第二十二楽曲 第五節
U-19ロックフェス地区大会を2日後に控え、また翌日には対バンライブを控えたダイヤモンドハーレム。そのドラマー希は祝日のこの日、夕方から市内の楽器店に来ていた。
売り場の奥にある希がいる待合用の円卓。その座席の横にはキャリーカートに載ったスネアとツインペダルが据えられている。
その円卓で一緒に座って予約したスタジオの時間を待つのは大和だ。大和は横の席に手提げ程度の手荷物を置いている。
「どうしたんだよ? いきなりスタジオまで連れて来て」
「黙って待ってなさい」
命令形である。大和は怯みながらもやれやれと頭を掻く。
対バンライブの前日ということで、この日は昼過ぎからダイヤモンドハーレムがゴッドロックカフェで練習をした。それが終わるなり大和は希に急かされて開店準備を済ませ、一度店を施錠してここまで連れ出されたのだ。大和は未だに希の意図が掴めない。
そしてスタジオ予約の10分前を切ったところで1人の長身の男が店の入り口の自動ドアを潜った。それを確認して希がさっと立ち上がる。大和は希の視線を追うように店の入り口に目を向けた。
「え……、なんで……」
途端に表情をなくした大和。過去の思い出したくもない重い出来事がフラッシュバックされる。そして憤怒の念が込み上げてくる。入店してきた男は泰雅である。
古都から泰雅と会ったと聞いた時も実は本音では穏やかでなかったが、古都の前ではなんとか持ちこたえた。しかしその古都のみならず希まで。しかも実際に相手の顔を見るとその穏やかではない感情を隠す術を知らない。
この日は木曜日で希のドラム指導の日だ。しかし希に近づく足が段々と重くなる泰雅。彼もまた、希と一緒にいる予想外の男に目を見張り、どんどん強くなる動揺を落ち着かせることができない。
「大和……」
「なんで……泰雅が……?」
目を合わせて唖然とする2人の男。希はそんな様子に構うことなく泰雅に声を掛ける。
「師匠、お疲れ様。今日もお願いします」
「し、師匠……?」
泰雅は俯いてしまい何も言葉を発せないが、大和は疑問に感じるその単語だけを何とか絞り出した。そして言葉を続ける。
「どういうことだよ? 希」
「こういうことよ」
「こういうことってなんだよ?」
「私は去年の学園祭の前から泰雅さんにドラムを教えてもらってるの」
理解が追いつかない大和。いや、頭では希の言っている意味はわかる。しかし心の理解が追いつかない。表情をなくした大和は鞄を持ち上げると言った。
「僕帰るよ」
「待ってよ、大和さん」
それに答えようとはせず希に背中を向けて一歩、二歩と踏み出した大和。泰雅は気まずそうに俯いたままだ。
「逃げるの?」
その言葉に大和の歩が止まった。そして希に振り返ると、大和にしては珍しく怒りともとれる表情を表していた。しかしそれに希は怯むこともなく言葉を続ける。
「私のこの半年間の成長は大和さんに加えて泰雅さんがいてこそよ。毎週ここで私の練習に付き合ってもらってる。黙って勝手にしたことは謝る。ごめんなさい。でもどういう練習をしてるのか、今日これからそれを見た後で私を切り捨てるなりの判断をしてくれてもいいんじゃない?」
冷たく言い放った希を大和は厳しい表情で見据えたままだ。逃げると言われるのは心外だが、希の真っ直ぐな気持ちが伝わらないほど幼稚でもない。すると泰雅が遠慮がちに口を挟んだ。
「悪りぃ。俺の方がどうしても遠慮するから、俺が帰るわ」
「師匠こそ逃げないで。地区大会観に来てくれる約束でしょ?」
すかさず泰雅を制する希。泰雅は相変わらずの表情である。そんな約束をしていたことに大和の目が見開く。
U-19ロックフェスの地区大会。希が泰雅に対して一方的に押し付けた約束ではあるが、それを前にしてこの事案を解決しておきたかった希の今日の行動である。都心の広いホールで行われるコンテスト形式のライブのため、うまく動けば当日にこの2人が顔を合わせることはないのかもしれない。それでも希はこのままでいいのだろうかと思うのだ。
