打診のエピローグは唯が語る
なんでこんなことになったのだろう。お父さんの勘違いだとわかっているから困惑するし悲しくもなる。けどどうしても浮かれる気持ちが拭えない。
定休日である日曜日のゴッドロックカフェ。そのバックヤードで私は今大和さんからベースのレッスンを受けているのだが、先ほどの面談が頭を過り、照れて大和さんが直視できない。尚且つニマニマが止まらない。大和さんはいつものように特に気にした様子もないのだが。
それは昼下がり、お父さんと2人でこの店に来た時のことだ。大和さんはステージ裏の控室に通してくれて、私とお父さんにアイスコーヒーを出してくれた。大和さんがコーヒーを持ってくるまで私はどっちに座ったらいいのだろうと、オロオロとして立ったままだった。すると大和さんが言った。
「唯は一緒にお願いをする立場だから僕の隣に座ろうか」
大和さんはいつもの優しい笑顔を向けて促してくれた。そして私の分の飲み物を大和さんの側に置いたのだ。
土間から小上がりになった畳敷の控室に靴を脱いで上がると、私は大和さんの隣に正座した。大和さんと一緒にお父さんと対面するのもなんだか照れる。
「今日はわざわざお越し頂いてありがとうございます」
そう言って大和さんが頭を下げるので、私もそれに倣って頭を下げた。お父さんに頭を下げるのも違和感が拭えない。普段物静かなお父さんは基本的に穏やかで、この時も愛想のいい大人な対応で軽く頭を下げてくれた。仕事中なんかはこんな感じなのかなと、家庭訪問以来あまり見ないお父さんの姿勢に新鮮味を感じる。
「こちらの都合で自宅にはお呼びできなくて失礼しました」
これはお母さんが家にいることを言っている。私たちに軽音楽を教えてくれている大和さんとお母さんが顔を合わせれば、お母さんの機嫌が悪くなるのはわかりきっている。だからお父さんが出向くと言って、私はお父さんの運転する車に乗ってここまで来たのだ。
「とんでもないです」
「それで今日は夏休みの唯の活動についてですよね?」
「はい」
お父さんから切り出して本題に入ると、穏やかだったお父さんと大和さんの目は真剣になった。私の肩にも力が入る。
「因みに、大和君は唯のことをどう思っているのですか?」
あれ? どういう質問だ? ふとそんな疑問が浮かぶが、お父さんからすれば娘を4週間も預ける話をするのだし、気持ちの面から確かめたいのだろう。それにその答えは私も気になるところである。
「はい。とても大事で、凄く可愛がっていると自負しています」
「そうですか」
お父さんは短くそう答えると手元のアイスコーヒーを吸った。私もなんだか先ほどから緊張して喉が渇いているので、グラスにストローを差してアイスコーヒーを吸う。
――う……、苦い。
慣れないブラックコーヒーに打ちのめされながらグラスを置くと、私は面談に意識を戻した。
「それで夏休みに4週間のツアーを企画しているのでその許可を頂けないかと思っております」
「はい、聞いております。しかし大和君が引率ですか?」
「はい。男の僕が引率をすることに不安があるかと思いますが、ここではっきりと約束させて頂きます。疚しいことは今までありませんし、勿論これからもありません」
ふうっと息を吐いてお父さんはまたコーヒーを口に運んだ。私もそれに合わせてコーヒーを飲むが、やっぱり苦い。
「それは信用しても?」
「はい。誓います」
お父さんの眼鏡が照明を反射させるので、ギロッと大和さんを睨むようである。しかし大和さんはしっかりと答えた。そして補足をするように言う。
「僕は唯さんの将来もしっかりと考えています」
「え?」
あれ? 虚を突かれた様子のお父さんを見てもしかして今何か勘違いをしたのではないかと悟った。まさかお父さんにはこう聞こえていたのではないだろうか。
『僕は唯さん(と)の将来もしっかりと考えています』
「つまり、2人はそういう関係だと……?」
「はい。2人でよく仲良く一緒にいます」
確かにそうなのだが……。大和さん、それは言葉足らずではないだろうか? 確かに2人きりでバックヤードやステージでベースを弾くことはよくあるし、その流れで一緒に晩御飯を食べに行くこともある。
私は大和さんのことが大好きだからそういう意味ならとても嬉しいのだけど、悲しくも大和さんが女としてメンバーを見ていないことは理解している。大和さんの言っている意味はメジャーアーティストに向けての「将来」で、お父さんが捉えた意味の「将来」は恐らく男女関係だ。
