第二十三楽曲 第五節
高校生の希を前に、なんと説明をしたらいいのかわからないのが成人組の3人だ。そのまま暫し膠着状態が続くのだが、希はホールに足を踏み入れ、泰雅のいる円卓に通学鞄を置きながら3人の顔色を窺った。
するとクラウディソニックの経緯はもう知っている希なので、3人の表情から杏里が泰雅を責めている構図が予想できた。そしてレッスンを前にしたこのタイミングだ。希も察することができた。
「杏里さん、勝手なことをしてごめんなさい」
すると突然、希がペコリと頭を下げた。セミロングの髪が希の小さな顔を隠すように揺れる。杏里は突然の謝罪に驚くがその様子は見せない。しかし希は更に謝罪の言葉を続けた。
「学園祭の時、マネを手伝ってほしいって言っておきながら杏里さんにとっては不義理を働いててごめんなさい」
あまり表情に変化のない希はいつものように淡々した様子ではあるのだが、そもそも希の口から謝罪の言葉が出るのもそれほどあることではない。だから真剣な彼女の心情は誰もが理解できる。
「泰雅さんを私の師匠として杏里さんにも認めてほしい」
悔しそうに顔を顰めていた杏里の頬を一筋の涙が伝った。杏里はそれを隠すように顔を俯けるが、手で拭うし鼻は啜るので気づかない者はいない。杏里のそんな様子を感じながらも希は続けるのだ。
「さっき、杏里さんが私たちのマネを降りるって聞こえた。杏里さんに前向きな他の事情があるのならそれは仕方がないと思う。けど今のこの雰囲気ってたぶん違うよね?」
まだ高校生の希にこんなことを言わせてしまった自分が情けない。声は抑えても杏里から涙が止まらない。その思いは大和も泰雅も同じだった。杏里の感情を落ち着かせることばかりに意識が向いて、ろくな説得もできなかった自分が情けない。
「それは凄く寂しいことだから考え直してほしい」
「ぐすっ、無理だよ……」
一度鼻を啜ると杏里は弱く答えた。やはり杏里の傷は癒してあげられないのか。大和はそう落胆しながら声を発することができずにいた。
「今日1回だけでいい」
「え……?」
涙で頬を濡らした杏里が希に顔を上げる。普段不愛想で勝気な希が下手に出ていることも然る事ながら、なかなか感情の読み取りにくい希が懇願の意を示すわけだ。杏里は自分が子供のように意固地になっていることを痛感して胸が痛んだ。
「今日の私たちの練習を見てそれで認めて。それでもダメなら大和さんと相談して今後のことはちゃんと決めるから」
「わかった……」
そう言われては杏里も承諾するしかないわけで、涙で頬に張り付いた髪をかき分けると同時にその涙を拭った。そして泰雅のいる円卓とは別の円卓に着いた。
ひとまずの落としどころに胸を撫で下ろしたのは大和で、杏里と希の分の飲み物を用意すると、杏里と同卓に着いた。その時にはもう希と泰雅はステージに上がっていて、練習を始めようとしているところだった。
やがて始まった練習は大和が初めて見たときと同じであった。途中までは穏やかな雰囲気で進むものの、中ほどから希も泰雅も熱が入ってしまい喧嘩腰である。初めて見た時の大和は唖然としたものだが、杏里は動じることもなくその様子をじっと見つめていた。
「大和も前はあぁして泰雅に怒られてたね」
ドラムのビートとステージ上の2人の張り上げた声が鳴り響くホールで、杏里がボソボソっと言った。大和は杏里が声を発したことはわかったのだが、その内容までは聞き取れなかった。
「ごめん、もう一回言って」
「なんでもない」
杏里がステージから目を離さずに言うのだが、やはり大和に杏里の言葉は聞き取れなかった。それでも杏里に向いていたこの時はその口の動きから内容を理解した。そして大和も再びステージに目を向けた。
程なくして練習が終わると杏里は無言で席を立ち、裏から店を出た。するとまだステージにいた希が大和に向けて顎をクイッと振る。開店まで30分を切った時間帯で、まだ開店準備もろくに終わっていないことは気になったが、希に促されたことで大和は杏里を追った。
「杏里……」
杏里は裏口を出てすぐの屋外階段で膝を抱えて座っていた。膝に顔を挟む様子は、拗ねた子供が頬を膨らませているようだ。大和は掛ける言葉を探しながら杏里の隣に腰かけた。すると杏里が先に口を開いた。
