輝に言う。


「しかし、勝さんがいるとは……。確かに地元一緒だもんな。けど、なんで希と一緒に演奏するなんて言ったんだ?」

「兄妹だからな」

「は!?」

「ん? 知らなかったのか?」

「……」


 口をあんぐりと開けて固まる泰雅。そう、泰雅にとっては初耳である。無理もない。営業中のゴッドロックカフェに来られるようになったのも最近なら、希はあまり積極的に自分のことを話さない。それが勝のこととなれば尚更だ。

 この後泰雅は響輝から、希と勝が親の再婚同士の兄妹であることを聞かされた。更に、勝がシスコンである事実も聞かされ、希の扱いには気を付けようと思った。


『うおー!』


 すると客席から歓声が上がる。響輝と泰雅がステージに目を向けると、装いをセーラー服に変えたダイヤモンドハーレムが麗しい笑顔で登場した。メンバー皆楽器を抱え、客席に向かって手を振っている。


「やっぱり楽器が変わった」


 常連客たちが気づく。彼らに古都のテレキャスターと唯のジャズベースがお披露目である。やっぱりと言ったのはビーチでのライブ映像を観ていたからだ。


『こんにちは! ダイヤモンドハーレムです!』


 まずは古都がお決まりの挨拶を口にして、この日のダイヤモンドハーレムのステージは始まった。

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