第二十三楽曲 第七節
自身のアルバイト先のファミリーレストランで1卓を陣取る古都。脇にはギターのギグバッグが立てられている。朝からいる彼女だがこの時すでに昼時で、今まで広げられていた教材一式は一度片付けられて、テーブルの上には料理が並べられている。土曜日のこの日、店内は多くの客で混雑していた。
「なぁ、雲雀。店忙しそうなのにバイトの雲雀が居座っちゃって顰蹙買わないのか?」
「ん?
恐縮そうに問うのは古都の正面に座るジミィ君こと山路充。古都とは1年生時からのクラスメイトだ。古都は彼からの質問に気にした様子もなくハンバーグ定食を食べている。そして嚥下すると言葉を続けた。
「店長にね『テスト勉強がヤバいんです。成績落ちたらバイト続けられない。教えてくれる人はいるけど、週末は教えてもらう場所がないんです』って泣きついたらここを使えって言ってくれたの」
「そっか。それならいいけど」
納得して自身の手元のとんかつ定食に手を伸ばす古都ファンのジミィ君。ただ古都はこう言ったが、古都の成績でこれ以上の落ち幅はたかが知れている。更に言うとこの店の店長も古都ファンなので、辞められたくない古都に甘いのだ。と言うか、古都のみならず若い女性アルバイトには甘い中年の男である。
しかし古都も昨日の今日でよく場所の確保まで話を詰めたものである。明日の日曜日もこの場所で2人での勉強を予定しているし、テストが始まってからは学校に残ってこれまた2人で勉強をする予定だ。
「ジミィ君、教え方が上手だから助かるよ」
満面の笑みでそう言ってハンバーグを口に運ぶ古都。その古都に褒められてはいちいち頬を紅潮させるのが、眼鏡をかけていること以外これと言った特徴もない地味なジミィ君である。ただ古都の言葉のとおり勉強は思いの外順調だ。
「バンドの練習場所のロックカフェでは今他のメンバーが勉強してるんだろ?」
「うん、そうだよ」
「いつもはそっちでやってるんだろ? 雲雀だけ輪を外れて大丈夫なのか?」
「いいの、いいの。私は私でメンバーの目に触れないところで頑張って、勉強で私を見捨てたメンバーを絶対見返してやるんだから!」
古都のそのつぶらな瞳はやる気に満ちていた。希が勉強に対して前向きな姿勢を示したことが火を点けたようで、相乗効果である。因みにこの時ゴッドロックカフェでは、古都以外のダイヤモンドハーレムのメンバーに華乃を加えた4人が勉強中である。
「ねぇ、ねぇ、ジミィ君」
「な、なに?」
突然魅惑的な表情で目を細めて古都が呼ぶものだから、ジミィ君の脈は一気に速くなる。つまり、ドキドキキュンキュンしている。
「とんかつ一切れちょうだい」
「う、うん。どうぞ」
「やった。ありがとう」
古都の満面の笑みが眩しすぎて直視できないジミィ君は、やや俯いて自身のおかずの皿を古都に差し出した。それを受けて古都は嬉しそうにフォークを伸ばした。……のだが、すぐにジミィ君は焦る。
「え? あ……」
「ん? 気にする?」
「い、いや。雲雀がいいなら全然」
手をつけていない一切れを持っていくかと思っていたジミィ君だが、古都はジミィ君が既に半分かじった一切れを持って行ったのだ。古都とこうして2人だけの勉強会をしているだけでも浮かれ気分のジミィ君なのに、またも彼はドキドキさせられる。しかしこれだけでは終わらないのが雲雀古都だ。
「お礼にこっちのも一口あげる。はい」
目の前に差し出されたのは古都のハンバーグなのだが、それは既にナイフに刺さった一切れで古都の手から伸びている。このシチュエーションに卒倒しそうになるジミィ君だが、意識を失っては勿体ないとなんとか気を保ち、素直に口で受けた。
――人生でこれほど美味しいハンバーグはこれから一生食べることはないだろうな。
顔を真っ赤にして浮かれっぱなしのジミィ君である。
やがて食事を終えると食器を下げてもらい、フリードリンクを補充して勉強再開である。午前に引き続き数学をやるようだが、再開を前にしてジミィ君が鞄からルーズリーフの束を取り出した。そして気恥ずかしそうにそれを古都に差し出す。
「えっと、これ……」
「ん? ――わっ! すごい!」
それは要点が綺麗にまとめられたジミィ君手作りのテスト対策だった。古都は感動した様子でそれを受け取る。
