第二十三楽曲 第九節

 家庭訪問2日目。美和と同一日に唯の自宅に赴いたのは唯の担任、長勢教諭である。面談したのは唯と唯の父親で、母親が同席するとこは叶わなかった。父親がわざわざ有休を使っての同席である。

 内容は元々成績のいい唯なので勉強に関しては褒められた。しかし進路に関しては『まだ両親と相談していません』と書いたことで長勢が気を使ってバンドのことは口にせず、よく家族と話すようにとのことで終わった。


 そして長勢を見送った唯がリビングで父親と対峙する。姉の彩は大学に行っているし、家庭訪問に同席しなかった唯の母親はもちろん外出中だ。何の用事かも聞かされていないが、家庭訪問を放棄するほどのことではないと思っている唯は心境が複雑だ。


「お父さん、ずっと気になってたことがあるんだけど」


 リビングで寛ぎ始めた父親だが、家庭訪問のため正装とは言わないまでもラフな格好ではない。背もたれに後頭部を預けた父親は「ん?」と声を出して唯を向く。お茶を下げたばかりの唯はリビングテーブルを挟んで父親の斜向かいに、床に敷かれたカーペットの上にちょこんと座る。


「お母さんって何にあんなに見栄を張るの?」

「あぁ、そのことか」


 むくっと背もたれから上体を起こして父親は膝の上で手を組む。すると父親が答える前に唯はもう一声足した。


「今一基準が掴めないって言うか……」

「なるほど、そこに疑問を感じるわけだ」


 唯が「うん」と答えると父親は体勢をそのままに目を閉じて暫しの間考えた。そして目を開けると話し始めた。


「唯が言うのは、車は高級車だったり、派手に着飾ってたりするけど、家は至って標準的な大きさとかそんなところか?」

「あと、私やお姉ちゃんに対することも。習い事はたくさんさせてきたけど、高校は特段私立に行けとか言わなかったし」

「なるほどな。それは母さんの性格によるところだけど、一昔前は県民性とも言われてたことだな」

「県民性?」


 カーペットの上で女の子座りをする唯は、鸚鵡返しに疑問を口にして首を傾げる。父親の言わんとしていることがまだ理解できていない。


「父さんの実家がだいぶ遠いのは知ってるだろ?」

「うん」


 父方の祖父母宅は飛行機を使って行くほど離れている。新幹線と特急を乗り継いでも行けるのだが、何時間もかかる。そんな離れたところから唯の父親はやってきて、この地域にある大企業に就職をした。


「だからこっちに来た当時は父さんも驚いたんだけど、当時この辺りの地域の人たちはなぜかわからんが家より車の方がステータスを示せるものだと思っていたんだよ。家にはお金をかけずに内々で質素な生活をするけど、ガレージの車だけは高級車って家庭があるんだ」

「へぇ。じゃぁ、私たちのことは?」


 唯の父親は一度間を置くとずれた眼鏡を整えてから言った。


「この県は公立高校から難関大学への進学率が全国的に見て高いんだ。偏差値で言うと、上も下も充実してる。だからわざわざ私立にステータスを見出す必要がないんだよ」

「ふーん。習い事は?」

「あれは単純に見栄っ張りな母さんの性格だな。母さんのは度が過ぎてるから。そもそも父さんが出世間違いなしって言われてた頃に、それなりの役職夫人を将来像に描いてて、それで娘を恥ずかしくないところに嫁がせようと思って始めたことだ」


 自分の恥ずかしい仕事の黒歴史も交えなくてはならないので言いづらいところもあるが、唯が軽音楽を始めてからは積極的に娘との会話を心掛けている父親なので、包み隠さず話した。


「ところで唯。進路はどうするんだ?」


 その質問にギクッとする唯。なんと答えたらいいものかわからず顔を俯ける。


「まぁ、まだ決まってないか」

「う、うん……」


 唯は誤魔化した。メジャーデビューを本気で目指していることは間違いないのだが、やはりまだ家庭内では声に出して言えない。恥じてはいないと断言できるのに反対されることが怖くて、だから言えない現状が心苦しくてもどかしくて情けない。一緒にメジャーデビューを目指しているメンバーに対して、背信的だとすらも思い自分を責めてしまうのだ。


