第十章

第二十五楽曲 出発

出発のプロローグは古都が語る

 梅雨は明けたものの、7月に入り夏の暑さが本格化した。この日は今月最初の金曜日だが、定期練習の開始時間を少しだけ遅らせ、私たちメンバー4人は放課後学校に残った。目的は家庭科部が作ってくれた衣装の試着である。そう、衣装が完成したのだ。

 メンバー揃ってむっちゃんとやって来た家庭科室で、それぞれハンガーに掛けられた人数分の衣装が手渡される。完成作を一緒に見に来たデザイン担当の朱里も同行していて、その出来に目を輝かせる。


「わぁ、可愛い」


 その衣装を眼前に持ち上げて唯が感嘆の声を上げる。美和も嬉しそうに笑顔を浮かべ、のんも心なしか口角が上がっている。勿論私も胸と声は弾んでいる。


「うおぉ!」


 こんな風に。


 白をベースにした夏のセーラー服で、スカートと襟とリボンは白と黒のチェック柄である。その配色がグレーにも見えて、どこか涼し気だ。中学の時はセーラー服だったものの地味なデザインであったため、この可愛いデザインのセーラー服を着られることが嬉しい。加えて、卑猥なコスプレ衣装のような派手さがないのも好感が持てる。


「じゃぁ、試着してみて」


 この日家庭科室はカーテンで閉め切っていて、視界は照明の光だけで確保されている。入り口には『着替え中につき入室禁止』の掛札が提げられていて、覗き窓も紙を貼って目隠しが成されていた。つまり、採寸した時の衝立のブースには入らず、この場で着替える。

 ブースは4人同時に入れるスペースではないので当然と言えば当然なのだが、ここにいる3人の家庭科部員が気を使って準備をしてくれたので感謝の限りだ。私たちメンバー4人は早速家庭科室で着替えた。


「キャー! みんな似合ってる! 可愛い」


 口元に両手を当てて目を輝かせる朱里はどこかうっとりしたような表情にも見える。彼女の幼気なその笑顔だけでその言葉がお世辞ではないと窺い知れる。むっちゃんも満足そうな表情をしていて、私たちメンバー4人はやや照れながらも喜びが隠せない。


「サイズはどう?」

「ばっちり!」


 私は声を弾ませて言った。他の3人も同様のようだ。ここまで完璧に作ってくれてむっちゃんの凄さが窺える。そしてデザインを担当してくれた朱里にも感謝の念が湧く。

 全身ミラーで確認したところ、若々しくて軽快さを感じる衣装だと思った。他のメンバーも良く似合っていてその容姿を遺憾なく発揮している。私たちの音楽性に合ったこの衣装を着て、ステージに立つことへの意欲が湧く。ただ、スカートは短めなので安全パンツは欠かせないなと思うが。


 メンバーと衣装を見せ合っていると、徐にむっちゃんが言う。


「ところで白の生地がかなり余ってるんだけど、もう1着ずつ作ろうか?」

「え!? できるの!?」


 思わず私は食いついた。ここまでしてくれて更にもう1着とは恐れ入る。するとむっちゃんが言葉を続けた。


「できるわ。ただ、チェックの生地が足りないの。それで朱里と相談したんだけど……」

「えっとね、こんな感じ」


 朱里が手に持っていたスケッチブックを広げた。


「きゃっ! これも可愛い」

「うん。いいわね」


 セーラー服姿の唯が声を弾ませると、のんも好意的な意見を言った。て言うかこの2人、薄手の衣装のせいか胸の主張がいつもより激しい。特に唯は顕著だ。それを実感するといつも私は悲しくなるから勘弁してほしいよ。


 朱里のスケッチブックに描かれているのは、今試着しているデザインよりもベースの白が広く、チェックの部分はワンポイント程度にラインを形成している新デザインだ。頭を寄せ合ってメンバーでそのスケッチブックを見ていると、むっちゃんの声が聞こえた。


