第三十二楽曲 第一節
この日の朝食は宿泊したビジネスホテルの1階に併設されたカフェ。朝食付きの宿泊のため、質素なツアー中の食事の中では贅沢な方だ。
その朝食が終わった席で、朝のティータイムを過ごしていた大和とダイヤモンドハーレムのメンバー。徐に古都が美和に言う。
「美和、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
それに唯と希も続いた。4人掛けのボックステーブルに着くメンバーと、その隣の2人掛けのボックステーブルに着く大和。その大和はメンバーのやり取りに乗っかった。
「美和、おめでとう」
「ありがとうございます」
美和は大好きなメンバーと大和から祝辞をもらってご満悦の様子だ。しかし昨晩の余韻が残っていて、恥ずかしさのあまり大和を直視できない。ツアーの解放的な気分も相まって起こしてしまった行動だが、起こしてしまうと結局は初心に戻る美和である。
すると古都が眉尻を垂らして言う。
「本当はね、いつものとおり何かプレゼントを用意したかったんだけど、ツアー中の金欠でそれが難しくて」
「いいよ、いいよ。気にしないで」
美和が恐縮そうに首を横に振る。
昨年からメンバーの誕生日は何かしらささやかなものを用意して渡し合っていた。しかしこれがツアー中の現状である。それでも絞り出す気概を見せるのがメンバーだ。
「だからね、このお店でケーキ食べようか? もちろん私と唯とのんでお金は出すから」
「本当いいって。経済事情なら痛いほど把握してるから」
会計役の美和の本心である。ビーチでのイベントでギャラをもらうとは言え、この先もしかしたら不測の事態が起きるかもしれない。だからそのギャラは一旦無いものとして無駄遣いはしないつもりだ。
しかし唯が言う。
「私たちの気持ちだから」
「それ言われちゃうとなぁ……」
気恥ずかしそうにモジモジする美和はどこか嬉しそうでもある。すると希も続いた。
「じゃぁ2つだけケーキ買って、みんなで分け合って食べるのはどう? これくらいなら美和も気を使わないでしょ?」
「ありがとう。それじゃぁ、ご厚意に甘えようかな」
美和が嬉しそうにそう答えたので、メンバーは追加注文をした。その様子を大和は微笑ましく見ていた。すると注文を終えた古都が大和に問う。
「大和さんはどうする?」
「僕はいいよ。4人で食べな」
「大和さんは何か用意してるの?」
「えっと、まだ……」
ツアーの忙しさで美和の誕生日プレゼントを用意するのを失念していた大和。ばつが悪い。美和の誕生日を忘れていたわけではない。ただ、忙しくて買いに行くことが意識から抜けていただけだ。――というのが大和の心の中での言い訳である。あまり大差はないのだが。
「大和さん」
すると古都が目を細めた。大和は魅力的だが警戒心を煽るその表情に身構える。
「な、なんだよ?」
「今日は午前中に練習してから神戸に移動でしょ?」
「そうだね」
「私達練習が終わったら電車で神戸に移動するから、美和とデートして、2人だけ車で神戸まで移動したら?」
「ん?」
「え? え? え?」
首を傾げたのは大和で、動揺したのは美和だ。古都は大和の怪訝な様子に照準を当てて話を続ける。
「今日はね、いつもより質素なお祝いなの。だから美和に午後半日大和さんの独占権をあげようって3人で話してたの」
「僕の独占権?」
何が嬉しくてそんなものを……と思うのは大和だけの感覚だ。美和は肩に力が入って手を膝に置いている。真っ赤になって俯くその様子から彼女の緊張が手に取るようにわかる。期待する気持ちもあり、しかし昨晩を思い出して恥ずかしさに耐えられない気持ちもある。
「うん。だから大和さんと美和は今日デート。それなら大和さんも美和と一緒にプレゼントを選べるでしょ?」
「あ、そっか。うん、美和がいいならそうする」
趣旨がプレゼント選びなのだと解せた様子で、パッと明るい表情を見せた大和。ここで初めて美和に視線を向けるとガチガチに緊張した様子の彼女が目に入り、今度はそれが解せない。さすがにデートという響きに抵抗があるのだろうかと美和を思いやった。