「2人とも知らないかもしれないから言っとく。私は確かにそれほど他人に興味を示す人間じゃない。だけど大事な人に対してはお節介よ。2人にこれから仲良くしろとまでは言わない。けど大和さんは知らなかったにしても、2人は既に協力関係ができてるのよ」
希が口に出した心の声が2人に響く。2人ともが初めて感じる希の一面だ。黙ってその言葉に耳を傾ける2人に希は続けた。
「元メンバーなんだからお互いにそういうお互いのことはちゃんと尊重して。私は自分の成長のためにこの個人指導を辞めたくないし、それはバンドのためでもあるし、だけどいつまでも隠れてコソコソやってるのは気持ちがいいものじゃない」
ここまで聞いて動いたのは大和だ。腰と首だけ捻って希に向いていた大和は、足元から体ごと希に向いた。
「わかったよ。今日の練習を見学させてもらう」
あまり表情に変化のない希だが少しだけ安堵の色が灯った。次に大和は泰雅に顔を向けて言う。
「見させてもらう」
「わかった」
了承した泰雅。その声は体格に似合わず消え入りそうなほどか細かった。それでも安心した希はキャリーカートを引いてスタジオに向かった。もう予約の時間である。
この日は予め大和を引っ張って来るつもりだった希。ゴッドロックカフェの営業開始に間に合うようにいつもより練習時間を1時間早めていた。
そしてスタジオに入った3人。大和はその狭いスタジオを見回す。4畳半程度の小さなスタジオ。ドラムセットとマイクの収音機器、それからギターとベースのアンプが1台ずつ置かれていて、演奏中は3ピースバンドの練習でもギターとベースのヘッドがぶつかりそうだと思う。それくらい狭いスタジオは数室あるこの店のスタジオの中で一番小さい。
「毎週ここでやってんの?」
淡々とセッティングを進める希を見ながら大和が疑問を口にする。答えたのは隣で立っていた泰雅だ。
「あぁ。この部屋は2人までだと個人練習扱いになって、レンタル料が格安なんだ」
思いの外普通に話せている大和と泰雅であるが、わだかまりが消えたわけではない。大和にも泰雅にも未だ別々の複雑な感情が渦巻いている。それでも表向きは順調な様子で、それに倣って大和が話を続けた。
「ふーん。じゃぁ、今日は安くならないのか」
「大丈夫よ」
スネアをセットしている希が手を止めずに2人の会話に割って入った。
「大和さんは見学だって店に言ってあるから」
「そっか。それなら良かった。……にしても毎週スタジオ代かかってたんだな? 希が負担してるんだろ?」
「当たり前でしょ。教えてもらってる立場なのに師匠からお金取れるわけないじゃない。本当は授業料だって払わなきゃいけないくらいなのに師匠は1円も受け取ってくれないし、それどころか交通費だって自腹切ってるし」
「そうなんだ?」
と言って大和は泰雅を向いた。すると泰雅は気恥ずかしそうな顔をする。
「またドラムに関われるのが嬉しくてさ。調子良すぎだよな。すまん」
「別に謝ることじゃないよ」
素っ気なく言った大和だが、その言葉はこの2人の関係を許容していることにもなる。とは言え、複雑な感情を抱く大和にその意識は薄い。それこそ泰雅は過去の罪の意識から恐縮しているが故の謝意だ。
ドッドッ、ドドド、パンッ! パンッ!
するとスタジオに鳩尾を揺らすバスドラと乾いたスネアの音が響いた。セッティングを終えた希が椅子に座ってシングルペダル、ツインペダル、スネアの順に音を鳴らしたのだ。
「準備できたわ、師匠」
「わかった。じゃぁ、先週出した課題の成果から見せてくれ」
「了解」
そう言って希は脇に据えたリズムマシンに伸びたヘッドフォンを頭に被った。耳に直接4拍の一定リズムのクリック音が流れてくる。それを確認して一度大きく息を吸い込むと、スティックを振り下ろした。
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