第二十五楽曲 第二節

 大和がプロデュースする4人の軽音女子は、この日が武者修行となる全国ツアーの出発日だ。大和が運転するハイエースに皆乗り込んでいる。


『およそ、300メートル先、目的地周辺です』


「おお! もうすぐ到着だ!」


 カーナビの音声を耳にして助手席で声を弾ませるのは古都だ。大和はそれを微笑ましく感じながらも言う。


「民宿に到着するだけで、本番は明日だから」

「そんな冷めたこと言わないの。これから皆で寝食を共にするんだから、楽しみじゃない」


 共にするのは「食」の方で、大和自身は「寝」まで共にはしないのにと思いながらも、穏やかな笑みを崩さなかった。明日はU-19ロックフェス全国大会の日で、それを皮切りにダイヤモンドハーレムは全国を回る。

 セカンドシートでは唯と美和が楽しそうに雑談をしていて、希は唯の肩に頭を預けて昼寝をしていた。荷台には楽器の他、メンバーと大和の着替えなどの荷物が積まれていて、その中には衣装となるセーラー服もある。


「ここだね」


 大和が声を発すると最初の宿となる民宿に到着した。都心郊外にある民宿で、駐車場があることはありがたい。そのあたりも美和と希は抜かりなく宿探しをしていた。


「いえーい! 到着!」


 古都が声を上げるので、希が目を覚ました。唯の肩から頭を上げ、窓の外を見る。希はまだぼうっとした様子だが、やがて美和と唯と一緒にぞろぞろと車を降りた。


「じゃぁ、私たち受付をしてくるから先に3人で荷物を下ろしといてもらえる?」


 寝起きで目が半分も開いていない希が美和を連れて大和に言う。大和が「わかった」と言って快諾すると、それを確認して希と美和が自分の荷物だけを持ち一足先に民宿に消えた。


 昼下がり、東京の日差しは強い。それでも周囲には中層の建物が多く、日陰は多数ある。しかし都心を思わせるような強いビル風は吹かず、隙間を縫うように吹き込む風は生ぬるい。自動車や建物の屋外機の熱を運んでいるようで、大和はその空気にげんなりする。

 民宿は敷地いっぱいに建てられた2階建ての古い建物だ。部屋数は全4室で素泊まり。食堂は開放されており、広めの風呂は男女兼用だ。女性宿泊時には時間ごとに男女の入浴時間が分かれるシステムで、それは予約をした美和と希が予め確認していた。


 大和と古都と唯が荷物をロビーまで運び込むと、部屋の場所を確認した美和と希が合流した。すると希が言う。


「大和さん。成人引率者が書かなきゃいけない書類があるみたいなの。フロントに行ってきて」

「わかった」


 理解した大和はフロントに行った。その時従業員は引率者が男だとは思っておらず怪しむ視線を向けた。大和はその視線の意味が理解できなかったがとにかく書類を書き終わり、ロビーで待つメンバーと合流した。そして一行は両手いっぱいに荷物を抱え、2階に上がった。


「大和さん、楽器も全部下ろしたの?」


 荷物で顔が隠れそうな希が背中越しに大和に問う。階段を上るこの時、小柄な希を気遣って大和はその希のすぐ後ろについていた。先頭は部屋の場所を知る美和が歩いている。


「うん。車の中は温度が上がって、弦楽器は積みっぱなしにしてるとピックガードの蝋が溶けたりするんだ。それに何より車上荒らし対策」

「ふーん。なるほど」


 そんな話をしながら5人は部屋に到着した。そこは10畳ほどの和室で、入り口の踏み込み以外は押入れくらいしかない。窓は北向きで明るくもなく、そして屋根直下のため蒸し暑い。


「うお……。これはキツイ……」


 すでに荷物運びで汗をかいている一行。その中の古都が顔を歪ませてすかさずエアコンのスイッチを入れた。美和は窓を開けて空気を入れ替えるが、エアコンが効き始めたら閉めるつもりだ。


「ここはこの民宿で一番広い部屋なんだって」


 美和が荷物を置いているメンバーに振り向きながら言う。すると希が付け加えた。


「しかも隣接してる客室は他にないから、大声で騒がなければ会話程度なら迷惑にならないそうよ」

「いえい! それは嬉しい!」


 ここで喜びを表現するのは弾丸トークが十八番の古都だ。この民宿で北側に面しているのはこの部屋だけで、他の3室はすべて南面である。そんな間取りだから広く部屋が確保できているし、廊下を介すため隣接の客室がない。