「スカートの分の生地はもうないから上だけだし、リボンも兼用でその1本だけなんだけど……?」

「全然助かる! 夏だから汗かくし、1着だけだと洗濯もどうしようかって困ってたの」


 こう答えるのは家事力の高い美和だ。彼女はバンドの会計も担っているから、余った生地で作る分には負担がなくていいと考えたのだろう。しかし私は思った。


「むっちゃんの作業は大丈夫?」

「大丈夫よ。私も楽しんでるから」


 少しだけ笑顔を見せてむっちゃんは言ってくれた。あまり表情豊かなむっちゃんではないので、なんだかとても安心する。


「とは言え、夏休みまでにとなるとちょっと自信がないんだけど、出発はいつ?」

「夏休み入って2週目の土曜日だよ」

「それなら前日の金曜日までには必要よね。3週間あるからいけるか……」

「本当!?」

「ええ。既に4着作って慣れてきたからスピードも上がってるし、夏休みの部活の活動内容にも入れられるからちょうどいいわ」


 そんな風に言ってもらえるのなら断る理由はない。私たちはむっちゃんにお願いした。するとむっちゃんが続けた。


「ところでブレザーの方なんだけど、これは夏休み明けからの制作開始でも大丈夫?」

「どのくらいかかるものなの?」


 私は首を傾げて質問を返す。むっちゃんは片手で反対の肘を抱えて顎に手を当てると、少し考える素振りを見せた。その時むっちゃんの縁なし眼鏡が照明を反射させる。


「そうね……。夏服のセーラー4人分で1カ月だった……。今回は型紙もできてるし、4人のスタイルも把握しているから……、2カ月くらいかな……」


 ブレザーの方が構造は複雑だが、既に前準備ができているのでむっちゃんの手に掛かればそのくらいの期間らしい。それならば学園祭には間に合う。しかし私には不安がある。


「学園祭や体育祭とかのむっちゃんの活動は大丈夫?」

「あぁ、そうか……」


 再び考え込む仕草を見せたむっちゃん。するとその返事は別の場所から聞こえてきた。


「それなら任せて」


 その声は同じ室内にいた他の2人の部員の内の1人だ。恐らく3年生の彼女は家庭科部の服飾の方のドンだろうと予想する。


「あなたたち今年も学園祭のステージには立つつもりでしょ?」

「はい! もちろん!」


 と私は元気に言ったのだが、美和と唯は苦笑いを浮かべる。わかるよ、その微妙な反応。昨年、生徒会をはじめとする実行委員に迷惑をかけて、更には先生たちを敵に回したからね。今年もステージに立つことを認めてもらえる自信はないよね。


「それならそれも立派な学校行事だから、私たちで協力し合うよ」

「ありがとうございます」


 そんなことを言ってもらってむっちゃんがペコリと頭を下げる。もう1人いる恐らく1年生の女子部員も笑顔で3年生の女子部員に同調気味だ。そんな温かい対応が嬉しくて、メンバーを代表して私がお礼を述べた。


「ありがとうございます。何から何まで協力してくれて」

「気にしないで。私、去年のあなたたちのステージを生で観てて、それからファンなの」

「なんと! そうでしたか!」


 ファンと言ってくれる御方であった。これには驚いたが、とにかく家庭科部の後押しがあって心強い。そう感じていると3年生の女子部員が言葉を加えた。


「今年も有姿発表なんだよね?」

「そうです。だから実は……、ステージが約束されてるわけではなくて……」


 思わず苦笑いが零れる。尤も美和と唯はずっとそんな表情なのだが。因みにのんはいつものとおり無表情だ。しかし話はしっかり聞いている様子だ。さすがに昨年のことがあって長勢先生が今年もまた推薦状を出してくれるとは到底思えない。


「それなら、私たちの衣装発表を兼ねるってことで顧問の先生に文化部枠で打診しておこうか?」

「いいんですか!?」


 思わぬ打診に思いっきり食いついてしまった。部員さんが女神様のように見える。美和と唯もこれには笑顔を見せ、それどころかのんまでもが目を見開いている。


「うん。任せて」

「ぜひ! ぜひともお願いします!」


 メンバー一同深く頭を下げた。私たちはこの場の出会いに感謝した。

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