第三十五楽曲 第一節

 お盆以来となる自宅での時間を過ごした大和。それはダイヤモンドハーレムも同じなのだが、大和はツアーが終わった翌日のこの日、ゴッドロックカフェに下りてきていた。昼下がりで外は燦々と太陽が照り付けるが、店内からその様子は窺えない。


「いい感じだな」

「あぁ。久しぶりにしては上出来じゃないか?」


 響輝の声かけに応えたのは泰雅である。彼らは今、大和と一緒に開店前のホールで円卓を囲っている。この日は日曜日で本来定休日だが、ダイヤモンドハーレムの帰還ライブがあるため営業だ。


「ちょい、ちょい、杏里?」


 そしてもう1人いる。大和はその杏里の顔の前で手を振って問い掛けるが、彼女は先ほどまでのステージの残像から意識が離れず、目がハートである。


「ったく、色呆けかよ……」

「む! なによ? 日照りだからって僻んでんの?」


 泰雅の恨み言に棘を添えて言葉を返す杏里。それに対して泰雅は応戦する。


「別に女には困ってねぇよ」

「ふん。どうせ店のお客さん食ってんでしょ?」

「……」


 図星のようだ。何も答えない泰雅に杏里は追い打ちをかける。


「飲んで踊って頭がパリピになった女と寝て、それに胸を張られたところで何の自慢にもならないわよ」

「客をバカにするなよ」

「へぇ、へぇ。それは失礼しました」


 けんか腰の2人であるが、その様子に大和と響輝は微笑ましくなる。一緒にバンド活動をしていた現役時代を思い出すようだ。杏里がここまで泰雅を受け入れられるようになったことに喜びもひとしおである。


 ダイヤモンドハーレムが全国ツアーに出ている最中、店は杏里が任された。そんな盆明けのある日、それは泰雅が非番の日であった。響輝は翌日が仕事にも関わらず、泰雅を半ば強引に営業中のゴッドロックカフェに引っ張り込んだのだ。

 それに杏里が驚いたのはもちろんのこと、来店中だった常連客までもが泰雅を見て目が点になった。無理もない。あの事件以来、常連客は初めて泰雅を目にするのだから。


 泰雅はその常連客を前に恐縮と気まずさからなかなか顔を上げられなかった。そもそも泰雅は先代の時からそれほどゴッドロックカフェに来ていたメンバーではないが、来たことがないわけではないし、クラウディソニックのライブを通して常連客からは周知されていた。

 そんな凍り付いたとも言えるような空気をわざと読まなかったのは響輝だ。無理して作った笑顔を浮かべて言った。


「久しぶりに泰雅と飲んでたから連れて来ちゃいました」


 ほんのり頬を赤らめた響輝の言うことは事実だ。希のドラム指導がないこの間、休みの泰雅とこの地元の備糸市内で会って、酒を酌み交わしていたのである。それも事件当日以来だ。


「山田さん、泰雅ですよ? 泰雅。覚えてるっしょ?」


 背後から響輝に顔を寄せられて話を振られた機械系工場員の山田は、ぎこちなく「あ、あぁ」と返すだけであった。それを確認して響輝はその隣に座っていた大工の田中に首を振る。


「田中さん、俺と一緒にバンドやってた泰雅っすよ?」

「あぁ、覚えてるよ」


 山田同様ぎこちなく答える田中。一方、一向に顔を上げられない泰雅ではあるが、その重苦しい雰囲気は感じている。店内にこだまするBGMのハードロックが空気を読んでいないかのようだ。それに耐えられず、泰雅は口を開いた。


「響輝、いいよ。やっぱり俺、帰るわ」

「杏里、テキーラをショットでくれ」

「はい」


 それは端席に座っていた弁護士の河野からの注文であった。杏里はもう動揺した様子を見せず、カウンターの中で淡々と注文の品を用意した。それを目で追う響輝と泰雅。


「はい、テキーラ」

「サンキュ」


 河野は差し出されたテキーラを手に持つと席を立った。そして数歩歩き泰雅の前に立つと、テキーラを胸元に掲げながら泰雅を見上げる。


「もう1年半経つのか」

「そ、その節は……」


 感慨深げにも聞こえる河野の言葉に対して、泰雅は震える声を発した。しかしその先の言葉が出てこない。元メンバーや杏里の時とは違い、これだけの目に晒されてさすがに怯えている。


