第二十二楽曲 第六節
備糸市内のとある楽器店に数室ある中で一番狭いスタジオ。この時の空気は険悪であり、それは最悪と言わざるを得ない。理由はわだかまりの残る大和と泰雅がこの狭い空間に一緒にいるから。……ではない。その悪い空気は希と泰雅が作っていた。
「あー! だからクラッシュは手首のスナップを利かせて叩けばいいだろ? せっかく体幹やって筋力付いてきたんだから!」
「
「図体のでかい俺にそんなのわかるか!」
「何しに来てんのよ!」
「んん……。じゃぁ、腰も使って上半身を振って叩けよ」
「師匠みたいに上半身がブレない叩き方の方がカッコいい!」
「できねぇもんはしょうがないだろ! やってみろよ!」
「わかったわよ!」
そして数分後。
「ライドの音が綺麗に出てねぇよ!」
「どうやったら綺麗に出るのよ!」
「だから、脇を絞めて肘で振って叩けって!」
「脇を絞めたら私のリーチじゃブレるって前にも言ったじゃない!」
「んん……。じゃぁ、ケツを前に出して背筋を伸ばして上体を安定させて、それで肩を固定して腕ごと手首を振ってみろよ?」
「しょうがないわね」
まさか師弟が喧嘩腰で練習を進めるなんて思っていなかった大和は唖然としている。スタジオの予約の半分を過ぎてそろそろ1時間ほどになるが、今のところ休憩も挟まず体力を使う喧嘩腰なので、ある意味では尊敬すらもする。
ただ、練習が始まって当初からこの雰囲気だったわけではない。それこそ激しいドラムのビートとは裏腹に、師弟の雰囲気は穏やかなスタートだった。
「そうそう。スネアの連打は右手と左手の振り幅を変えて、大きい方でリズムを調整してな。前よりリズム安定してきたぞ」
「ふふ。家で散々練習したから当然よ」
「やるじゃねぇか。――そう、ロールは細かい振り幅で両手を揃えてな」
「了解」
それが突然。
「おいおい、タムからフロアタムまで流した後の1拍目の左のクラッシュが弱いんだよ!」
「絶賛取組中よ!」
「前もそう言ってただろ! いつになったら強くなるんだよ?」
「むむ。リーチがないんだからしょうがないでしょ!」
とまぁ、こんな感じでゴングが鳴ったわけだ。そして1時間を過ぎた今、小休止に入った。
「いつもこんな調子なのか?」
「ん? あぁ」
大和からの質問に対して特に気にした様子もなくペットボトルの水を口に流し込む泰雅。希もドラムセットの椅子に座りながら給水をしている。
大和はクラウディソニック時代を思い出す。それこそもう1年以上の月日が流れたので忘れかけていたが、思い返してみれば泰雅はこういう男である。普段はどちらかと言うと多くを語らない泰雅だが、音楽の話となると熱くなり饒舌になる。クラウディソニック当時の大和もリズム隊の相棒として、コテンパンに凹まされるほどダメ出しをされたものだ。
そして今教わっているのは負けず嫌いで血気盛んな希である。突然の泰雅との再会に視野が狭くなっていたが、もし余裕をもって予測ができていればこうなることはわかりきっていたなと、今更ながらに大和は思う。
しかしこのレッスンは半年続いている。希と泰雅のやり取りを見ていて大和は気づいた。ぶつかり合いながらも体格でハンデのある希がどうしたら上手く叩けるのかを泰雅は一緒に考えている。そして文句を言いながらも希はそれを受け入れていて、加えて実践しているようだ。
この練習なら希が一気に伸びたことも納得だし、学園祭の時に化けたと思っていた希は更に進化するのではないかと大和は思うのだ。
大和は給水をする泰雅を横目に捉えながら問い掛けた。
「因みにこの子らが1回だけ自分たちだけで
「ん? そんな曲があるのか?」
「違うの?」
「うーん……。ドラムの
それは意外であった。尤も大和はこの日まで希が泰雅から指導を受けていることを知らなかったわけだが、知ってからはもしかしたら学園祭で披露した『ヤマト』に泰雅が関わっているのかもしれないと思ったのだ。しかし厳密に言うとそれは違ったようで
ただこの練習を知って気づくが、確かに希は所々泰雅の面影を残す
