第二十四楽曲 打診
打診のプロローグは古都が語る
暦が6月に変わり、暑さで夏の到来を感じるとともに、ジメジメした気候がすっきりしない。備糸高校の制服は夏服に変わった。この季節の薄着で愛しの大和さんを悩殺するぞ! ……と意気込みたいところだが、メンバー1貧相な体の私はそれを自覚すると悲しくなる。
この日は6月最初の土曜日で、定期練習が終わってからミーティングである。ホールの円卓に着くのは大和さんと私たちダイヤモンドハーレムの4人だ。
正にミーティングが始まろうかというこのタイミング。美和と唯は雑談をしていて緩い空気感なのだが、のんがそわそわしていて落ち着かない様子で、私はそれが気になった。普段は素っ気ないのんだから珍しいようにも思うので、心配にもなる。
「よーし、ミーティング始めるか」
大和さんが席に着くと私たちは「はーい」と明るく返事をするのだが、のんだけは声を発することなく相変わらずだ。確かに元気に返事をするタイプの女子ではないのでいつも通りと言えばいつも通りなのだが、なんだろう、この違和感は。
するとそののんが口を開いた。
「大和さん……」
「ん?」
どこか言いづらそうなのんだが、大和さんはのんに顔を上げると彼女の様子を察したのか、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫」
「でも……。土曜日にミーティングをやるって言って来なかったこと今まであった?」
「あ!」
不安げなのんの言葉で私は気づいた。
「杏里さんは!?」
思わずテーブルに身を乗り出して大和さんに詰め寄る。
確かにのんから私たちは聞いた。のんのドラムレッスンで杏里さんと泰雅さんが出くわしてしまい、杏里さんが取り乱したのだと。普段は周りに関心を示さないのんだからその時の心配そうな表情は忘れない。のん自身、昨年の学園祭がきっかけで勝手に始めたレッスンだから責任を感じているようだ。
すると大和さんは表情を変えないまま私にも同じことを言おうとした。
「だいじょ――」
「呼んだ?」
「え?」
その声に驚いて振り返ると、なんとそこには杏里さんが立っていた。杏里さんはお店の裏を抜けて来たばかりでカウンター席の通路にいて、私たちが振り返るなり歩を進めてホールに足を踏み入れた。
途端にガタンと椅子が床を鳴らす音が聞こえたかと思うと、私の脇を小さな体がサッと抜けた。そして杏里さんに飛びついた。席を飛び出したのんは杏里さんの背中にしっかり腕を回して少し膝を落とすと、杏里さんの豊かな胸に顔を埋める。
「なんだよ、のん。どうした?」
杏里さんはそんなことを言いながらものんの頭を撫でる。それが心地いいのか、のんの肩から力が抜けたように見えた。
「どうもしない。たまには杏里さんのおっぱいを堪能してやろうと思っただけ」
いつもの素っ気ない口調でそんなことを言うのんは、表情がおっぱいに埋もれていて見えないものの、嬉しそうなその心の内が垣間見えるようである。それは杏里さんも同じようで、優しい笑みを浮かべてのんの頭を撫で続けた。
「杏里」
席を立った大和さんも嬉しそうに杏里さんに歩み寄る。杏里さんは大和さんに視線を向けると笑顔のまま少し眉尻を下げた。
「大和」
「来てくれたってことは……」
「うん、心配かけてごめん」
「そっか、嬉しいよ」
「響輝が夏のボーナスを叩いてあたしの誕生日プレゼントに高級腕時計を買ってくれるって言うから理解してあげるの」
それを聞いてカクンと一瞬首が折れた大和さん。なんともまぁ、ちゃっかりしている杏里さんである。とは言え、茶目っ気たっぷりの杏里さんを見て、それはあくまで口実だということはこの場も誰もがわかる。とにかくこの場に杏里さんがいることが嬉しい。
「ボーナスって杏里の誕生日には間に合わないだろ?」
「買ってもらえるんだから、ちょっと遅れるくらい許してあげるのよ」
そんな掛け合いをしながら席に着く大和さんと杏里さん。のんはよほど嬉しかったのか、この日は大和さんより杏里さんの隣を確保していた。しかし私には一点気になることがある。
「なんで響輝さんが杏里さんにそこまでしてあげるの? まるで彼氏みたいじゃん」
「ふふん」
「……」
「……」
「はっ!?」
気づいて目を見開いたのは私と美和とのんだ。なんで唯は落ち着いているのか、彼女なら「ひぃっ!」なんて上ずった声で驚きそうなものだが。もしかして何か知っているな?
