第三十二楽曲 第二節

 大和と美和が最初に出向いたのは道頓堀。夏休みで日曜日のこの日は賑やかだ。大和はジーンズに半分だけ手を突っ込んで、この地のシンボルとも呼べる看板を見上げる。


「あ、あの……」

「ん?」


 美和がモジモジして言うので大和は首を傾げた。美和は手を少しに前に出しては引っ込めるという動作を繰り返す。


「えっと……」

「ん?」


 更に首を傾げる大和。かなり鈍い。わかってはいたことだが、美和は自分から言わなくてはならないかと内心嘆息する。そして一度小さく深呼吸をすると意を決して言った。


「手、手を……繋ぎませんか?」

「……」


 すぐには言葉が出なかった大和だが、それでもやっと解せた。しかし困惑は残るので何と答えたらいいものか迷う。けどこういうのは初めてではないし、他のメンバーとも経験がある。そんな小さな葛藤が芽生える。

 因みに美少女からの手つなぎデートのお誘いに、本音では嬉しいと思っているからこの男、現金だ。


「えっと、人が多いので、少し怖いから」


 困惑を見せる大和に美和が押す。こんな精神状態の美和にしては頑張った方だろう。大義名分を得た大和は表情を明るくさせた。


「うん。よろしく」


 そう答えて美和の手を握ると、美和もしっかりと大和の手を握り返した。大和の右手に伝わる美和の左手は柔らかく、そして細くしなやかで、しかし指先だけは硬い。ギタリストの指の感触を大和は肌で感じた。


「まずはお好み焼き?」


 歩を進めると大和は問い掛ける。正午を過ぎた時間帯で空腹は感じている。まずは昼食かと思っての質問だった。それを理解して美和は答えた。


「はい。お願いします」

「うん。じゃぁ、僕が現役の頃、全国を回ってた時に知った店があるからそこ行こうか?」

「楽しみです」


 俯き加減ながらもほんのり笑みを浮かべる美和。横を歩く大和には美和の髪でその表情を確認することはできないが、声色が明るかったので安心して件の店に向かった。

 道中、美和は大和の一挙手一投足を過剰に意識してしまう。手を繋いでいるので時々肩が大和の腕にぶつかり、密着しているようにも感じる。それが嫌ではなく、しかしそのせいで心臓が落ち着かない。声は耳元から届くようでどこか甘く聞こえ、浮遊感を与える。完全に恋する乙女である。


 やがて到着した店は雑居ビルの地下にあるお好み焼き店。十数卓の4人掛けのボックス席があり、そのテーブルの真ん中は鉄板だ。店は混雑しているものの、大和と美和の席はなんとか確保でき、2人は腰を下ろした。

 店内は人の会話と鉄板がお好み焼きを焼く音が響き、煙と香ばしい匂いが充満する。大和が店の雰囲気を懐かしむ一方、美和は初めて来るこの場でキョロキョロと視線をさ迷わせていた。


「どれにする?」


 大和がメニュー表を広げて問うと、美和はそれを眺めた。しかし決め手がないので、大和に視線を移す。


「大和さんはどれにするんですか?」

「僕はデラックス」

「じゃぁ、私もそれで」

「了解。飲み物は?」

「じゃぁ、ウーロン茶で」


 大和は一度笑顔を向けるとメニュー表を閉じて店員を呼んだ。美和にとっては大和のこの穏やかな笑顔がいつものとおりなのでありがたい。未だに意識する気持ちは拭えないものの、安心を与えてくれる笑顔だ。徐々にではあるが、平常心を取り戻しつつあった。


