第二十四楽曲 第七節

 古都のアルバイトが休みの月曜日。古都はヒナが唯を泣かせて以降、ひとまずヒナがゴッドロックカフェに来ていないことに安堵する。

 美和の件はこの日こそ大和に相談したかったのだが、間が悪いと言うのかこの日は客入りが早く、2人で話す時間がなかった。だから古都は1人で行動に出た。


 21時30分。古都はカウンター席を立った。


「あれ? 古都ちゃんもう上がり?」

「はい。お疲れ様でした」


 機械系工場員の山田が物寂しそうに声をかけるが、古都は麗しい笑顔で答えた。すると大和がカウンターの中から言う。


「先週も早かったよな?」

「うん。帰って勉強する」

「……」


 まさかそんな言葉が返ってくるとは思っておらず、絶句したのは大和だけではない。常連客も同様だ。とは言え、中間テストで結果を出した古都だから、本当に勉強への意識を改めたのだと感心もした。

 しかしこれは古都の嘘で、彼女は備糸駅から電車に乗ると自宅とは反対方向に向かった。そして降りたのは1駅目だ。


 ずっと考えてきた。他のメンバーは今ヒナのことで躍起になっているが、それを最初に目の当たりにしたのは自分なのに、古都は美和のことばかりを考えていた。ジミィ君に意見をもらって吹っ切れた古都はこの日、大和と話すチャンスがなければ直接美和と話そうと思っていた。だから今、美和のアルバイト先に向かっている。


 そして歩くこと十数分。暗い住宅街を照らす明るい看板。美和がアルバイトをしているコンビニの看板だ。店の前まで到着して古都は気づいた。やはり彼はいた。ブラックベアーのヨシだ。美和の引き抜きを画策しながら、美和とは深い関係なのだろうかと勘ぐる。

 古都はコンビニ前の道路で一つ息を吐くと、駐車場を抜けて店内に足を踏み入れた。その時にヨシが待機している車内には見向きもしなかった。


「いらっしゃ……、え? 古都?」

「やっほぅ!」


 上半身を指定のユニホームに包んだショートカットの美少女。その美和はレジカウンターの中にいた。古都は明るく片手を上げて応える。

 他に客は3人ほどいるが、まだ会計に立つ様子はない。この時古都は、美和が一瞬だけ気まずそうに駐車場を向いたのを見逃さなかった。店内からガラス越しに見えるそのスポーツタイプのセダンにはヨシがいる。


「どうしたの? 今までカフェにいたんじゃないの?」


 美和の質問の意図は、カフェから帰るならこの場所が古都の自宅とは反対方向に位置することにある。古都はそれを当然の質問だと理解しつつ、笑顔のまま答えた。


「この店限定のチョコが無性に食べたくなっちゃって」

「は? このチェーン店なら古都の家の近くにもあるでしょ?」

「まぁまぁ、そんな細かいことはいいから。もうすぐ上がりでしょ?」

「そ、そうだけど……」

「一緒に帰ろうよ?」

「――わかった。ちょっと待ってて」


 少しの間を置いてから美和が答えるので、古都は美和の困惑を察した。しかし美和がアルバイトを終えるまでの数分、駐車場前のガラス際で立ち読みをして待った。そして22時になると美和が控室に消え、古都は言葉のとおりチョコだけを買って店外に出た。


「あれ? 消えた……」


 するとそこにはヨシのスポーツタイプのセダンはもうなかった。帰ったのかな? と思うが、正直彼の処理には困っていたので、そうならばありがたい。すると店の自動ドアが開く音とともに古都は背後から声をかけられた。


「古都、お待たせ」


 そこには備糸高校の制服姿の美和が立っていた。肩から通学鞄を提げている。古都は一度帰宅をしているのでラフな私服姿だが、そのまま美和の家に向かって一緒に歩き出した。コンビニの駐車場を出て最初に口を開いたのは美和だ。


