第二十二楽曲 第三節
巷の社会人はその一部が
「へー、ここが大和の創作部屋なんだ。機材も揃ってるしいい部屋だね」
「あのさ……」
「何?」
大和の肩に頬を寄せて首を傾げるジャパニカンミュージックの益岡泉。肩は密着していて、大和は頭を引いている。この年24歳になる同い年の元恋人の無邪気な笑顔も、なかなか破壊力があるものだと大和は狼狽えるのだ。
「普通はさ、ボックステーブルで打ち合わせをするって言ったら対面に座るんじゃないの?」
「普通って何?」
相変わらずの笑顔で揚げ足を取るような泉の質問返しに思わずため息が漏れる。泉から漂う香水のほのかな香りが大和の鼻孔を甘く刺激する。服に匂いが付着するのはもう決定事項だなと半ば大和は肩を落とした。
「て言うか、ここだと手帳も書類も広げられないし、飲み物も置く場所がなくて出せないから、店のカウンターで打ち合わせしない?」
「やだよ。大和さっきそれでカウンターの中から立って話そうとしたじゃん。筆記はバインダーでやるから大丈夫」
大和は敷き詰められた機材に目配せをして言ったのだが、即答で拒否されてしまった。こんなに密着されては集中できないと思う大和と、立って話すことへの遠慮を口実に本音では密着したい泉の思惑は真正面からぶつかっている。
「はぁ……」
大和は正面に視線を向けてまたもため息を吐く。確かに創作をする時の筆記もここでは譜面台を利用しているのだから、泉の言い分は成り立つ。それは古都や美和がここで創作する時も同じなので、不本意ながら了承をした。
GWに入ったことで泉は地方出張のスケジュールを組んでおり、スカウト活動に励んでいた。GWは大なり小なり数々のライブやイベントが国内各地で開催されている。
泉は各地のライブハウスを回っていて、彼女は長期連休ではなく仕事だ。それでこの日はこの県内のライブハウスに赴く予定なので、昼間のこの時間帯は大和と打ち合わせがてら彼の仕事場を見学に来たわけである。ライブは夕方からだ。
「そう言えば」
ふと泉がそんなことを言うので大和は泉を見た。
「う……」
しかし顔が近い。年相応と言えばそうなのだが、それでも無垢な笑顔を浮かべた泉はとにかく綺麗になった。可愛いとも言える。大和はそれを実感して思わず目を奪わる。
「な、なに?」
「メガパンク見て来たよ」
「お! どうだった?」
この話題には幾分の興味を示して声を弾ませた大和。せっかく自分が推したバンドなのだから願わくは好評を聞きたい。
「まだ粗削りなところはあるけど、いいと思った。しっかりしたプロデューサーを就ければ即戦力にもなり得るって言うのが会社の意見」
「本当!?」
「うん。今日はその最終確認でここまで来たの。今日のステージを見て私から声を掛けるつもり」
大和はそれに笑顔で喜びを表現した。泉がこの日観る予定のライブはお目当てがメガパンクである。大和も泉について観に行きたい衝動に駆られるが、店があるのでそれは叶わない。杏里に店を頼むこともできるが、そこまでするのも気が引けるのだ。
「て言うことはスカウトに前向きなの?」
「そうだよ」
「また結果聞かせてよ」
「うん。ラインするね」
「わかった」
「だから、ライン交換しよ?」
すかさず自身のスマートフォンでQRコードを表示させて泉は大和に向ける。
アーティストとして上京した際に電話番号は変え、SNSもアカウントを取り直していた泉。当時大和と別れた際に連絡先は教えていなかった。とは言え既に仕事用の携帯電話で連絡は取れるのに、メッセージアプリはプライベートアカウントだからなかなかしたたかな女である。話の流れで大和は何も気にすることなく応じた。
「それじゃ本題に入ろう」
泉が床に置いたリクルート鞄に体を屈ませて言うので、大和は泉の密着が解けたその時とばかりに言う。
「じゃぁ、場所をカウンターに移そうか?」
「やだ」
立ち上がろうとした大和の腕に体勢を戻した泉がすかさずしがみつく。スーツ越しとは言え、泉の柔らかさが大和の腕を圧迫する。逃げられなかったかと思い大和は頬をポリポリ掻いた。
