第三十五楽曲 第三節
スポットライトに照らされた私服姿の古都はホールを見渡す。常連客や学友やメンバーの家族の視線が集まっていることをしっかり確認した。奥のPAブースには希がいて、彼女の補佐にちょうど美和が入ったところだ。
少し見えづらいが入り口に一番近いカウンター席には整理券回収のため唯がいる。メンバーは皆私服姿だ。唯とはカウンターを挟んで対面に杏里がいて、仕事の手を止めている彼女もまた、古都に向いている。
『今日は私達ダイヤモンドハーレムの帰還ライブのために集まってくれてありがとうございます!』
「おかえりー!」
ホールから黄色い声が響く。古都がニコッとしてその方向を見ると、正樹に寄り添った江里菜からであることがわかった。そして続く歓迎の歓声。
「おかえりー!」
「待ってたぞー!」
野太い中年おやじの声である。山田と田中だ。とは言え、ここがダイヤモンドハーレムのホーム。常連客こそバンド結成時から応援してくれた一番長い付き合いのファンだ。4週間空けた家に帰って来て、それを待っていた彼らに古都は満面の笑みを返す。
『おかげさまで私たちは多くの経験を積んで帰って来ました。それを今まで一番近くで応援してくれた皆さんに今日はお見せしたいと思います』
『おー!』
『ピー!』
口笛を鳴らして応える者までいる。集まった客は一様にその時を楽しみにしている。しかし古都は言う。
『とその前に!』
『ん?』
なにかある。それが何なのかはわからないが、客は皆そう感じた。
『今日のステージは2バンド構成!』
ダイヤモンドハーレムのワンマンライブだとばかり思っていた客たち。途端にホールがざわつき出す。
『それではオープニングアクト! カモン! クラウディソニック!』
『は!?』
『え!』
特に驚いたのは常連客だ。「クラウディソニック」そのバンド名に。2年前までずっと応援していたバンドだ。この店の当時の先代の店主の孫が組んでいたバンドだ。そして一部のメンバーの不祥事によりそのバンドは解散した。もう見られないと思っていた。
客席でポカンと開けた口を両手で覆うのは古都の中学からの同級生の華乃と、古都の妹の裕美だ。
華乃はインディーズバンドに精通していて、彼女がきっかけで古都はクラウディソニックを追い始めた。そしてその様子を裕美は自宅で何度も見ている。無論、この2人はクラウディソニックが突然消えたバンドだと認識している。但し事件のことは知らない。
クラウディソニックに馴染みが薄い学生の中にも彼らをよく知る人物があと1人いる。美和の幼馴染の正樹だ。彼もまた美和が地元のバンドのクラウディソニックに憧れていたことは知っている。驚きで表情が固まっていた。
――あのクラソニが出るのか?
すると古都が捌けたステージに袖から出て来たのは
まずはマイクの前に立った響輝が言う。
『皆さん、こんにちは』
多少のざわつきを残すホールだが歓声の類は上がらず、客は皆ステージに注目していた。さすがに緊張をしている響輝だが、場慣れしている彼はその様子を見せない。
『今日はダイヤモンドハーレムの帰還ライブってことで、前座として少しだけ時間をもらいました』
パチ、パチ、パチ……。
カウンター席でウィスキーのロックを飲んでいた河野が手を叩く。彼は椅子を回して体ごとステージに向いており、その手から甲高い音を響かせた。するとそれに呼応するように常連客が拍手を始め、表情がみるみる柔らかくなった。それを見てホッとしたステージ上の3人。大和が少しばかり苦笑いを浮かべてマイクに声を通す。
『すいません。突然の僕たちのステージで。ダイヤモンドハーレムはワンマンやれるほど曲がないので』
「お前がどんどん作れよ!」
「そうだ! そうだ!」
途端に常連客から手荒いヤジが飛んだ。しかしその表情はどこか嬉しそうで、それにステージ上の3人は温かい気持ちになる。
「俺たちはダイヤモンドハーレムを観に来たんだ!」
「そうだ! 腑抜けたステージやったら無銭飲食するからな!」
『もちろん後悔はさせません! だって僕たちはクラソニですから』
