第二十三楽曲 第四節

 開けた裏口で予想通りの人物を視界に捉えて大和は声をかける。


「泰雅、お疲れさま」

「お、おう」


 そこには緊張した面持ちの泰雅が立っていた。大和は泰雅を入れ、店内に案内した。肩に力が入っている泰雅の様子は読み取れるが、大和は素直に後ろをついてきているのが感じ取れるので安心する。そのまま店の裏を抜け、ホールの照明を点けた。


「いつもなら学校から真っ直ぐここに来ればもう到着してるんだけど、今日は希が採寸だって言ってたからもう少ししたら来ると思う」

「あぁ、聞いてる」


 泰雅をホールの円卓に着くよう促してから大和は言った。この日はこの店で初めて希と泰雅がドラムレッスンをする日なので、話題の主は希だ。泰雅は未だ緊張した面持ちで、久しぶりに足を踏み入れる店内を見回している。

 楽器店で練習をしていた先週までは17時からの予約だったが、1時間ごとの予約に縛られなくなり、このレッスンは時間が早まった。2時間行えば開店前に終わるので、常連客と顔を合わせなくて済むことに泰雅は安堵する。


「毎週備糸市こっちまで通ってくれてんだな」


 大和はカウンターで淹れたコーヒーを円卓に置きながら泰雅に話しかけた。泰雅は波紋を形成した黒い液体の表面を見ながら「ありがとう」と謝意を口にする。そして大和の話題に答えた。


「あぁ。俺が好きでやってることだからな」

「ん? 希が泰雅にお願いした指導じゃないのか?」


 大和は自分の分のコーヒーを置くと、円卓の椅子を引いて自身も腰かけた。泰雅はコーヒーを一口啜るとカップを置いて言った。


「最初はそうだな。けど、元々は去年の学園祭までって予定だったのを図々しくも俺が続けたいって言ったんだよ」


 自分を卑下するように「図々しく」なんて言い方をする泰雅だが、大和にはそれが泰雅の音楽に残る愛情なのだと窺い知れた。その気持ちがなんだか嬉しくも思う。

 希を待つ間、適当な雑談を泰雅と交わす大和は、ここまで普通に話せていることに幾分安堵する。事件以来抱いていたわだかまりも、2人だけの空間でさえかなり消化されているなと感じるのだ。


 そうしていると裏口の開閉音が聞こえた。2人とも希が到着したと思い、彼女が来るのであろう方向に目を向けた。すると……。


「やまとぉ。遊びに来ちゃっ―― え!? なんで……」


 一気に脈が速くなった大和と泰雅。なんとやって来たのは杏里であった。しかし大和はすぐに冷静になった。2人が出くわすことは何度もシュミレーションをしてきた。落ち着いて話せば杏里だって理解してくれるはず。


「杏里、あのな――」

「なんであんたがいるのよ!」


 杏里の怒鳴り声が静粛だった店内に響いた。途端に泰雅は顔を俯け、一方大和は出だしからの剣幕に呆然とする。杏里はそのまましばらく泰雅を睨みつけた。


「あ、杏里……」


 その沈黙を打ち破るように大和が恐る恐る割って入った。しかし杏里は泰雅を睨みつけたままで、泰雅は目を伏せたままである。


「僕が呼んだんだよ」

「は!?」


 杏里の敵意は大和にも向いた。一方、泰雅は思わぬ大和の発言に表情を無くして大和に顔を上げる。大和は穏やかな表情を作って説明を始めた。


「希にドラムを教えてくれる人がずっと欲しかったんだ」


 これは本当である。


「それで心当たりが泰雅しかいなかったし、むしろ泰雅なら素質も申し分ないと思った」


 これも本心である。しかし経緯は違う。希が泰雅と直接連絡を取って始めたレッスンだ。


「だからこの店のドラムセットを使って教えてくれって頼んだ」


 これは半分嘘で半分本当である。頼んだのは再びドラムに触れて止められなくなった泰雅であるが、途中からこの店の利用を打診したのは大和で間違いない。

 杏里は敵意を剥き出しにしたまま言った。


「認めない」

「杏里、解ってほしい」


 大和はすかさず言葉を返した。2人は睨み合う。尤も大和は穏やかな表情で杏里に対して懇願の目を向けているから、睨んでいるのは杏里だけとも言える。それでも大和の表情も真剣だ。


