第二十三楽曲 第八節

 無事中間テストを終えて翌週、家庭訪問期間である。そのため授業は半日で終わる。初日の月曜日のこの日、希の自宅にやってきた剛田教諭。保護者を前にスーツ姿で愛想良く取り繕ってはいるが、内心穏やかではない。


「今回の中間テストは1年生時の成績と比較してかなり伸びたので驚いております」

「まぁ。希ちゃん、お褒め頂いて良かったね」

「驚いたのは先生が私のことを見くびってたからでしょ。つまり先生は最初から生徒のことを信用もしてなければ当てにもしてなかったってことよ」


 ――ちっ、相変わらずの減らず口が。


「そんなことないぞ。先生は奥武ならやればできると信じてたから」

「後からなら何とでも言えるわ。むしろクラス平均を上げたんだかお礼の言葉の1つもほしいくらいよ。先生としても鼻が高いんでしょ?」


 ――こんのクソガキが。親の顔が見てみたいわ。……って、目の前にいるか。


 リビングのソファーに礼儀正しく座る剛田の笑顔は思わず引き攣る。訪問を受ける側の希の継母玲子は苦笑いだ。希はいつものとおり素っ気ない表情である。剛田はこめかみがピクピクするが、話題を転換して間をつないだ。


「それで1年生時の終わりに回収させてもらった進路希望なんですが、このような内容で提出されてまして」

「まぁ!」


 剛田が差し出した希の進路希望調査書を見て玲子は目を見開き口元に両手を当てる。剛田は出されていたお茶を一口啜った。そしてそれを置くと反撃とばかりに内心ほくそ笑む。


「彼女の人生ですので過剰に口出しするのもどうかと思ったのですが、さすがにこの内容ですし、そもそも親御さんとちゃんと相談のうえなのかを確認させていただきたくて」


 もちろん玲子は初めて目にする希の進路希望だ。プリントに書かれた『日本一のガールズバンド』から目が離せない。すると希が動いた。リビングテーブルに置かれた剛田の手帳、そこに刺されていたペンを無言で抜き取ると『日本一のガールズバンド』の上に『大学に行きながら』と追記したのだ。


「……」

「……」


 唖然としたのは大人の2人だ。頭上をゆっくり三点リーダーが通過する。その様子を見ながら希が言った。


「一応大学にも行くつもりをしておくわよ。一応ね。一応よ? 良かったわね、先生、面目が保たれて。これこそお礼の一言でもほしいわ」


 ――こんのクソガキが。いつもいつも一言二言多いんじゃ。


「おお、漸く考え直してくれたか。先生は嬉しいぞ」


 なんとか愛想笑いを浮かべて声を絞り出す剛田。完全に置いて行かれた感じのある玲子は唖然としている。すると剛田は希からペンを奪い返すと『日本一のガールズバンド』を二重線で消した。


「なっ! ちょっと!」

「それじゃ、私は次がありますので」


 剛田はそそくさと進路希望調査書を鞄に仕舞い、立ち上がった。内心してやったりだ。


 ――こんのクソセンコー。私たちの夢をたったの線2本で消しやがって。


「今日はご苦労様でした」


 剛田に合わせて玲子も立ち上がり、玄関まで彼を見送った。不貞腐れた希は立ち上がることもせず、ぶ然とした様子でリビングに残ったままであった。




 一方古都もこの日が家庭訪問で、自宅のリビングに担任の長勢教諭を招いた。スーツ姿の長勢と面談する保護者は古都の母親である。彼女もまた美人で、思わず長勢も目を奪われる。がしかし、職務を全うするため意識を保つ。


「えー、1年生の時と比べて娘さんはこの中間テストを相当頑張られたようで、私としても大変喜んでおります」

「えへへん。ほんのちょっとだけ本気出しちゃった」


 得意げに言う古都だが、すかさず長勢が「なら普通の本気を出せばもっと伸びるな」と言うので口を噤む。ジミィ君の功績が大きいとは言え、古都自身げんなりするほど今回は頑張ったものだ。もうこれ以上のペースではできないと思っている。