「やっぱり2人はマズかったかな?」
大和が頭をかきながら苦笑いを浮かべてそんなことを言うので、美和は勢いよく首を横に振った。そして大和を直視できないまま震えた声で言うのだ。
「お、お、お、お願いします」
「良かった。こちらこそよろしくね」
コクン、コクンと今度は首を縦に振る美和。
「デートのお金は大和さんが出してあげてね?」
「それはもちろん」
当たり前だと言わんばかりに大和は力強く答えた。そしてこの後ケーキが運ばれてきてメンバー4人は突き始めた。大和はアイスコーヒーを片手に穏やかな朝を過ごした。
時間は流れ、場所を移して大阪市内の貸しスタジオ店。練習が終わった一行はその店を出ており、もうすぐ昼時という時間帯だ。大和と美和はメンバー3人と向き合う。
「それじゃ、神戸で。気をつけてな」
「うん。大和さんと美和も。しっかり美和をエスコートしてね」
古都がそんなことを言った時既に美和は俯いて顔を真っ赤にしていた。彼女の隣に立つ大和は美和のそんな様子に気づいていない。するとここで美和は思い出してバッグを漁った。そして布製のポーチを取り出す。
「唯、これ」
「ん?」
「バンドのお金。ご飯と電車賃はここから出して」
「ありがとう」
「電車賃は金額を覚えておいて。ご飯のレシートは入れておいてね」
「うん。わかった」
唯が美和から出納帳と現金の入ったポーチを受け取る。すると大和が自分の財布から札を取り出して唯に差し出した。
「今からすぐ神戸に向かうだろ? これ、3人に。中華街で食べ歩きでもしなよ」
「いいんですか?」
「うん。余ったら電車賃に充ててもいいし」
「ありがとうございます」
可愛い教え子だ。社会人として既に収入のある大和は何かと世話を焼く。こうしてなんだかんだと身銭を切ることに喜びを感じるものである。
唯は満面の笑みで札を受け取ると、ポーチの中に入れた。ここで希が美和に言う。
「それじゃ、美和。楽しんで来て」
「うん。本当にありがとう」
「デートなんだから手を繋ぐなり腕を組むなりしても、今日だけは文句を言わないであげる。なんならその後いい雰囲気になってラブホ――」
「バ、バカ!」
さすがに大和が制した。美和は相変わらず真っ赤である。そもそも大和に対するスキンシップが多い希だ。彼女が文句を言えることではない。
「じゃぁ、神戸の宿でね」
古都を筆頭にメンバー3人は大和と美和に手を振って駅に消えた。
この場に残された美和は自分から声をかけられない。ツアー中は解放的になり過ぎて、更に中休みの地元では刺激的なシーンを耳にして、自制できなかった昨晩を悔やむ。確かに悔やむ。しかしなかったことにはできない。悔やむのに後悔できないという矛盾を含んだ複雑な心境だ。
「どこか行きたいとこある?」
美和にとってはそんな気まずい空気を切るように大和が明るい声色で問い掛ける。この時弱く吹いた風に乗せて、美和はほんの少しだけ大和に体を向けた。しかしすぐには言葉が出てこないので、大和が気を使って質問を続ける。
「USJとか海遊館とか?」
女子高生だからそういうところが好みかなと大和は考えた。しかし半日しかないのだからテーマパークはちょっと難しいかと大和は考えを改める。それならば水族館が有力か。そこまで思い至ったところで逆に美和が答えた。
「えっと、道頓堀でお好み焼きとたこ焼きが食べたいです」
「お! 食べ歩き?」
コクンと頷く美和。そして言葉を続けた。
「あと、梅田の楽器店も回ってみたいです」
「いいね。あ、でもここが梅田だな。今ちょうどお昼時か……」
大和は頭の中でタイムスケジュールを組み始めた。そして大よそまとまると言った。
「先に道頓堀に行って、食べたらこっちに戻って来る?」
「はい。お願いします」
それならば車はここに置いておこうと大和は思った。
この後タワー式のコインパークにハイエースを預けると、大和と美和は電車で移動した。デートの開始である。
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