第三十五楽曲 第二節

 大和の説明を聞いて古都はそのつぶらな瞳を更に丸くし、希と唯は口をあんぐりと開けた。この後古都が矢継ぎ早に質問を重ね、大和がそれに一通り答えると意識を入れ替えて言った。


「それよりリハ始めるよ?」

「うえーい!」


 ノリノリでステージに上がって準備を始める古都。美和も表情が明るく、その足取りが軽い。それどころか唯と希もどこか高揚しているようだ。

 集合してすぐに気持ちを上げたダイヤモンドハーレムの演奏は見事だった。メンバー皆、活き活きとした表情をしており、それに杏里と響輝が反応した。


「うまくなった? ……よね?」

「そう思ってくれる?」


 自慢げに大和は杏里に答えた。すると響輝も続く。


「うん。うまくなったとも思うし、なんか自信がついたっていうか、さすがに場数を踏んで1ランク上に上がったって感じだな」


 それを聞いて大和は実に誇らしげだ。その様子を隣で感じている泰雅も、広島まで出向いた時は同じことを感じたものだ。それに希の指導を通して、やはり彼にも誇らしい気持ちがある。


 やがてダイヤモンドハーレムがリハーサルを終えて15時、開場だ。入り口では既に備糸高校の生徒が数人、整理券を手にその時を待っていた。常連客も数人いる。


「きゃー! むっちゃん! 朱里ちゃん!」


 唯がクラスメイトの睦月と朱里に気づいて駆け寄る。


「2人とも来てくれてありがとう」

「えへへ。楽しみにしてた」


 朱里が幼気な笑みを浮かべて答える。一方、睦月は慣れない場の雰囲気に辺りをキョロキョロと見回している。


「結構うちの生徒いるのね」

「そうだよ。安心した?」

「別に。あんまり絡みないから」

「そ、そっか……」


 いつものように周囲に関心がない睦月を見て、唯は平常運転だと感じた。隣で朱里は睦月の指を握っていて、この2人はどんどん仲良くなるのだなとも唯は思う。性格もまったく違う2人だが、お互いに居心地がいいのだろう。


「中年の人もいるのね。この人たちがここのメインのお客さん?」

「そうだよ。ライブの時は出演バンドによってお客さんの年齢層が変わるけど、バータイムはこの人たちが常連さん」


 睦月にとっては馴染みのなかった世界である。それは朱里も同様なのだが、彼女は物怖じしておらず、無邪気な表情を浮かべる。

 古都は1人の男子生徒に捕まっていた。山路充やまジ・ミつること通称ジミィ君だ。彼は古都とは面識のない中学時代の友人を2人連れていた。


「ジミィ君、来てくれてありがとう。お友達もありがとう」


 友人2人は麗しい古都の美貌に圧倒された。それは夏休みのため久しぶりに古都を見るジミィ君も同様なのだが。


「う、うん。楽しみにしてた」

「嬉しいな。そう言ってもらえて」


 紅潮させた頬をポリポリかくジミィ君である。


 美和は古都の中学からの友人でクラスメイトの華乃と一緒にいる。華乃は古都の妹の裕美を連れていた。


「へー、裕美ちゃんって言うんだ。初めまして」

「初めまして」


 ペコリと頭を下げた裕美は中学の制服姿だ。受験生の彼女は近くの塾で受けていた夏期講習を抜けて来ていた。と言っても姉と違って元来勉強のできる裕美だから、そもそも夏期講習を受けているのは、周囲に言われるがまま通っているに過ぎない。

 美和は行儀のいいその佇まいに古都とはギャップを感じる。しかし、姉妹揃って美少女だなと感心した。


 希はクラスメイトの江里菜と正樹のカップルと一緒にいる。その2人の周囲には野球部の部員もいるし、昨年の美和のクラスメイトだった漫才コンビもいる。江里菜以外はなんだか昨年の学園祭を思わせるメンバーである。