「へぇ、古都凄いじゃない」


 しかし成績表を見て母親が感心するので古都の表情はすぐに得意げに戻った。そして何より満足しているのが、バンドのメンバーが古都の成績を知って驚いたことだ。本当に見返すことができたことに古都は喜びを感じていた。欲を言えば希より上に行きたかったのだが、なんとこの2人、合計点が同数である。


「ところで……」


 喜びの雰囲気に水を差すことで長勢が遠慮がちに口を挟んだ。それに対して雲雀親子は成績表から長勢に視線を戻す。


「1年生の最後に回収した進路希望なんですが……」


 途端に古都がぱぁっと明るい表情を見せて元気よく言った。


「あ! それなら『メジャーアーティスト』改め『華の女子大生メジャーアーティスト』にしまーす」

「おお、そうか。大学に行くか?」

「わからないけど、その可能性は持っておきます」


 まだ2年生が始まったばかりの今の時点ではそれでもいいかと、長勢はひとまずの納得を示した。そして古都の母親に向いて言う。


「大学進学希望ということでお母さんの方も大丈夫ですか?」

「はい。この子がそうしたいなら」


 これに胸を撫で下ろす長勢。もし変化なく学校に帰っては、進路指導主任や学年主任から何を言われるかわかったものではない。いい報告ができることで、この後意気揚々と雲雀家を後にした。




 翌日、美和の自宅に赴いたのは担任の剛田だ。美和はダイニングの食卓を挟んで斜向かいに剛田と対面する。美和の隣には美和の母親だ。

 愛想笑いで飾った強面の剛田は、冒頭の挨拶を経て中間テストの成績表を差し出す。


「中間テストは1年生の時と同じくらいの成績を維持しておりますので、これを崩すことなく勉強に励んでもらえればと思います」

「そうですか。良かったです」


 午後半日有休を取った美和の母親は仕事着のスーツ姿のままで、穏やかに笑って答える。その隣で美和は大人しく座ってやり取りを見守っていた。すると剛田が切り出す。


「勉強に関しては問題ないのですが、進路についてはご家庭内でどのようにお話されておりますか?」


 内心ギクッとする美和。その美和の顔を伺うように母親が一度美和を見たが、美和は視線を合わせることができない。


「進路……ですか?」

「はい」

「まだ2年生が始まったばかりのこの時期に?」

「ええ、そうです。この時期でも進路のことを考えるのは早いなんてことはありません。1年生の終わりに当校では高校生活最初の進路希望を集めておりますので」


 美和の母親はもう一度美和をチラッと見る。触れてほしくない話題に美和は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。すると剛田が続けた。


「娘さんはバンドをやっているようですが、そのメンバーが当初それでプロになるなんてことを言っておりましたので心配しておりまして。しかし私のクラスの1人のメンバーもやっと大学進学に希望を変えてくれたようで、少しずつ安心しているところであります」


 その情報に美和は「え?」となって剛田に顔を上げた。しかしすぐに、今日学校で希が「勝手に進路希望の音楽の部分だけを消された」と言ってカンカンに怒っていたことを思い出す。このことかと美和は解せた。


「それで娘さんは進路希望が未定のままですので、ご家庭ではどのような認識なのかを確認させていただきたいと思っております」


 話を続ける剛田に美和の母親が答えた。


「まだ進路の話はしたことがありませんが、バンド活動であれ大学進学であれ、はたまた他の道であれ、美和がやりたいようにやればいいと思っています」


 これまた「え?」となって今度は母親に目を向ける美和。驚いたのは剛田も同じだ。しかし美和の母親は続ける。


「うちは母子家庭ですが、子供2人大学にだって出してやれます。その点もご心配なく」

「えっと……、すいません。大学はともかくバンドでもいいのですか?」

「はい。亡くなった私の主人は結婚前バンドマンになるんだっていきり立っていた時期があります。厳しい世界なのはそれで重々理解しておりますが、それを目指している時が活き活きしていることも知っています。だから私はよほど人道を外れたことでもしない限り、美和が目指す道を応援します」


 大好きだった父親のことも引き合いに出し、そんなことを言う母親の言葉に美和の目頭は熱くなった。進路についてはこれから少しずつ母親と話していこうと思えた。

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