「それでプラトニックな関係だと……?」
さすがにこれには少し首を傾げた大和さん。うん、もう少しお父さんの言葉を理解して、詳しく話した方がいいと思うよ。しかし……。
「はい。高校を卒業するまでは責任を持ちます」
何を勘違いしたのだ、この人は。それはプロデュースの話でしょう。お父さんははっきり「プラトニック」と言ったのに、その意味がわからないのだろうか。むしろこっちが恥ずかしくなって顔が真っ赤になるのがわかる。顔は上げられないし、口も挟めないよ。さては大和さん、一度考えたものの途中で考えることを止めたな。
「そうですか。唯の将来のことまで考えてくれて、しかも高校を卒業するまでは倫理を通すと」
「はい」
はっきり大和さんは返事をするが、本当に恥ずかしい。なにが嬉しくて娘を辱めるようなことを言う父を目の当たりにしなくてはいけないのだ。言葉も出ない。
ただこの話の流れにどうしても浮かれる気持ちが拭えない。お父さんが思うような関係だったらどんなにいいだろうかと思う。1年以上一途に大和さんのことを想ってきて、この気持ちは私の誇りだ。
先週は1人の女の子にそれをバカにされて悔しかったけど、その後美和ちゃんが言い負かしたと言っていたし、大和さんも打診をはっきり断ったと聞いているから嬉しかった。
「わかりました」
「本当ですか!?」
「え?」
この面談が始まって初めて私から声が出た。さすがにこのツアーばかりは許可が下りないかと諦めかけていたが、お父さんが折れそうである。ただ、お父さんの勘違いだけど。
「そこまで唯のことを大事に想ってくれているなら、大和君に唯を任せてみようと思う」
「ありがとうございます!」
声を弾ませる大和さんを見て、嬉しいやら、悲しいやら、複雑な気持ちだ。
確かに大事にされている自負はある。けどそれはダイヤモンドハーレムのメンバーとしてだ。この鈍感な大和さんが私たちの恋心に気づいているとは到底思えない。それなのに勘違いしているお父さんの思いに言葉ではしっかりと応えてしまっている。けど、やっぱりお父さんが認めてくれたことに口元が緩む。
「これからも唯のことを頼むよ」
「はい! お任せください!」
大和さん、お父さんが今言った言葉の意味は「彼女として」っていうことだよ? 勘違いのまま進んでいるけど、どうしようか。とりあえずお父さんはペンを取ってツアーの同意書を書いてくれたし、流してしまうべきかな。
お父さんごめんね。騙すつもりはなかったんだけど、私に都合のいいことばかりだからこのままにさせてもらうね。
「うん。いい感じ。早いテンポもツーフィンガーでついてこられるようになったね」
「あ、ありがとうございます……」
そんな面談を経て私は今、大和さんとベースを弾いているわけだ。大和さんがこの日は空いているということだったので、お父さんには1人で帰ってもらい私はお店に残った。けどなんだか大和さんのことが直視できない。
軽音楽を始めた頃は人見知りと、男の人に慣れていないことでこういう落ち着かない気分の時はよくあった。しかし大和さんのことがどんどん好きになる一方、慣れてきていたことも事実だ。こういう気分は久しぶりで息苦しくもある。
「じゃぁ、今日はここまでにしようか?」
「は、はい」
日も沈んだ頃、お互いに切り上げてベースを立てかけた。ここで私は1つ気合を入れる。先ほど家には連絡を入れておいた。実は私から誘うのは初めてだ。とても緊張する。けど、もう少しだけ大和さんを独り占めしたい気持ちがこの日は強い。だから勇気を出して言った。
「えっと……、晩御飯……一緒にどうですか?」
「え?」
一瞬キョトンとした大和さんだが、すぐに穏やかな表情になった。恐らく私から誘うことが意外だったのだろう。
「うん。行こうか」
やった。初めて男の人を食事に誘って成功した。恥ずかしくて顔は上げられないけど、とても嬉しい。
因みに帰宅後、お姉ちゃんにまで勘違いされると面倒なので、お姉ちゃんには事の顛末を話した。メジャーアーティストを目指していることまでは言えなかったけど、それ以外は全て話した。するとお姉ちゃんはお腹を抱えて笑っていた。そしてこんなことを言ったのだ。
「良かったね。お父さん公認の仲になれて」
ここはポジティブにそう捉えようと思う。
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