第二十四楽曲 第八節

「引き抜きの誘いはきっぱり断ってるよ」


 美和からそう伝えられて多大な安堵と共にほっと力が抜けたのは古都である。思わず歩が緩むが、美和が住んでいる市営住宅はもう目の前だ。


「元々ブラックベアーはずっとリードギターを探してたんだって」


 ブラックベアーはボーカルのヨシがギターも担当しており、その他のメンバーは、ベース、キーボード、ドラムの4人組だ。インディーズデビューは既にしており、その音源だけはギターを2パートに分けているが、ライブの時は1パート用にアレンジしている。しかしそれは楽曲に厚みがなくなり、兼ねてよりリードギターを欲していたのだ。


「それで私に声が掛かったんだけど、興味ないから断ってる」

「じゃぁ、なんで美和のバイト先にまで来るの?」

「あれは単純にしつこいからだよ。断っても断っても食い下がってきて、私は私でライブを1回観に行っただけで他の誘いは断ってるから。それで話す場所が欲しくて一方的に送迎を買って出てんの」


 美和は「家まですぐそこなのにね」と言い加えて笑った。どこか呆れているようにも感じる苦笑いだ。


「興味ないって言っても、ブラックベアーってそれなりの活動をしてるよね?」


 ブラックベアーはレーベルや芸能事務所など業界にも精通していて、インディーズとしてはそれなりに有名だ。古都も美和もその認識は持っていて、メジャーデビューが近いだろうということは理解している。


「うん。けど興味ないもん」

「それって……やっぱりうちには大好きな大和さんの存在があるから?」

「あはは。それも否定はしないよ。私だってもう高2だし、色事に目が行くのは認める。けど向こうに興味を持てない決定打はもっと違うところかな」

「それってなに?」


 美和は穏やかな笑顔であり、市営住宅の広大な敷地の入り口まで到着したこの時、街灯と相まって通過する車のヘッドライトが美和を照らした。


「あんまり本人には言いたくなかったんだけどな。恥ずかしいし、調子に乗りそうだし」

「へ?」


 そんなことを言われて美和の言わんとしていることが解せず古都は首を傾げた。すると美和は一度息を吐いて自分の気持ちを正直に言った。


「こっちには古都がいるから」

「え? 私?」

「うん。古都はワクワクさせてくれるんだもん。ブラックベアーは確かに私たちより活動は先を行ってるし、上手いとも思うんだけど、ついていくなら私は断然古都がいい」

「ほわっ」


 そんな声が聞こえたかと思うと美和の隣を歩く美少女の気配が消えた。驚いて美和が歩を止めると、古都はその場にへたり込んでいた。


「こ、古都?」

「えへへ。なんだか安心したら力抜けちゃった。あと、嬉しいのも」


 そんな古都の様子を見て美和は2歩戻ると、ブロック敷きのこの場所は地面が濡れていないことを確認して通学鞄を置いた。そして古都の前に屈んだ。市営住宅の敷地の入り口を通過したばかりのこの場所で、そこにそびえる街灯が2人だけを照らすスポットライトのようだ。