「お前が巻き込まれた形なのは理解してる。しかしお前にも甘さはあった。けど、ここに来れるほどになったってことは、この1年半後悔して反省したってことだろ?」


 胸に刺さる言葉に泰雅は俯いたまま目をギュッと瞑った。河野の言う通りだ。当時浮かれていた自分に隙がなければ防げた。いや、メンバーが薬物常習者だったことは防げなくても、少なくとも自分が当事者になることはなかった。それが自分の甘さだと思った。

 結果、当時の先代店主の孫をバンドもろとも本気で応援していた常連客を裏切った。事件という結果に、皆が一様に落胆を示したことくらいわかっている。そんな後悔と反省を胸にこの1年半を常に過ごしてきた。

 すると恐縮そうにしていた泰雅は目をキリッとさせて顔を上げた。


「はい。せっかく応援してもらっていたのに、期待を裏切ってしまって、本当にすいませんでした」


 泰雅はこの場にいる常連客全員に頭を下げた。それに対して肩の力が抜けたように表情が柔らかくなったのは常連客だ。響輝もホッとしたようで表情が綻ぶ。河野は笑顔を浮かべて手に持っていたテキーラを泰雅に差し出した。


「ほれ、飲めよ」

「はい」


 泰雅は差し出されたショットグラスを受け取ると、そのテキーラを一気に煽った。すると途端に常連客が賑やかさを取り戻す。


「杏里、俺にもテキーラショット。――泰雅、俺の酒も飲め」

「俺もテキーラ」

「はいよ」


 ずっと表情を変えていなかった杏里だが、どこか呆れ顔になって注文された何杯ものテキーラを用意した。泰雅はその勢いに気圧されるが、出された酒を全て飲み干した。


 そんな時を経て、泰雅は常連客に挟まれてこの晩をゴッドロックカフェで過ごした。その様子を横目に感じながら、響輝がカウンター席で杏里に話しかける。


「良かったよ、受け入れてもらえて」

「そうね。常連さんたちは皆対応が大人だから」

「常連さんだけじゃねぇよ」

「ん?」

「杏里もだよ」


 そんなことを言われて目の前の恋人をジッと見据える杏里。響輝はどこか微笑まし気だ。杏里は表情を変えずに言った。


「大和が許したんだもん。今の店主がそういう意向なら、お客さんとしての入店を拒むわけがないから、雇われの私に拒否する権利はない。そもそものんとの練習で営業前に出入りはしてるわけだし」


 ツンとした様子で言ってのける杏里だが、それでも響輝はここまで彼女が譲歩してくれたことが嬉しい。

 大和はそれを広島まで来た泰雅から聞いた。それに喜んだ。そしてこの日、ダイヤモンドハーレムの帰還ライブを盛り上げるために集まったのである。


「おはようございまーす」


 するとホールに聞こえてきたのは美和の声だ。最寄りの備糸駅から見て唯一方向が違う彼女は、リハーサルを控えて1人で裏口を潜った。楽器は昨晩大阪から帰って来て店に置いてあったため身軽で、彼女はホールまで歩を進めた。


「おは……、あ、どうも。こんにちは」


 ぺこりと頭を下げる美和の言葉は泰雅に向いていた。泰雅は人見知りをしているのか、視線を泳がせて「お、おう」とだけ答えた。この2人が対面するのは実に1年ぶりで、昨年の路上ライブ以来だ。


「今日は泰雅さんも観に来てくれたんですね」

「それだけじゃないよ」


 口を挟んだのは杏里だ。どこか得意げな彼女の表情を見て美和は「ん?」と首を傾げる。やがて美和は杏里からの説明を聞いて目を輝かせた。


「本当ですか!?」


 そんな反応を見て安心したのは泰雅で、杏里は相変わらず誇らしげである。


『おはようございまーす』


 すると聞こえてきたのは3人の女子の声。古都、唯、希だ。


「泰雅さん!」


 ホールまで進むなり泰雅を見て、綺麗な声を轟かせたのは古都だ。希は珍しさこそ感じないものの、泰雅がここにいることに驚いている。美和同様1年ぶりに泰雅と顔を合わせる唯は、お互いに人見知りをしながら挨拶を交わした。

 すると杏里が美和に説明をしたように、今度は大和が後から来た3人に説明をした。

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