「さっきお母さんに連絡しといたから」

「ん? どういうこと?」

「いや、だってもう遅いから。私の家からはお母さんが車で古都を送ってくれるって」

「痛み入ります」


 歩きながら武士のようなポーズを取って軽く頭を下げる古都。それを横目に感じて美和がクスクス笑う。


「お母さんがここまで迎えに来るとも言ってくれたんだけど、それは断ったよ」

「へ? なんで?」

「わざわざここまで来たってことは私に話があるんでしょ?」


 突然の核心に古都は美和を向いた。美和は外灯に照らされながら前を向いて歩いている。その表情から気まずさとか困惑とかは感じない。


「うん、まぁ……」

「もしかしてなんか良からぬことがバレてたりする? ……よね?」

「えぇ、まぁ……」


 さすがにもう美和も察しているようだ。しかしその声色に動揺は感じないので、古都は安心していいのだろうかと思考を働かせる。


「さっきバイト上がって控室でお母さんに連絡する前に、ヨシさんにも連絡して今日は帰ってもらったから」

「そうだったんだ」


 これで古都が会計をしている間にヨシがいなくなったことに合点がいった。古都は美和の口からヨシの名前が出たことで、古都がヨシの存在に気付いていることも美和は理解しているのだと悟りつつ、本題に入った。


「美和に引き抜きの話があるって聞いた」

「うん」


 美和ははっきりと肯定した。迷いのないその返事は、反って古都の不安を煽る。


「古都は誰から聞いたの?」

「ギグボックスの本間さん」

「あぁ、ブラックベアーのライブを観に行ったことがあったなぁ。本間さんに会話を聞かれてたか。唯とのんと大和さんも知ってるの?」

「私からは言ってない。その時私と一緒にいたのはジミィ君」

「ん? 山路君?」


 思わぬ名前が出てきて美和は古都に振り向いた。古都は視線を前に向けていてやや俯き加減だ。周囲の光に照らされる古都はやはり美少女で、美和は思わず見惚れる。


「うん」

「それは意外な名前が出てきたな。なんで古都と山路君が一緒にいたのかは追々追及するとして」

「う……」

「今は私のことだよね?」

「うん」


 美和も視線を前に向けた。雨上がりの空気がジメっとしていて、足元には所々水溜りがある。2人はそれを避けながら歩を進めた。


「ブラックベアーと初めて会ったのは去年の10月だったよね?」

「そう……だっけか?」

「うん。唯がスラップを覚えたての頃でバカにされて面白くなかったじゃん?」

「そうだ、そうだ。けど唯、今では凄く上手くなったよ」

「うん、私もそう思う。うちの自慢のベーシストだよ」


 軽音楽の経験が長い美和と、ベースの音が好きな古都。2人から唯への評価は本心だ。古都は美和がメンバーを誇ってくれたことが嬉しい。


「その時唯がナンパっぽいのを躱すために、ツイッターをフォロバするって言ったじゃない?」

「あぁ! そうだった」


 蘇る記憶。古都はそれを懐かしむように美和の話に耳を傾けた。


「それですぐにヨシさんからフォローされたんだよ」

「私もブラックベアーのメンバーからは何人かフォローされた」

「約束通りフォロバしたんだけど、そしたらDMで携帯の番号やラインを教えてくれって結構迫られて」

「なんだよ、それ。やっぱりナンパじゃん」


 古都が不満を示すのでそれをクスクスと笑う美和。古都は美和が笑う理由がわからない。


「私も最初はそう思ってた」

「最初は……?」

「うん。クリスマス前なんかそれが露骨だったから大和さんに相談したこともあったもん」

「うわ。クリスマス前っていう時点で露骨じゃん」

「しかも、やり取りするうちに私のバイトが休みの日にカフェに行ってることを知って、自分も行くとか言い出して」

「げ……。軽くストーカー?」


 引き攣ったような表情を見せる古都。その様子を美和は横目に感じた。


「あはは。やっぱりそう思うよね。さすがにそれは大和さんや常連さんの目があるから勘弁してくれって言ったの。そしたら今度は日曜日に会おうって言われて」

「美和のことが大好きなんだね」

「私もそう勘違いしてたんだよ。恥ずかしながら」


 そう言って笑った美和を見て、美和の笑顔は苦笑いだったのかと古都は理解した。


「あんまりにもしつこいから、その中で誘われたブラックベアーのライブだけ顔を出しに行ったの。それがギグボックス」

「あぁ、そういうこと」

「そこで言われたんだよ。うちでリードギターをやらないかって」


 とうとう核心に辿り着いた美和の話に古都の心臓が跳ねた。そしてこの後、美和から本心が語られた。

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