第二十六楽曲 第八節
無機質な駅のコインロッカーの前で古都に湧く疑問。
「なんでそこまでしてくれるんですか?」
「君たちに期待してるから」
臆面もなく答える泉に唖然とする古都。泉を見据えていると泉が言葉を足した。
「私の手元にはアコースティックギターが残るからテレキャスは手放しても趣味程度に音楽は続けられるの。それだったら私が成しえなかった夢をこのテレキャスに乗せて、私が期待する君に託したい」
「泉さんが成しえなかった夢……?」
「うん。私はメジャーアーティストだったけどメジャーで成功はしなかった。だから同じシンガーソングライターの古都ちゃんに自分を重ねて勝手に期待してる。メジャーアーティストになっても夢と目標をしっかり築いて活躍してほしい」
そう言って差し出されたテレキャスターはすでにギグバッグに仕舞われていて、古都は恐る恐るそれを受け取った。
「泉さん……。わかりました! 大切に使わせてもらいます!」
「うん。……あ、それから」
「ん?」
「大和のことよろしくね」
「むむ。大和さんは渡しません!」
これには強気に出る古都。その目は真剣だが、泉は相変わらず掴めない笑顔だ。
「あはは。取ったりしないよ」
「むー。泉さん元カノですよね? 泉さんが大和さんをどう思ってるのか今一掴めないんですけど?」
「大切には思ってるよ。けどね、数カ月前にしっかり振られてるから」
「なんですと!?」
古都にとっては驚きの事実である。その理由が自分たちなのだが、これは古都の知るところではない。
「もう大和の心は私の手の届かないところにあるんだって、今日の君たちを見て痛感した」
「それってつまりまだ好きなんですよね?」
「そうだよ」
「私たちに嫉妬しないんですか? それなのに応援してくれるんですか?」
「うーん……。私って昔から嫉妬とか苦手なんだよね」
苦笑いを浮かべる泉を見て、それが本当なら器の大きさが違うと古都は実感する。自分たちなら大和に近づく女は排除しようと躍起になるのに。
「君たちもメンバー間では理解があるでしょ?」
「あ……」
思わぬ図星に納得する古都。1年前なら話は違うが、バンド活動を通して大和を含めた5人は一心同体の意識がある。表向きは取り合ったりもするものの、メンバーと大和の付き合いに本気で過剰には反応しない。
「私はそれも気に入っちゃって。なかなかそこまでの信頼関係は築けるものじゃないよ。女のドロドロした関係とか嫌いなの。だから君たちに大和はお任せしようかなと思って」
「わかりました。大和さんは一切の遠慮なく頂きます。て言うか、最初から私たちダイヤモンドハーレムの大和さんですけどね」
「あはは。よろしくね。――ところで古都ちゃん?」
「はい?」
「大和の性感帯とか興味ない?」
「あります!」
即答した古都は泉が女神のように思えてきた。その情報をもらうために泉と連絡先の交換をすると2人は別れた。古都の足取りは軽く、泉から得た情報を後ほどメンバーと共有しようと思った。いつか役に立つことを願って。
遡ることU-19ロックフェスの開演前。場所は会場建物内のホールから離れた喫煙室だ。本番開始を前にして、大和に嫌味な視線を向けてからホールを出た門倉はここにいた。他には誰もおらず、門倉が吹かす煙草の煙だけが室内に充満する。
「門倉さん」
するとガラッとスライドドアを開けて入って来たのは泉だった。途端に門倉は久しぶりに会う泉を嘗め回すように見る。その表情は緩んでいて、泉は相変わらず欲にまみれた気持ち悪い視線だと感じた。
「益岡さん。久しぶりですね」
視線より挨拶の言葉の方が後である。あまり業界では知られていないがこういう奴なんだよなと泉は呆れた。
「今日は審査員長なんですって?」
「そうなんですよ。益岡さんはジャパニカンでスカウトをしていると聞きましたが、今日はその活動ですか?」
「そうなんです」
愛想笑いで泉が答えると門倉は泉に煙草を差し出した。煙草を吸わない泉は手で制して断りを入れる。そして門倉が胸ポケットに煙草を入れるのを見ながら泉は言った。
「けど困ってるんです」
「それはどうして?」
途端にニヤニヤした笑みに戻る門倉。欲にまみれた取引の提案ができるかもしれないと、彼の頭の中で計算されている。それを泉は悟った。実に気持ち悪い。
「審査が公正に行われない可能性について」