「まさか杏里さんの彼氏って!?」
「響輝に手を出したらいくらあんた達でもただじゃおかないから。三河湾に沈めるか茶臼山に埋めてやる」
なんと恐ろしいことを言うのだ。この時の杏里さんの目は……マジだった。
「ま、大和しか眼中にないあんた達にそんな心配は野暮よね」
突然ジト目になって言い加える杏里さん。途端に美和はぼっと頬を紅潮させて肩に力が入っているし、唯も顔を真っ赤にしてモジモジしている。のんは……、今日だけは杏里さんの腕を抱えて離さないようだ。なんだかその光景、クラスメイトの朱里とむっちゃんの構図を思わせるのだが。
「ま、冗談はさて置き、人数揃ったから今度こそミーティングを始めようか」
大和さんは大和さんでこんなことを言う。第三者の杏里さんが言うのだからいい加減私達の気持ちに気づいたらどうなんだ。
「杏里よろしく」
大和さんに促されて杏里さんは持っていた手帳を開いた。その時名残惜しそうに杏里さんの腕を解放したのんがとても可愛らしく見えた。
「夏休みの全国のライブのスケジュールが出揃ったわよ」
「おおおおお!」
一気に胸が弾んで感動が口から出る。気持ちが盛り上がってきて俄然気合が入るぜ。
今までののんや杏里さんからの話で、全国のライブハウスからブッキングをしてもらうことは日程の調整の面などで大変だったと聞く。尽力してくれた2人には感謝の限りだ。
とは言え、実は県内のライブハウスからのブッキングも思いの外大変である。理由はダイヤモンドハーレムが元クラウディソニックの関わっているバンドだから。
大和さんからプロデュースを受けていることをホームページに載せたり、ステージで大々的に言ったりして、当初こそ話題になった。それでもクラウディソニックが解散した際に、迷惑をかけた県内のライブハウスは予想以上に多く、未だそのわだかまりが解消されないライブハウスからのブッキングは叶わない。
ただ逆に興味を示してくれたライブハウスも少なからずある。それにクラブギグボックスの本間さんや、ビッグラインの榎田さんは良好な関係を続けてくれている。加えて交流バンドもできて、彼らのおかげで県内に活動場所があることは感謝が尽きない。
「はい、これ」
そう言って杏里さんがテーブルに置いたのは印刷された夏休みのカレンダーだ。行く先のライブハウスが、北は札幌から南は博多まで書かれている。その数なんと、13都市16公演。U-19ロックフェスの全国大会を入れると17公演だ。
最初と最後の1週間ずつを除いた夏休みの真ん中は、ライブでぎっしり埋まっている。まとまった休みはお盆くらいである。
「これをもとに宿探しを進めておくわね」
「あのぉ……」
すると美和が遠慮がちに手を上げた。杏里さんが穏やかな目を向けて美和に発言を促す。
「藤田さんが安く上がるようにいい旅行代理店を紹介するって言ってくれてるんです」
「へぇ、いいじゃん」
杏里さんが興味深そうに目を見開いた。それを見て美和は続ける。
「もし良かったら宿の手配は私がしましょうか?」
「一人で大丈夫? ついて行こうか?」
「それなら私がついて行くよ」
ここで話に加わったのはのんだ。のんは真っ直ぐ杏里さんを見据えて続けた。
「杏里さん、私に任せて」
「うん。じゃぁ、宿の手配はのんと美和にお願いしようかな」
頼もしそうに笑顔を浮かべて言う杏里さんに、のんと美和の表情も綻ぶ。すると杏里さんが大和さんに向いた。
「大和は成人の同伴者だからちゃんと保護者の同意書を持って代理店の予約に付き合ってあげてね?」
「うん、わかった」
大和さんは快く返事をした。衣装も生地の買い出しが終わって月曜日から制作に入ると聞いているし、ツアーの方もあとは宿の手配だけだ。ツアーまで他にやることは練習あるのみか。ワクワクしてきた。
しかし杏里さんも戻って来て順調かと思われたが、一難去ってまた一難。私の大事な人たちに触手を伸ばす輩がいるなんて、この時はまだ知る由もなかった。
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