第二十五楽曲 第三節

 日が傾き始めた時間帯。大和は都内の喫茶店で1人の女と対面した。さすがに長距離運転で疲れたので、ここまでは電車で移動したのが、宿からそれほど遠い場所でなかったことは幸いだ。


「ふーん。そういう関係なんだ」

「違うよ。あくまでボディーガードを兼ねた引率。誤解するな」


 テーブルに肘をついて、顎を手で持ち上げる体勢のその女がジト目を向けるものだから、大和は慌てて答えた。


 遡ること1時間前。宿に到着したばかりの大和は1本の電話を受けた。


「もしもし」

『もしもし、大和? やっほ』

「なんだよ? 泉。仕事中じゃないのか?」


 電話の主はジャパニカンミュージックの大和の担当で、大和の元カノの益岡泉ますおか・いずみであった。泉のフランクな話し方を耳にしたことで、大和からの最初の質問だ。


『土日は基本的にお休みだよ』

「そうなんだ。スカウト活動してるのかと思ってた」

『まぁ、確かにそれで休みが潰れることはザラだけどね』


 電話の向こうで泉が明るく笑う声を耳にしながら、大和は用件を聞いた。


「それでなんの用?」

『へへん』


 その不敵な笑いに思わず身構える大和だが、身構えたところで電話なのだから切らない限り逃げ道はない。


『今、東京にいるでしょ?』

「……」


 なぜバレた……? そう思う大和だが、既にダイヤモンドハーレムをチェックしている泉だ。ホームページを見ればこれから4週間のライブ日程は把握できるし、自身が引率していることも予想できるのだろうと、そこまではすぐに解せた。


「東京には明日入るよ」

『嘘。杏里から聞いた』


 嘘はすぐにバレた。そして泉の情報元は杏里であった。いつの間にか杏里とも連絡を取るようになっていて、抜かりない泉に大和は呆れた。


 そして泉に呼び出されて、今2人で喫茶店にいるわけだ。

 この日の泉はノースリーブのブラウスに膝丈ほどのスカートだ。仕事の装いとは種類の違うその清楚な格好に慣れない大和。ジャパニカンミュージックの社員になってから髪型をはじめ、私服も落ち着いたのだなと彼女の変化を感じた。


「ふーん。ボディーガードね」

「そうだよ」


 泉のジト目の理由は女子4人と同室に宿泊することにある。経緯を正直に話した大和だが、目の前の元カノから嫉妬の色は見えない。それが少し寂しくも感じる未練がましい男である。そのくせ4月には泉からの誘いを断っている。


「もしかして私を振った理由って彼女たち?」

「う……」


 図星を突かれて思わず絶句する大和。その動揺を誤魔化すように手元のアイスコーヒーを吸った。


「ふふふ。わかりやすいなぁ、大和は」


 泉は大和の様子を楽しむように見る。見透かされて落ち着かない大和はストローの挿さったグラスを置くのと同時に「ふぅ」と息を吐く。


「因みにどの子なの?」

「いやいや、誤解だから」

「もうバレバレだから正直に言いなよ」

「泉が思ってるような関係じゃないよ」

「私が思ってるような関係ってどんな関係?」


 小悪魔的な笑みを浮かべて大和の揚げ足を取る泉。大和は頭をかきながら窓の外を見た。

 夏休みに入ったとは言え、都会の街並みを高層の建物の間を縫うようにサラリーマン風の大人たちが足早に通過する。土曜日なのに仕事なのかと、大和はその忙しさを不憫にも感じた。


「彼女たち全員が大事なのはそのとおりだよ。それこそ彼女たちが組んでるバンドが凄く大事。僕はボランティアだけど今の生きがいだよ」

「へぇ。大和がそこまで思い入れるなんてね」

「うん。けど、恋愛ってなると4人の内の誰とも考えられないよ」

「ふーん。逆にメンバーから大和はどう見えてるんだろ?」


 泉のその質問に少しばかり紅潮する大和。考えたことがない……なんてことは言い切れない。刺激的なこともあって女として意識したことが少なからずあることは事実だ。そうかと言ってそれを口にできるほどまとまった気持ちもない。だから大和は嘘も被せて答えた。