そして休憩を終えて再び始まったレッスン。2人はぶつかり合いながら、しかし希がより伸びるためにどうしたらいいのかを一緒に考えながらスタジオ練習は進んだ。それを見ていて大和の中にくすぶっていたわだかまりは完全ではないものの、幾らか消化されたような気になった。
「やっぱロックは人を変える力があるんだな」
「ん? なんか言ったか?」
希が片付けるのを視界に捉えながら大和が呟くので泰雅が反応した。それに対して大和は「いや、なにも」と答えるに留まった。
やがて希が荷物をまとめると3人は揃ってスタジオを出た。売り場の窓際は薄暗くなった屋外が確認でき、それを補うように売り場の照明の明るさは強調されていた。
「師匠、駅まで一緒に歩くわよ」
「え……」
「もう大和さんにカミングアウトしたんだから隠れて別々に行動する必要ないでしょ?」
大和は2人のその会話で、いつもはここから別行動をしていたのだと悟った。徹底していたのだなと思う反面、希がそれに対して心苦しさを感じていたことも読み取れた。
「行こう、泰雅。少し話もしたいし」
「あ、あぁ」
大和にまで促されては泰雅も了承する他ない。3人は揃って駅まで向かった。
ネオンが灯り始めた都会とは言えない都市。その商店街のアーケードの下を歩きながら大和が言う。
「泰雅、これからも希を頼むよ」
「え? いいのか?」
思いがけない言葉に泰雅は思わず足が止まりそうになった。しかし顔を向けただけに留まった。希はキャリーカートを引きながら表情を変えずに歩を進めているが、内心は嬉しさが込み上げる。
「うん。ちょうど去年の秋くらいかな。僕が希にドラムを教えるのも限界を感じてたんだ」
それは学園祭の時期と重なる。当時大和の中で希は既に大和のドラムの腕に追いついたと感じていた。そしてそれが今では超越したと思っている。
「美和は元々のレベルが高いから放っておいても自分でどんどん上手くなるし、古都は美和や響輝から教えてもらうこともあるし、唯は僕が直接教えることができる。けどドラムの希だけは常連さんにも当てがなくて独学だから心配してたんだけど、最近は勝手に上手くなってくから気にしてなかったんだ」
「そうか。俺で良ければ是非」
アーケードの下で漏れるネオンが俯いた泰雅を照らす。泰雅の心中は救われたような気分であった。すると更に大和が言う。
「もし良かったらこれからは店のドラムセットを使ってくれてもいいから」
「え? それは……」
「大和さん、いいの?」
対照的な泰雅と希の反応である。大和は少しばかり笑みを浮かべて続けた。
「杏里と常連さんが気になるんだろ?」
「ま、まぁ」
図星を突かれた泰雅は今度こそ表情のとおり気分も沈んだ。
「杏里のことはまぁ、時間をかけてわかってもらおう。常連さんは開店の19時ちょうどに来るわけじゃないから、終わってすぐに店を離れれば顔を合わせることもないし。もし泰雅が大丈夫ならそのまま残ってお客さんになってくれてもいいんだけど」
「あ、あ、ありがとう。徐々に慣らしていく」
そう答えるのがやっとの泰雅であるが、お互いに幾らかわだかまりが解けた大和と泰雅は幾分晴れやかでもあった。希は満足感でいっぱいだ。
「そう言えばふと思い出したんだけど、もしかしてダイヤモンドハーレムがギグボックスでやった初ライブに泰雅は観に来てた?」
「そうなの? 師匠」
「う……。す、すまん」
「謝ることないよ」
穏やかにそう言った大和。あの日は深酒をしてしまいこの日まで忘れていたが、長身の男のシルエットを確かに見かけたと思い出したのだ。泰雅にとっては路上ライブで絡みのあった気になるバンドだったため、ホームページでライブ情報を掴んでお忍びで観に来ていた。希はその事実に嬉しさが込み上げてくる。
やがて駅まで到着し、大和と希は改札の中に消える泰雅の背中を見送った。
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