「ほう。審査員長は私ですが、そんなことは絶対にありませんよ」
よく言う……と、またも泉は呆れた。しかし営業スマイルを崩さず腹の探り合いが続く。
「聞こえちゃったんですよ。ダイヤモンドハーレムは絶対に落とすって」
「ほう。聞いていたんですか」
悪びれた様子もなく門倉は受け応えをする。彼もまた営業スマイルだ。
「私は公正な審査の上でどのバンドが有識者から評価されるのかを見に来ているのに、それだと困るんですよねぇ。菱神さんも有利不利に偏らない審査を望んでいるようですし」
ここで大和の名前も出した泉。門倉の表情の変化を伺う。すると欲にまみれた笑顔になったので、泉は来ると思った。それは案の上で。
「今日の夜、一緒に過ごしませんか?」
「あら? まだ私に飽きてはいらっしゃらないんですね?」
「もちろんですよ。益岡さんはお綺麗ですから」
明らかに枕営業の誘いである。尤もダイヤモンドハーレムは現時点で泉に利益を生まないので、それを営業と言うのかは些かの疑問だ。ただ、泉はメジャーデビューをした頃、門倉からは数回体を求められた。この話の流れは読めていた。
当時は門倉の雑誌に取り上げてやるとか、有名なイベント関係者を紹介してやるとか、そんな口車だった。それで泉は体を許していたのだ。それでも結果を出せなかった泉だから結局は引退をしている。
しかしこの時の泉は温めていたネタを用意していた。
「相変わらずですね、門倉さん。インディーズバンドの発掘だけは超が付くほど真面目で業界やバンドマン達から信頼が厚いのに、メジャーデビューをした途端、見返りを要求するんですもの」
「別に嫌ならいいんですよ」
「嫌だなんて。因みにクラソニがもしメジャーデビューをしてたらメンバーの誰に手を出すつもりだったんですか? 門倉さんって若い男もイケますもんね?」
「ちょ、なんでそれを?」
思わぬ発言に目を見開いた門倉は狼狽える。泉は自分のペースになった事で不敵な笑みを浮かべた。
「それとも、クラソニには門倉さんの好みはいなさそうだし、柿倉杏里を差し出せとでも言うつもりだったのかな?」
「ちょっと待て! 俺の質問に答えろ!」
門倉の口調が明らかに変わった。つまり図星なのだ。泉は内心ほくそ笑む。
「あなたがすっぽんぽんでベッドに寝てる間に携帯のメールを見たんですよ」
「くっ……。しかし証拠はないだろ?」
「ありますよ? 私、そんなに詰めは甘くありません。門倉さんの携帯でスクショを撮って、自分の携帯に画像を送りましたから」
門倉は明らかにイラついた様子で煙草をもみ消した。しかし彼は開き直る。
「言いたきゃ言えよ。その代わりお前の会社のアーティストは一切取り上げん」
「ま、門倉さんができることなんてそんなことくらいでしょうね。ゴシップ誌もない出版社で、クラソニの件を他部署に売るなんて嫌がらせもできなかったですからね」
「あの時は、インディーズバンドくらいじゃネタにならないって、どこの出版社も引き取ってくれなかったんだよ」
泉は「ふふふ」と相変わらず不敵な笑みを見せる。それが門倉を余計に苛立たせる。しかし泉は開き直った門倉を追い込むように取って置きのネタを投下した。
「私メールを見たんですよ?」
「だからなんだ……よ……。まさかっ!」
「えぇ、ばっちり見ました。門倉さんが色んな芸能事務所やレーベルから依頼を受けて優先的に取材をした証拠。会社も通さずにご自身の口座に直接見返りを送金させてましたね。もちろん画像は残してますよ」
背信行為を知られていて奥歯を噛む門倉。泉はもうこれ以上言葉が出ない彼に自分の要求を伝えた。
「私の希望は公正な審査です。別に有利な審査とは言いません。それでは」
門倉に背を向けた泉は門倉の返事を聞くまでもなくスライドドアを開けた。そこでふと動作を止める。
「そうそう。私がスカウトしたメガパンクっていうバンドが今度デビューするんです。取材待ってます」
泉がいなくなった喫煙室で、門倉は床に据えられた排煙機をゴンッと蹴った。腸が煮えくり返るが、何もできないのが余計に悔しい。門倉はもう1本煙草を吸って少しだけ落ち着くとホールに戻った。その時大和の脇の通路を下りたが、大和には目もくれなかった。
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