第二十九楽曲 第五節

 団地で最初の角を折れた希は驚いて歩を止める。そして目を細めた。


「むむ。つけて来てたの?」

「あはは。ごめん」


 頭をかくのは大和だ。こんなところにいて偶然だとは到底思えないわけで、それを理解しているからこそ大和は素直に認めた。


「探さないでって言ったでしょ?」

「いや……、それでもこないだの唯のこともあるから心配で」

「宿からつけて来てたの?」

「いや。見つけたのはバス停を降りてすぐかな」


 一度道を間違えてコンビニから戻った時のようだ。希はとりあえず「行くわよ」と言って歩を進めた。2人は肩を並べてバス停に向かう。


「見つけたって、土地勘もないこの街でどうやって?」


 歩きながら希が問うと、大和は自分のスマートフォンを希に示した。そこには画面いっぱいに地図が表示されている。


「なにこれ?」

「GPSを使った地図アプリ。僕が青で希が赤なんだけど、その両方が固まってるから今は紫」

「ちょっと。いつから大和さんは私のストーカーになったの?」


 と言いつつ、その相手が大和だから喜んでいる希だが、大和は言葉のとおりに受け取っているのでばつが悪い。


「いやさ、ツアー出発前に勝さんがいきなりこのアプリをダウンロードしろって言って、希の位置情報のパスワードを送って来たんだ」

「は!? お兄ちゃんが!?」


 目を見開いた希は一瞬足が止まったが、この後リハーサルがあるので遅れるわけにはいかない。すぐに歩き出した。


「うん。札幌ではちょっと不安だから注意して見ておけって」

「なんでお兄ちゃんにそんなことがわかるのよ?」

「希の自宅のパソコンを見たんだって」

「あのストーカーめ」


 毒づく希。合点がいった。

 希の実父が夜中に自棄酒を飲んだ夜は決まって友人と電話をし、相手に愚痴を零す。すると稀に実母の現状を確認することがあった。それで希は実父の身の回りから実母の情報を集めては自宅のパソコンに保存していたのだ。

 掃除や洗濯など、実父が再婚をするまで家事はこなしていた希なので、情報収集は容易だった。それを勝に見られたわけだ。


 そして今日、恐らく大和は希の1本後のバスに乗ったのだろうが、希が道を間違えてコンビニに寄ったので追いついたのだと理解した。それでなくとも、希が圭太と遊んでいた時には十分にたどり着く。


「それでお兄ちゃんも私のママが札幌にいることを掴んでいたと?」

「そういうことみたい。しかし若く見えたけど、まさか昨日ライブに来てた親子がそうだとは……」


 それを言われて希は思い出す。確かに実母は昨日のライブハウス内で大和の隣に立っていた。ホームページかSNSで希の存在とステージ情報を掴んだのだろう。若く見えたことは希自身、自分がしっかり血を引いているなと思う。


「背中大丈夫?」


 大和からの質問に、そう言えば背中を打ったのだと思い出した希。しかし言われるまで忘れるほどだから大したことはない。問題ないと伝えてから希は話し始めた。


「ママは他に男を作って、その男が札幌に転勤が決まったからそいつを追ってこっちに来たのよ」

「そうだったんだ。さっきまで一緒に遊んでた子はお母さんの子供?」


 昨晩のライブでの記憶から間違いないとは思うが大和は問い掛ける。


「そうよ。ママがこっちに来てからできた子で、唯一私と血のつながった姉弟よ」

「そっか」

「まぁ、半分だけど」

「それでも間違いなく姉弟だよ」


 それを先ほど実感したばかりの希は前を向く。そう、その実感があったから穏やかな気持ちでいられる。それを大和に吐露した。


「本当はね、ここに来る前はママに対して『どうして私を捨てたの?』とか、弟に対して『あなたはママに可愛がられて小学生になれて良かったね』とか、そういう恨み言や妬みの言葉をたくさん用意してたの。目的なく来たけど、もし会ったら言うつもりでいた」


 大和は黙って希の言葉に耳を傾けた。良く晴れたこの日の視界は良好で、整った団地の街並みが綺麗だ。大和は音楽活動を通して本当に希がよくしゃべるようになったものだと感心する。


「けどやっぱり血の繋がった弟と触れ合ってるうちにそういう感情がどうでも良くなった。逆にだからこそ、なんでママが私を捨ててまで他の男のところに行ったのか、その疑問は強くなったけど。それでも恨み言を言う気は失せたわ」