 これ以上話せることがなくなって唯は自室に上がり、アルバイトの時間までベースの練習を始めた。




 翌日、家庭訪問3日目は最終日だ。ダイヤモンドハーレムのメンバーは前日までに皆家庭訪問が終わっている。授業が半日で終わるこの日の放課後は、家庭訪問で帰った生徒と部活に出ている生徒がほとんどで、校舎内は閑散としていた。

 古都と唯の1組の教室に呼ばれたのは隣の2組の美和と希で、2人が入室してきた時、古都と唯の他に2人の生徒がいた。


「あ、美和ちゃん、のんちゃん。夏服のデザインできたよ」


 美和と希の入室に気づいた唯がそう言って2人を輪に促す。古都は輪の中にいる朱里の手元のスケッチブックを見ていた。もう1人のバンドメンバーではない女子生徒、睦月も興味深そうにそのスケッチブックを眺めている。


「どうかな?」


 すると朱里が恥ずかしそうに美和と希に意見を伺った。スケッチブックには3種類のセーラー服がデザインされていて、夏に合わせてどれも涼しげな色合いである。


「すごーい。可愛い」


 美和が目を輝かせて前向きな反応を示すと、希も「うんうん」と言って納得の表情を見せる。それに対して朱里は安堵の笑みを零した。


「このグレーのデザイン、いいわね」

「やっぱり!?」


 希の言葉に反応を示したのは古都で、ブレザー選びの際に多数決で敗北している彼女は同調者がいて嬉しそうだ。

 それは白地に黒を基調としたセーラー服で、蝶々リボンが強調されている。襟もスカートもリボンも白と黒のチェック柄で、同調してそれがグレーに見える。どうやらこのバンドはチェック柄がお好きなようだ。


「私もこれが一番好き」


 更に同調したのは美和である。3人一致に満足そうな表情を見せるのは唯で、彼女も異論はなさそうだ。


「じゃぁ、これに決定!」


 古都の元気な一声で夏服のデザインも決まった。


「じゃぁ、朱里。早速行こうか」


 睦月の言葉に幼気な笑顔を浮かべた朱里が「うん」と答えると、2人は揃って通学鞄を肩から提げた。それを見て美和が問う。


「生地の買い出し?」

「そうだよ。むっちゃんとランチデートしてから行くんだ」


 睦月によほど懐いているようで、朱里がこの後の予定を楽しみにしていることが全身から溢れ出ていた。その朱里が続ける。


「本当はテストの最終日に行く予定だったんだけど、今日に変更なの」

「あ……その節はお手間を掛けました」


 夏服のデザインを追加したことで予定が変わったのだと美和は気づき恐縮した。すると朱里が慌てて手を振る。


「ううん。全然大丈夫だよ。私たちも楽しんでるから気にしないで」

「良かった。あ、そうだ。バンドで出納帳を付けてるから、領収書かレシートをもらってきてもらえると助かる」

「わかったわ」


 これには睦月が答えた。生地の買い出しに慣れているしっかり者のイメージの睦月が主導だから、そこは心配ないだろうと美和は思った。


「みんなは今日も練習なんだよね?」

「そうだよ! 定期練習の日じゃないけど、せっかく半日だからやるんだ」


 朱里の問いに答えたのは古都である。その時の実にいい表情の古都を見て、本当はメンバーも一緒に買い物に行けたら楽しそうだと思っていた朱里はその誘いを飲み込んだ。活き活きした彼女に水を差したくなかったのである。


「それじゃぁ、私たちも行こうか?」


 古都のその声でダイヤモンドハーレムのメンバーも通学鞄を肩から提げた。これから備糸駅周辺でランチをした後、ゴッドロックカフェで練習である。本番であれ練習であれ、4人で音を合わせるのが好きな4人の表情は輝いていた。

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