「なぁ、奥武?」

「なに?」


 正樹が希の変化に気づいて声をかけるが、相変わらず希の反応は素っ気ない。


「腕、引き締まってないか?」

「むむ!」


 不安要素を突かれて不本意な希。心配事でもあるので、すかさず質問を返した。


「太くなった?」

「うーん……。細くはなってないけど、太くなったって感じはしないな。ただ、筋肉に変わったのは見てわかるよ」

「そう。それなら良かったわ」

「何やってんだ?」

「筋トレ」

「へー。今度俺たちにも教えてくれよ?」

「いいわよ。あなたたちなら体重を増やしたうえで私がこれからやるトレーニングをすれば、効果がもっと上がるかもね。そうすれば甲子園も夢じゃないわ」


 そんな話をするが、この時希は気づいていない。やることが多すぎて彼女に割ける時間はもうないのだ。だから体幹トレーニングのレクチャーが実現することはない。


 そんな冒頭を経て生徒たちがホールで各々の場所を確保すると、常連客も続々と集まって来た。古都はすぐに山田と田中に挟まれる。


「古都ちゃん、映像観たよ?」

「あ! ビーチでやったやつですか!」

「そう、そう。水着姿、ご馳走様」

「えへへん。出血大サービスです」


 美和は食品加工工場の藤田と一緒にいた。久しぶりに見るメンバーを前に、藤田の表情も締まらない。


「藤田さん、旅行代理店の紹介、本当にありがとうございました」

「いえいえ。それほどいい宿は手配できなかったって聞いてるけど?」

「全然です。常連さんたちからのカンパもあって、おかげで予算内に収まりました」

「そっか。それは良かった」


 役に立てたことが嬉しそうな藤田である。ただ美和はこう言ったがまだ高速代とガソリン代の清算が終わっていない。後ほど大和がインターネットで金額を確認する予定だが、しかしそれほど心配するような金額ではないというのが大和の見解だ。


 カウンター席の一番端で整理券を回収している唯には弁護士の河野が寄って来た。


「大和も響輝もいないな」


 辺りをキョロキョロとしていた河野だが、カウンターの中で杏里がドリンクの提供をしているのは目に留めた。整理券の回収はダイヤモンドハーレムのメンバーが自らやっている。それ故に浮かんだ河野の疑問で、それに唯は答えた。


「今、色々と準備をしてます」

「ふーん。今日は響輝も手伝ってんのか?」

「そうみたいです」


 どこか唯の表情は晴れやかで、その時を楽しみにしている様子が河野には読み取れた。するとすぐ近くの入り口を開けたのは唯の父親と姉の彩だ。


「お父さん! お姉ちゃん!」

「やっほ」

「唯、お疲れ様」


 河野が会釈をして少し離れたカウンター席に着いたので、唯は父親と彩に寄って整理券を回収した。


「2人だけ? だよね……」


 唯の表情が曇る。決別した母親だがその分の整理券も渡していた。やはりここに来てくれることはなく残念だ。それどころか昨晩帰ってからは不遇の扱いを受けた。どれだけ嫌いだと言っても、やはり認めてもらいたいのが本音である。

 博多に母親が押し掛けたことを聞いている彩は眉尻を垂らし、父親は唯を励ますように笑顔を浮かべて唯の頭を撫でた。首を縮めた唯は父親を見上げて問う。


「まだあの調子?」

「まぁ。でも気にするな」


 そうは言うものの、不安は拭えない。唯は自宅を思い返して億劫になった。


 希には建設会社次期社長の木村がついていた。雑談を交わしているだけだが、そんな希に別の声がかかる。


「のぞみぃ~」

「む! 木村さん、学校の友達にあの雰囲気を見せるわけにはいかないから、お兄ちゃんのお守りよろしく」

「おう、任せろ!」


 木村の言葉を頼もしく思う希。到着したその男に目もくれない。


「ちょ、どこ行くんだよ? 希。お兄ちゃん、来たぞ?」

「私はこれからやることがあるの。お願いだから大人しく過ごして」


 そもそも大人しくするような店ではないのだが、もちろん希の意図は別のところにある。希は勝に対して背中越しにそう言うとスタスタと歩き、PAブースに身を入れた。そしてすかさずホールの照明を落とす。


『お待たせしましたー!』

『おー!』


 するとハンドマイクを持ってステージに上がったのは古都だ。観客からの歓声を耳にして、希は古都にスポットライトを当てた。

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