「さぁ。それはわからないし、期待したこともない」

「またまたぁ。大和は鈍感だからなぁ。案外メンバーの方は一途に大和を想ってるかもしれないじゃん」

「まさか」

「まさかじゃないよ。それこそ1人とは言わず全員だったりして」


 メンバーとは会ったことがないのになかなか鋭い女である。一方、そんなことあるはずがないと思う気持ちとは裏腹に、完全に顔を赤くして妄想するのは大和である。

 因みに泉は杏里との連絡を再開させたのだから杏里から聞けば一発でわかるのだが、現時点でそこまでの話をしているわけではない。するとその泉が話題を転換した。


「明日は私も観に行くから」

「あ、やっぱりそうなんだ」

「うん。生でダイヤモンドハーレムを観れるのを楽しみにしてるんだ」

「へー、それほどとは。ジャパニカンでの評価はどうなの?」

「は? 社内でダイヤモンドハーレムを知ってるのはたぶん私だけだよ」

「なんだ……」

「自惚れないの。私だって会社にダイヤモンドハーレムの話題を持ち上げたこともないんだから」


 業界で働く有識者からのシビアな評価に内心でがっくりと肩を落とす大和。確かにそれが妥当な評価だとは納得はするものの、やはり落胆もする。


「それでも私は将来性が期待できるバンドだなぁって思ってるからチェックしてるんだよ」

「本当?」


 少しばかり声を弾ませた大和。その言葉が嬉しいと思うのと同時に、自身が落胆したことを泉に悟られてしまったなと気恥ずかしくもなる。


「実はね、そうは言ったものの今日は提案があって呼び出したの」

「提案って?」

「明日の全国大会でそれなりの結果を出せば『私は今、このバンドを追いかけてます』って上司に報告しようかと思ってる」

「本当!?」


 思わず身を乗り出した大和だが、すぐに疑問を抱く。落ち着いてシートに座り直してから問い掛けた。


「結果ってどのくらいのことを言ってるの?」

「せめて何か賞を受賞するくらいかな。因みに、ツアー中の練習場所ってどうしてるの?」

「あはは。困ったことに資金不足とコネ不足でスタジオも確保できてないんだ」


 つまり練習はなしである。深刻な悩みなので大和は苦笑いだ。しかし女神はいた。


「それなら全国のうちのグループ会社の提携先のスタジオを、うちの経費で確保してあげるよ」

「え!? マジで!?」

「但し! それにはやっぱり受賞が条件。それがあって私が追ってるアーティストって上司に理由を説明できるから」

「マジか……。それでも凄く助かる話だから、頑張るよ」

「うん、ステージに立つのは大和じゃないけど頑張れ」


 モチベーションが上がった大和はいつもの穏やかな表情になってアイスコーヒーを吸った。


 ジャパニカングループは大手なので、全国の貸しスタジオ店やライブハウス、それから楽器店と業務提携をしている。グループ会社が抱えるアーティストの全国ツアーの時などはそれによって貸しスタジオを確保しているのだ。

 すると大和のスマートフォンがメッセージの受信を知らせた。それは希からであった。


『大和さんまだ帰って来ないの? あんまりゆっくりしてるとお風呂の時間になるんだけど? ちゃんと見張りをして。あと、お腹空いた』


 嫁から帰宅を急かされる旦那のようだなと呆れながらも、大和は返信文を打った。


『わかった、すぐ戻るよ。ご飯買って帰るけどスーパーの総菜の弁当でいい?』

『問題なし』


 それを確認してスマートフォンをポケットに入れようとしたら、もう一度通知音が鳴った。


『因みに、今出掛けてる用事が女だったら、その女諸共大和さんを東京湾に沈めるから』


 とりあえず大和は既読だけ付けて返事をせず、今度こそポケットにスマートフォンを入れた。


「メンバーから?」

「うん」

「いいな、大和と寝食を共にできるなんて。嫉妬しちゃう」


 泉からあまり嫉妬の様子は窺えないのだがと大和は苦笑いだ。


「とにかくご飯買って帰らなきゃいけなくなった」

「そっか。因みにツアー中の生活費ってどうしてるの?」

「メンバーと僕の5人で割り勘」

「ふーん。運転手と引率とプロデューサーをボランティアでやってるのに大和もお金出すんだ?」

「そりゃぁツアーとは言え、女子高生のお金で生活はできないよ」

「ま、確かに」


 この後すぐに大和は泉と喫茶店を出て別れた。途端、宿の近くにスーパーがあったなと大和の脳内は切り替わり、帰路に就いた。

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