「響輝は知ってるの?」
「いや。まだ言ってない」
「まぁ、でも響輝なら言えばわかってくれるよ」
元気のない様子が顕著な杏里。これは昨年の夏に杏里が、響輝と一緒に泰雅の店に行った時の様子からそう思えたのである。
「とは言え、響輝は直接ダイヤモンドハーレムに関わってるわけじゃないし、本来は大和さえ問題なければ誰が文句を言えることでもないよね」
「そうは言っても、やっぱりちゃんと杏里には理解してもらったうえで一緒に活動をしていきたい。響輝にも解ってもらったうえで応援してほしい」
建物がそれなりに密集しているこの場所で、その隙間から風が吹き込む。靡いた杏里の長い髪が彼女の頬を露にし、涙の痕を垣間見せた。
「大和が知ったのは2週間前だっけ?」
「うん」
「なんでその間黙ってたのさ?」
「……」
「まぁ、知ってもすぐには言い出しにくいよね」
答えに詰まった大和の心中を察してその答えを杏里が代弁する。
「大和は初めて知ったときは平気だったの?」
「すぐに受け入れるのは難しかったかな。けど練習を見させてもらって受け入れられた」
「そっか。やっぱり一緒に演奏をしていた同士だと通じ合うものがあるのかな。それとも男同士のさっぱりした性格かな」
少しだけ皮肉っぽく言う杏里だがそれは本音であるものの、本当は皮肉を込めたいわけではない。こんな言い方しかできない自分がもどかしい。
すると突然正面から声を掛けられた。
「杏里、大和」
その聞き覚えのある声に2人は驚いて顔を上げると、なんとそこに立っていたのは響輝だった。思わぬ人物の登場に2人は言葉を失った。既に薄暗くなった空の下、目元まである茶髪を伸ばした細目の彼は、2人の様子を見て心配そうな表情を覗かせる。
「なんでここに……?」
解せない様子の大和が声を絞り出すので、響輝は若干気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「昼間、スマホに泰雅からメッセージが入ってて。それで今日ここに来るってなってたから、どんな感じかと思って様子を見に来たんだ。今希と一緒にいるんだろ? 仕事が終わってそのまま来たんだけど、残業に捕まってこの時間」
と言う経緯なので、杏里がこの場にいて、そして今の大和と杏里の雰囲気を見て、響輝も察することがあるわけだ。尤も、杏里が泰雅と出くわしたことは響輝にとっても予想外ではあったのだが。
「そっか。じゃぁ希と泰雅の活動ももう知ってるんだ?」
「メッセージだけだが、大よそは。――杏里?」
大和に答えた響輝が杏里を呼ぶので、気落ちしている様子の杏里はその恋人見据えた。それを見て響輝はまず軽口から言葉をかける。
「せっかくの美人が台無しだな」
「うるさい……」
「今から一緒に飯食いに行かねぇか? 俺、腹減ってんだよ」
「…………行く」
一瞬考えた様子を見せた杏里だがそれは勿体ぶっただけで、返事をするとすぐに腰を上げた。それを見て響輝は大和に視線を移す。
「大和も店開けなきゃならねぇだろ? 杏里のことは任せろよ」
「うん」
親友からのその言葉でやっと力が抜けた大和に笑顔が戻る。そして大和も腰を上げると2人の背中を見送った。
希と泰雅はホールの円卓に着いていた。戻って来た大和を見るなり2人して立ち上がる。
「あ、えっと……」
「どうだった?」
なかなかうまく言葉が出てこない泰雅に被せて希が問い掛ける。大和は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「うん。ちょうど今、響輝が来てさ」
「響輝さん?」
「うん。2人一緒にご飯食べに行った」
「何よ、それ?」
「まぁ、響輝がついてるから杏里は大丈夫だよ」
「大和さんがそう言うならいいけど」
ほっとした希がすとんと椅子に腰を落とし、泰雅もまた安堵して肩が下がった。この後少しして大和は希と一緒に泰雅を見送り、店を開けた。
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