「なぁに今更照れちゃってんのよ?」
「まったく。やっぱり慣れてんだな」
「むっ。それは心外だぞ」
頬を膨らませて大和をじっと見据える泉。大和は横目にその表情を捉えるが、魅力を感じそうなので直視はしない。泉は不満そうな態度のまま言葉を続けた。
「誤解されてると嫌だから1つ言っとく」
「なんだよ?」
「確かにアーティスト時代は手段を選ばなかったけど、社員になってからは浮いた話の1つもないよ」
「ふーん。そうなんだ」
と、興味なさそうに言う大和だが、幾分救われたような気持になっているのだから、この男こそ救えない。
「ふーんって。女として一番旬なこの歳になっても尚、昔の恋人のことが忘れられず、新たな恋もしないんだから健気じゃない?」
不満ありげな表情は変わらないが、内心得意げに言う泉。それが本当なら確かに健気だなと考える大和はなかなか現金だ。とは言え、自分への気持ちがまだ残っていると確信してしまい複雑な心境だ。しかし気にしない素振りで大和は言う。
「女としての旬がこの歳なのかは人の好みによるだろ」
「可愛くないこと言うなぁ。じゃぁ、大和は何歳くらいが一番いいのよ?」
「別に魅力があれば何歳でもいいよ」
「熟女でも?」
「魅力があれば」
「JKでも?」
4人ほど頭に浮かんで一瞬回答に詰まった大和だが、それが自己嫌悪に陥る。しかしそれを泉に悟られないようすぐに言葉を返す。
「魅力があって法に触れない付き合いができるなら」
「JCでも?」
「……。それは……、自他ともに認める真剣交際をしても、もし12歳の中1だったら法に触れるだろ?」
「ふーん。法はともかく、心情としてなくはないんだ?」
「ま、まぁ。魅力があれば」
「ロリコン」
何てことを言うのだと思って大和が泉に視線を向けると泉はジト目を向けており、あからさまに軽蔑の意を示していた。ここで動揺するのが大和だが、動揺する理由は……まぁ、中学生とは言わないまでも、高校生の域で色々ある。
「でもその大和の言うこともわかるわ」
「ん? ロリコンに理解があるの?」
「アホか!」
まさか罵声を飛ばされると思っていなかった大和は一瞬怯む。墓穴を掘るような失言になりかねないと反省をした。
「さっきから法のことばかり言うから、つまりコンプライアンスを重視してるところよ」
「そりゃ、当然でしょ?」
「世の中なかなかそうしっかり守ってる人は少ないのよ。誰でもどこかで羽目を外すものだし、それをうまく隠しながら生活してんの。大手企業なんかは厳しいけど、小企業や個人事業者なんかはかなり緩いよ」
視線を前に向けた泉はどこか遠い目をしていて、東京で色々なことを経験したのだなと大和は悟った。そんな大和の労いとは裏腹に相変わらず泉は大和の腕を抱えているので、その柔らかさから大和の意識は離れない。
「コンプライアンスの意識が高いのって、やっぱりクラソニのことが関係あるんでしょ?」
「まぁ、たぶんそうだと思う」
思わぬ図星を突かれて途端に目を伏せた大和だが、思いの外肯定の言葉はすぐに出た。しかし泉は俯いた大和の声を聞いて暗い話題にしてしまったなと反省をする。だから気を取り直すように言った。
「さ、本題に入ろう!」
「それ、さっきも言った」
「男がそんな小さなこと言わないの」
「はいはい」
「今日はね、曲を作ってほしくて来たの」
「本当!?」
期待していた依頼に声を弾ませる大和。無垢な笑顔を携えて泉は続ける。
「まず契約内容を今度から買い取りにしたいっていうのが会社の意向なんだけど?」
「まぁそうだよね。わかった。いつかはそういう話になると思ってたから」
「理解が早くて助かる。今回はね、作曲から
「2曲も!? 是非やらせて!」
「ん? エッチがしたいの? 仕方ないなぁ」
「違うわ! ちょ、脱ぐな!」
そんなふざけた掛け合いを交わしながらも脳内が創作モードに切り替わった大和。この後、泉が次の用事でこの場を去るまで前向きな気持ちで打ち合わせを進めた。
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