「歴史は穴埋め問題にしてある。英語は覚えておくべき単語や文法をまとめたから。あと数学は公式かな。化学と現代文と古文は今日作って明日渡すよ」
「わぁ! ジミィ君ありがとう。家でやってみるね」
古都は笑顔を見せて大事に自分の鞄に仕舞った。喜んでもらえたことに対する満足感と同居してどこか落ち着かない気持ちをジミィ君は抱く。
ジミィ君はこの日の勉強会のために寝不足である。そう、古都に渡すこのテスト対策を作るために昨晩は夜更かしをした。昨日の夕方、古都から連絡をもらってから取り掛かったのだから、なんとも健気なジミィ君である。
そして勉強再開だ。
「むむぅ……」
「あぁ、それはこの公式を使うんだよ」
基本的にはそれぞれ問題に取り組む2人だが、古都が唸るとジミィ君が手を止めて古都に教える。その繰り返しである。すると途中で古都が動いた。
「正面からじゃやりにくいよね?」
そう言って古都は席を立つとジミィ君の隣に移動した。途端に力むジミィ君。長椅子のソファー席で肩が触れるほど近くに寄られて戸惑っている。間違いなく嬉しいはずなのだが、古都の髪の匂いを感じてクラクラする。
「ジミィ君?」
「あ、うん……、ごめん」
大丈夫だろうか、彼は。とても集中できているようには見えないが、古都はそんなことお構いなしでジミィ君から教えを乞う。そして説明をするほどに古都が2人の間に置いた教材に顔を寄せるので、自ずと体も寄る。それにジミィ君はまた緊張するという悪循環だ。
そんなジミィ君にとっては刺激的な、古都にとっては有意義な勉強会はなんだかんだと順調に進み、夕方近くになった。2人は教材を片付けて古都のアルバイト先であるファミリーレストランを一緒に出た。会計は古都の従業員割引が利いて高校生の財布には優しいものだった。
「えっと、これから練習なんだよな?」
「うん。そうだよ」
「え、駅まで送るよ……」
「お! ジミィ君は優しいなぁ。お言葉に甘えちゃおう」
ご機嫌な古都の隣を歩くジミィ君だが、少しでも長く古都と一緒にいたい打算である。ジミィ君は乗って来た自転車を押して歩いている。
「鞄、籠に入れようか?」
「鞄は大丈夫だよ。ありがとう」
「そっか。テスト期間中もバイトは休まないんだよな?」
「そうだよ」
「頑張ってんだな」
「えへへん」
得意げに笑う古都は沈み始めた日に照らされて、ジミィ君には神秘的にも見えた。
「日曜日だけはオフだっけ?」
「うん。ライブが入らない限りはオフ」
「そっか」
短く言葉を返してモジモジし始めるジミィ君。前を向いた状態の古都は彼の様子に気づいていないが、ジミィ君はやや俯きがちながらもチラチラと古都の麗しい横顔を拝む。そして勇気を出して言った。
「えっとさ、テストが終わった後の日曜日とかもし良かったら遊びに行かない?」
「お。それはもしかしてデートのお誘いかい?」
直球を返してくる古都に何も言葉が出ないジミィ君。古都は鞄を片手に両肩に掛かったギグバッグの肩ひもに両手の親指をかけている。健やかな笑顔でジミィ君を見据える古都が眩しくて、ジミィ君はすぐに目を逸らした。しかし顔を真っ赤にしながらもしっかりと首肯した。
「ジミィ君に誘われるのは嫌な気がしないな」
「本当!?」
「うん」
こういった誘いには慣れているが故の古都の言葉であるが、ジミィ君はジミィ君で古都がモテるのを十分過ぎるほど知っているから、その言葉に声を弾ませた。
「勉強教えてくれてるお礼もしたいし、いいよ。行こうか?」
「いいの!?」
「うん。どうせ大和さんはなかなか振り向いてくれないし。大和さんの女になる前なら少しくらいクラスメイトと遊んでもいいよね」
「そ、そうだな……」
しっかり釘を刺す古都に思わず肩を落としそうになるジミィ君だが、それでも2人で遊べるならとすぐに前を向いた。しかしどうしても気になったので恐ろしい質問を投げかけた。
「雲雀はその……、プロデューサーさんのことが好きなのか?」
「そうだよ」
即答である。今度こそがっくりと肩を落としたジミィ君。それでも自分のような地味な男子が古都から相手にしてもらえるだけでも喜ぶべきかと、心の中で前向きに涙を拭った。
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