 その言葉のとおり、どこか希に晴れやかな印象を抱いた大和。一言「そっか」と柔らかく言った。


「凄く幸せそうだった」

「ん? 弟さん?」

「弟もだけど、ほんの少しだけ聞こえたママの声も」


 これには言葉を失う大和。なんと言ったらいいのかわからない。下手なことを言って希を傷つけたくはなかった。


「けどね、弟と遊んでて思ったこともある」

「それはなに?」

「私も今、凄く幸せなんだって」


 嘘偽りを感じさせない希の口調に大和は安堵した。希が今をそう感じて生きているのなら何も言うことはない。


「私には音楽があって、メンバーや大和さんとか大切な音楽仲間がいて、パパも玲子さんもお兄ちゃんもいる。確かに血の繋がった姉弟に縁は感じるけど、勝君は間違いなく私のお兄ちゃんよ」


 これを聞いて大和の心は温かくなった。初めて会った頃の希の印象は無口でどこか人を寄せ付けないもの。いつしか希の生い立ちを知って、それは人間不信があるからなのではないかと勘ぐっていた。心配はしていたものの、心配したところで自分にはなかった境遇の希に対して、無責任に理解を示すこともできずただ見守ってきた。

 それが音楽を始めたことがきっかけでいい方向に変わったのだと実感できた。自分とダイヤモンドハーレムが歩んできた活動は間違いじゃなかったのだと、自信になった。


 この時、慌てて家を飛び出した希の実母は希と大和の背中を目で捉えていた。そしてその会話を耳に捉えていた。希も大和も後ろをつけていることに気付いていないが、成長した希の背中を見て実母は引き返した。


 ――希、身勝手なママでごめんね。許されないとは知りつつもあなたの幸せを願ってます。


 希の実母は頬を伝った涙を拭った。


「さっきね、弟にママへの伝言を頼んだの」

「なんて?」

「この先3回、大晦日の歌番組は注意して見ておいて。有名になって私を捨てたことを後悔させてあげるから。って」


 言葉は脚色されているものの、希の本音でもある。反骨精神が湧いている。大和はそれを頼もしく思い、笑顔になって希に問い掛けた。


「なんで3回なの?」

「去年の大晦日の晩にメンバーと大和さんと話したじゃない」


 思い出されるあの晩。確かにダイヤモンドハーレムは大晦日の歌番組を見ながら、3年以内に自分たちもこの歌番組に出場すると意気込んでいた。


「僕が十代で出ることに呆れて、高校卒業後1年目までだぞって突っ込んだやつ?」

「そうよ。いい加減本気にして」

「わかったよ」


 苦笑いながらもしっかりと受け止めた大和。成長した彼女たちを見ていると本当に達成しそうだから末恐ろしい。それこそこのツアー中の成長には目を見張るものがある。


「ん」


 すると突然立ち止まって手を差し出した希。大和は首を傾げる。


「手、繋いで帰ろう?」

「え? マジ?」

「マジに決まってるでしょ? 今一まだ甘え心が抜けきらないのよ」


 自覚があったのかと大和は内心驚いた。それでもこの地に来て実母を思い出した希の変化にやっと納得している大和だからこそ、素直に希の手を取った。


「マジで勝さんには内緒な?」

「わかってるわよ」


 そう言ってしっかりと大和の手を握り返した希。少し肩を寄せて歩きながら言う。


「メンバーは?」

「希がラインでメッセージ入れてくれてたから安心はしてる。けど、僕は勝さんから聞いてたことがあったから希を探しに出たわけだけど、メンバーが離してくれなかったから少しお小遣いをあげて街で遊ばせてる」

「ふーん。それはランチの分も?」

「うん。十分足りると思う」


 身銭を切っている大和。なかなか苦労をしているようだ。


「じゃぁ大和さんは私と今から2人でランチね」

「まぁ、そうなるよね」


 出費は嵩む。しかしこれは予想の範疇なので大和は仕方がないかと納得した。


「ところで大和さん?」

「ん?」

「なんでお兄ちゃんは私のスマホにGPSアプリをセットできたの?」

「希、スマホのロックナンバーを勝さんの誕生日にしてるだろ? 勝さんが喜んでたよ」

「あんのクソストーカーめ」


 希は瞬時に判断した。このツアーは色々と問題のある画像を撮った。メンバーの羞恥を誘う画像から、大和との親密さを臭わす画像まで。次自宅に帰るまでに、勝には絶対にわからないロックナンバーに変更しようと心に決めた。

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