「美和……?」


 その時突然美和が抱きしめるものだから、古都は驚いた。それでも反射的に美和の腰に腕を回す。


「心配かけてごめんね。でも嬉しいよ」

「え?」

「こうしてこんな時間でも来てくれたってことは、私を必要として心配してくれたってことでしょ?」

「当たり前だよ!」

「へへ。それが嬉しいんだよ」


 古都を抱く美和の腕が心なしか締まった。古都も美和の制服のブラウスをギュッと握る。


「私はダイヤモンドハーレムから抜けるつもりはない。ずっと4人でやっていきたい。ボーカルギターは古都でなきゃ嫌。ベースは唯でなきゃ嫌。ドラムはのんでなきゃ嫌」

「美和……」

「私は古都の示す道が楽しみだから、ダイヤモンドハーレムで自分の役割をこなしつつ、古都についていく」

「えへへ」

「どんな未来を見せてくれるのか、これからも私をワクワクさせてね、リーダー」

「うん」


 すっと胸に下りてくるその言葉を耳にして、古都は美和の体温を愛おしむように美和の胸に頬を預けた。


 やがてお互いの体を解放すると目を合わせて2人は恥ずかしくなり、はにかんだ。


「あ、あのね」


 すると美和が言いづらそうに切り出すので、古都は「ん?」と疑問を示して先を促した。


「心配するといけないから唯とのんと大和さんにはこのことを内緒にしてほしいかな」

「あぁ、うん。わかったよ、誰にも言わない」


 当初から引き抜きの話に乗るつもりがなかった美和なので、余計な心配をかけたくなくて誰にも言っていなかったのだ。古都はそれを理解して快諾した。


「それでも今後ヨシさんはどうするの? バイト先にまで押し掛けて来て」

「うーん……」

「て言うか、自宅まで近いとは言え、男の人の車に乗るのは危なくない?」

「何も疚しいことはないよ?」

「けどそれは今のところって話でしょ?」

「そうだよね……。密室の車内で相手がいつ態度を変えるかわからないよね」


 苦笑いを浮かべる美和。古都の心配はそこにもある。古都は男がやたら寄って来るのでそういった危機意識は高い。一方美和は、最近まで幼馴染の正樹と一緒にいることが多かったので、美少女ながら正樹以外の男が寄って来た経験がなく、その危機意識は低い。

 そもそも今こうして話を聞くまで古都は、美和がヨシと深い関係になったのではないかと勘繰っていたほどだ。ただ、ヒナの登場で不満を表すのは美和も同じだったので解せないでもいた。


 あまり露骨に突き放すことが得意ではない美和なので少し迷ったが、古都の意見に納得して腹を決めた。


「これからはもう送迎に来ないでって言う。来ても車には乗らない」

「うん。それがいいと思う」


 これにも古都は安心した。美和は自分の勘違いだと言って恥ずかしそうにしていたが、古都はヨシの魂胆がそれだけではないような気がしている。美和にその気がないのなら反って心配になるので、美和が理解を示してくれたことに古都は安堵する。

 そうしてお互いに笑顔を交わすと美和は母親に電話を掛けた。団地まで到着した旨の連絡である。


「こんばんは」

「こんばんは。こんな時間にごめんなさい」

「全然いいわよ。いつも美和と仲良くしてくれてありがとう」


 やがて自宅から下りて来た美和の母親と挨拶を交わして車に乗り込んだ古都。美和も古都に合わせて軽自動車の後部座席に収まる。


「ところで古都?」

「な、なに?」


 道中、突然美和がジト目を向けるものだから、古都は思わず身構える。この後に続く言葉が予測できるのだが、できれば触れないでほしい。しかし古都の願いは無残にも散った。


「なんで山路君とギグボックスに行ったの?」

「えっとね、メガパンクのライブを観たくて」

「あぁ、そう言えばブラックベアーの翌週にブッキングされてたね」

「そうなんだよ」


 あははと笑って答える古都の胸の内は、これにてこの話題を締めてほしいというものだ。しかしそれは叶わない。美和からの質問は続く。


「それがなんで山路君と一緒なの? メガパンクなら大和さんを慕ってるベースのカズさんでしょ? メジャーデビューも決まって今勢いがあって、それこそカズさんに一目置いてる唯を誘えば良かったじゃない?」

「えっと……、誘ったんだけど、予定があるって断られちゃって」

「唯はその日のライブに興味を持ってたけど?」


 古都の嘘の誤魔化しはすぐにバレた。まさか唯と美和がそんな話をしていたとはつゆ知らず、古都は苦笑いだ。


「ふーん。答えないんだ。じゃぁ、山路君と古都がライブハウスデートしたってメンバーに言い触らしちゃおうかな」

「なっ! 私には秘密を押し付けといてズルい!」

「だって、私は洗いざらい話したじゃない?」

「うぅ……。話すよ」


 観念した古都は当時の経緯と行動をすべて話した。その説明が終わる頃、ちょうど古都の自宅前に到着した。


「ふーん。勉強のお礼にデートのお誘いを受けたと」

「そうだよ、お礼。ジミィ君のことはいい人だなって思ってるけど、そんな深い意味はないから。私は大和さん一筋! じゃぁね」


 逃げるように車を降りた古都。美和はすかさず窓を開けた。


「古都、おやすみ」

「おやすみ」


 お互いに笑顔で手を振ると美和の母親が運転する軽自動車は発進した。古都はその時、美和の母親に向かってペコリと頭を下げた。

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