「ところで僕の部屋はどこ?」


 ふと大和が美和に向く。しかし美和は何も答えずすかさず背を向けた。どこか決まりが悪そうに見えたのだが、大和はその様子に困惑しながらも続ける。


「えっと……、美和?」

「大和さんもここよ」


 その声は大和の隣にいた希から発せられた。大和は思わず「は!?」と声を張るが、もちろん希は平然とした表情だ。


「ちょ、ちょ、ちょ……、そんなこといいわけ――」

「あるわ」


 大和の言葉は無残にも希に被せられる。完全に狼狽えてしまった大和は唯を向く。これは唯の父親と約束した話を思い出させるためなのだが、唯は一瞬苦笑いを浮かべて彼女までもが大和から目を逸らした。


「えへへん。大和さんも同じ部屋だよ。寝食を共にするって言ったでしょ?」


 そう言って大和の腕を抱えて肩に頬を寄せるのは古都である。滲んだ汗で前髪が額に張り付いているが、それでもやはりこのお転婆娘は美少女である。


「いや、ダメだって。それはマズい」

「何がマズいのよ?」


 すかさず不満を口にする希。大和を責めるようなその視線は冷たい。


「倫理的にだよ」

「大和さんの部屋で何回かお泊り会したでしょ?」

「いやいや、それでもだよ。とにかく他に部屋を取ってないなら、僕はビジネスホテルでも取って明日迎えに来るから」


 痛い出費だが、致し方ない。そう思うのと同時に従業員からの視線の意味を理解した。宿からしてみれば成人の同伴者がいることで、何かあった時に責任を負うべきはこの成人だという逃げ道がある。大和に責任者の「責任」の意味が重く圧し掛かった。

 とにかくまずはこの民宿の空き部屋を確認するつもりだが、そもそも部屋数が少ない宿なので期待はできないだろう。だから大和は近くで自腹を切ってでも自分の寝床を確保するつもりだ。しかし希が言う。


「倫理を考慮しての同部屋よ」

「は? どういう意味だよ?」

「そもそも私たちだけを残して宿泊はできないわ。それにこの民宿の客室は鍵が頑丈とは言えないの」

「げ……」

「もし女子だけの私たちの部屋に乱暴目的の男が入ってきたら、引率の大和さんは責任取れるの?」

「う……」

「大和さんは私たちに強制性交の被害に遭えって言うの?」

「いや……、い、言わないよ……」


 と言うか、そんなことを言えるわけがない。


「私達はちゃんと親の同意を得て出て来てる。だから大和さん、私たちを守って」


 その同意は別室が前提なのではないかと肩を落とす大和。とは言え、格安の民宿であるからこういう部屋もある。

 尤も希は大和との同部屋を狙ってこの口実を用意していた。もちろん美和も満更ではないので希の口車にあえて乗り、宿の手配をしたのだ。大和はまさか旅行代理店に行って自分だけ先に帰った後に、こんな話になっていると露ほども知らなかった。


 そして事後でそれを聞かされた古都と唯も乗り気だ。聞かされていなかったのは大和だけである。因みに地元に残った杏里もこのことは知っていて共犯だ。

 しかし希の言うことは正論でもあるので、大和は返す言葉がない。高校2年生の女子だけで防犯性の低い部屋に宿泊して、それこそ犯罪被害にでも遭ったら……。ないとは言い切れないその可能性に大和は思わず身震いする。


「はぁ……、わかったよ」

「うむ。それから私たちの入浴タイムは脱衣所前の廊下で見張りね」

「は!? 脱衣所って鍵がないのか?」

「あるわ。けど、入室者を示すだけのものだからコインで開けられるタイプなの」

「……」


 絶句する大和。脱衣所にまで一緒に入るわけではないものの、それでも見張り役なんて。寝床を共にすることと言い、刺激の強いツアー初日となりそうだ。


「わかったよ。今日一日くらい従うよ」

「一日じゃないわ。ツアー中はずっとよ」

「はぁぁぁあ!?」

「費用を抑えるため全国全てこんなタイプの宿だから。一応どこも鍵付きだけど、防犯性は低いわ」


 とうとう頭を抱えた大和はこれからの4週間を憂いた。自分の身がもつだろうか? 自分の理性が崩壊しないだろうか? しかし唯の父親とは約束をした。それに勝のこともある。メンバーの家族のために、引率の自分がしっかり責任を果たさなくてはならないのだと、無理やり自分に言い聞かせた。

 すると大和のスマートフォンが鳴った。大和はその着信表示を見てはっとなる。


「ごめん。仕事の電話だ」


 大和はメンバーを残して一度部屋を出た。

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