「デラックス2つとウーロン茶とコーラ」

「はいよ」

「あとご飯も」

「え!? お好み焼きにご飯ですか?」


 聞き慣れない組み合わせに思わず美和が口を挟んだ。一瞬キョトンとした大和だが、美和の反応が理解できて説明をした。


「前にこっちのバンドの人がそういう食べ方をしてたから試してみたらハマっちゃって。美和もご飯いる?」


 ブンブンと首を横に振る美和。その様子が可笑しくて大和は笑ったが、美和からすれば大和が可笑しい。しかしちょっとだけ興味があったので美和は店員に向いて言った。


「取り皿を1つもらえますか?」

「はいよ。以上でいいですか?」

「はい」


 店員が席を離れたのを確認して、美和は少し上目遣いで大和を見据えた。


「大和さんのご飯、少しだけ分けてください」

「お! 試してみる?」

「はい」

「いいよ。わかった」


 すると美和はもう1つツッコミを入れた。


「お好み焼きとコーラは正樹がやってるのも見たことがあるから理解できますけど、ご飯を食べる時にコーラですか?」

「ん? ダメ?」

「ダメじゃないですけど。大和さんの食生活ってどうなってるんですか?」

「うーん……。基本的には炭酸でできてるかな」

「あはは。確かにビールや炭酸のカクテルばっかり飲んでるイメージです」

「ははは。否定はしない」


 ここまでくると美和の肩からはかなり力が抜けたようだ。これがデートかと美和は噛み締めた。幼馴染の正樹とは、彼に交際相手ができるまで行動を共にすることはよくあったが、美和にデートの認識はなかった。美和は心が弾むこの場の空気を楽しむ余裕が出てきた。


 注文の品はすぐに来た。大きなお椀に入れられた生地を見て美和の表情が華やぐ。そしてすかさずテーブルに置かれたお椀に手を伸ばそうとした。


「あ、待って」


 するとそれを大和に制された。美和は首を傾げる。


「ここは店員さんが焼いてくれるんだよ」

「へー、そうなんですね」


 納得した美和は宙に浮いていた手を膝の上に引っ込めた。すると若い男の店員がお椀の中を慣れた手つきでかき混ぜ、やがて鉄板の上に形を整えながら敷き始めた。弾けるような音が食欲をそそり、煙や跳ねた油が一緒に上がる。


「凄い。分厚いんですね」


 目を輝かせて鉄板に見入る美和を大和は微笑ましく眺めた。2人分のお好み焼きが鉄板に敷かれると蓋が被せられ、そこで店員は席から離れた。


「わぁ、楽しみです」


 満面の笑みで蓋の取っ手をツンツンと突く美和。その無邪気な様が外見のクールさとはギャップを感じさせ、不覚にも大和は射貫かれる。大和は心の中で被りを振って話しかけた。


「勝手に蓋を開けると店員さんが飛んできて怒るからね」

「え!? そうなんですか?」

「あはは。ちょっと言い過ぎたかな。けど、店員さんが来て注意をするのは本当」

「へー。拘ってるんですね」


 こうして大和と2人きりで食事を共にして、自然な会話を交わせるのが美和は嬉しい。恋愛自体が初めてで、その時々のテンションに左右されて自分で自分を振り回してしまうが、それも全て淡い気持ちの中に存在する。美和はこの時間を大事にしたいと思った。


 そんなことを思いながら大和との時間を楽しんでいるとお好み焼きは焼けた。途中店員が蓋を開けた時は器用にひっくり返していたものだ。それに美和は感嘆の声を上げた。

 そして今は焼き上がったお好み焼き。蓋から解放されて煙がテーブルの上いっぱいに広がった。


「わぁ、美味しそう」


 これまた感嘆の声を上げる美和。店員は慣れた手つきでソースを塗り、マヨネーズや青のりなどを加える。そして4等分に切り分けると一度席を離れ、大和のご飯を持って戻って来た。


「取り皿貸して」

「あ、はい」

「このくらい?」

「もう少し少なくていいです」

「このくらい?」

「はい。ありがとうございます」


 2~3口ほどのご飯が美和の取り皿に盛られた。そしてお待ちかねの実食である。


「んー。美味しい」


 幸せそうに味わう美和を見て、大和はなんだか温かい気持ちになった。その時の美和の表情はとても麗しく、大和は思わず見惚れる。


「ご飯も試してみなよ」

「そうですね」


 と言って美和は試すも……。


「うん。美味しいです。けど、私は純粋にお好み焼きの味を楽しみたいからない方がいいです」

「ちぇ、残念」

「えへへ。けど美味しいと思ったのは本当ですよ」

「なら良かった」


 大和は少しだけ報われたようで、お好み焼きを一切れ口に放り込むとご飯をかき込んだ。

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