「大和……」


 その男声は2人を割って入った。大和と杏里は揃って声の主泰雅を見る。


「やっぱりちゃんと当時の関係者に認めてもらってからにするわ」

「泰雅、気にしなくていい。元はと言えばこっちからお願いしたことだから」


 立ち上がろうとした泰雅を手も使って制す。大和が「こっちから」という言い方をしたのは、今やこのレッスンが希の独断ではない、大和の意思でもある表れだ。

 泰雅がどういう形であれまたロックに関わっていることに喜びを感じているのは、大和も読み取っている。そしてそれをこれからも続けたいのだという意思も感じている。もちろん遠慮する泰雅の態度も理解はできるが、それでもこの半年の希の伸びや、1度見させてもらった泰雅と希のレッスンでの2人の活き活きとした姿は大和に強く残っている。


「あたしは認めない……」


 しかしまだ杏里は姿勢を変えない。声量は弱いが、それでも強い憎悪を込めて繰り返す。ため息を吐きそうになるが、大和は真剣な目を変えないまま、それでいて穏やかな表情のまま杏里を諭す。


「杏里だってこの半年で希が伸びたのはわかるだろ?」

「は!? 半年!?」

「あぁ、半年だ。泰雅は半年間ずっと希の練習に付き合ってきた」

「そんなに前から大和は泰雅と連絡を取ってたの?」

「そう――」

「ごめん、それは違う」


 嘘の肯定をしようとした大和を遮って、泰雅が真実の否定を挟んだ。大和も杏里も思わずきょとんとして泰雅に視線を移す。


「確かに半年くらいになるが、きっかけは違う。去年の学園祭のちょっと前のことだ」


 そう言って泰雅は事実である経緯を話し始めた。大和は既に知っていることなので、基本的には杏里に向かって話している。

 元は希からドラムを教えてほしいと申し出てきたこと。当初泰雅は渋ったこと。しかし結局はその打診を受けたこと。そして触発されてしまった泰雅が学園祭後も辞めたくないと言ったこと。ここまでは秘密裏の活動だったが希が大和にカミングアウトをしたこと。それで大和の理解を得て今日からここにいること。

 泰雅はすべてを話した。敵意を剥き出しにする杏里を前に心苦しくて、嘘を吐くことなどできなかった。杏里は奥歯を噛みながらそれを黙って聞いていた。


「そんなこと言ったって……たとえその経緯が本当だとしても、嫌よ……」


 悔しさを必死で抑えながら杏里は声を絞り出した。それでも理解してほしい大和が言う。


「杏里、わかってほしい」

「無理! 絶対あたしは認めない!」


 黙って聞いていたことで溜まったフラストレーションを一気に爆発させ、杏里は力いっぱい怒鳴った。力む杏里は涙をいっぱい目に溜めて俯いていて更に言葉を続けた。


「泰雅が関わるならあたしはダイヤモンドハーレムのマネを降りる」


 大和は表情のみならず全身で濃い落胆を示した。絶対に言ってほしくない一言であった。

 ライブハウスはまだとは言え、それでも先日やっと都心でのダイヤモンドハーレムのステージを響輝と一緒に観に来ることができた杏里。従兄でありながら実の兄のように自身を慕う杏里。これからやっと心のリハビリが進められるかと思ったその矢先にこれである。


 まだ早かったのだろうか? しかしそれなら時間が解決してくれるのだろうか? そうだとしてもそれは一体どのくらいかかるのか? 妹同然に可愛がっている杏里なのに、理解してもらえないもどかしさが大和にドロドロと溜まる。せっかく泰雅が誠意を持って事実を話したのに、説得できない自分が情けなくて悔しい。

 すると……。


「どうしたの?」


 ホールに顔を出したのは小柄で童顔の女子高生だ。備糸高校の制服に身を包んで、通学鞄を肩から提げたその彼女は希である。杏里の怒鳴り声で裏口の開閉音を誰も耳にできなかったようだ。到着したばかりの希にこの場が殺伐としている理由はまだ理解できていない。

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