その強気の発言さえも頼もしくて微笑ましい。弟や息子のように可愛がってきたバンドが、今こうして復活をしている。サプライズを成功させられて悔しい反面、この日が来たことに常連客は何とも嬉しい。
またこのサプライズはダイヤモンドハーレムに向けてのものでもあった。泰雅が常連客に受け入れられたことで、それならばと響輝と杏里がクラウディソニック再結成を画策したのだ。それをリハーサルギリギリに来たメンバーに伝えられた。その前に練習を兼ねたリハーサルをしていたのがクラウディソニックで、それを隠したかったわけである。
『今日だけの限定再結成です! 見てのとおりスリーピースです。ダイヤモンドハーレムの熱いステージを盛り上げるべく、まずは僕たちとアゲていきましょう!』
そう大和が声を張るとすかさず泰雅が頭上でスティックを4回打った。すると途端に鳴り響く攻撃的なサウンド。ホール全体の空気が膨張したかのように息苦しくなり、その音に皆が仰け反る。
これだ、これである。響輝が作る曲はとにかく重厚でそして自己主張が強い。これがスリーピースバンドだと思えないほどの濃さだ。この場にいるクラウディソニックを知る者は皆が思い出し、初めて聴く曲にも関わらず作曲者が誰なのかを聞かずして理解した。
そう、これはこの場の誰もが初めて聴く曲だ。当時ボーカルを務めていた怜音が逮捕された際、彼が詞を書いた曲は大和と響輝が全て破棄した。しかしまだ詞を書いていなかった曲も残っていた。その中のには大和と響輝が詞を付けた曲もあり、それらの曲でこの日のセットリストを組んでいる。全て未発表曲だ。
するとマイクを通して響輝が歌う。本来のボーカルがいないので、この曲のボーカルは響輝だ。響輝は低音の効いた太い声を、スピーカーから発した。
すると山田と田中がカクテル瓶を片手にステージに寄る。そしてステージ前の手摺に体を預け、しっかりと3人の演奏を見守った。それに続くように他の常連客もステージ前に集結し、その攻撃的な音楽を聴きながら満足そうに酒を喉に通す。外はまだ日の出ている時間帯だが、この日の酒は格別にうまい。
すると当初は尻込みしていた備糸高校の生徒たちも、ステージ前を陣取った常連客の背後につく。初めてクラウディソニックを見る生徒は、こんなバンドがあったのかと身体の芯から熱くなった。
そんな熱気を含んで1曲目が終わった。すると途端に歓声が上がる。汗をかきながらまず1曲終えたステージ上の3人は晴れやかな表情をしていた。
『どうっすか?』
響輝がにこやかな表情でMCを始めた。すると希の兄、勝が声を張った。
「腕、鈍ったんじゃないか?」
そんな野次を耳にして常連客達が楽しそうに笑う。
『は!? 何なら勝さんも参加しますか?』
「俺にお前らと共通の曲はないだろ!」
『ありますよ! 次の曲は勝さんがやってるのも見たことあるコピー曲ですから』
「は!?」
『今日の俺たちのステージは3曲っす! 曲が足りなくて1曲コピー入れたんす』
「やれ! 勝!」
誰ともわからない常連客の声が笑いとともにホールに響いた。
『まさか、勝さんの方こそ鈍って自信ないんすか?』
「そんなわけあるか! いつも希の練習に付き合ってんだよ!」
『じゃぁ、次の曲はギターボーカルおなしゃす!』
「マ、マジ……?」
途端にステージを暗くして響輝と勝にスポットライトを当てたのはPAブースにいる希だ。妹からのまさかの後押しである。実は勝、自信がない。しかし常連客の木村が「勝、勝」とコールを始め、それは広がって、他の常連客と備糸高校の生徒を飲み込んだ。
「マジかよ……、うぅ……」
渋々勝は手摺を潜ってステージに上がった。するとすかさずステージ袖にいた古都が店のエレキギターを持ってきて勝に渡した。
「チューニングはできてます」
「用意がいいな……」
「えへへ。任せてください」
「別に任せてねぇよ。――て言うか、泰雅。お前もいたんだな……」
「久しぶりっす」
まさか溺愛する妹が泰雅からマンツーマン指導を受けているとは知らない勝。特に泰雅に敵意を向けることもなくギターを肩から提げた。
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