第二十一楽曲 第六節

 レストランとは方角の違う都会の夜景が拝めるラウンジ。その窓際のテーブル席に大和は益岡と対面して座った。


「どういうことだよ? 泉」

「大和、久しぶり」


 2人は名前で呼び合う仲のようだ。

 注文を済ませるなり問い掛けた大和の質問には答えず、屈託のない笑顔で親しげに話す泉。先ほどの畏まった会食とは180度変わった彼女の態度に大和は思わず嘆息するものの、この彼女の方が大和の記憶にある益岡泉と合致する。それでもリクルートスーツとナチュラルメイクと落ち着いた色の茶髪はやはり大和に違和感を残す。


 ジトぉっとした目で泉を見つめる大和とは対照的に、泉はテーブルに両肘をついて両手で頬を包み、にこやかな表情で大和を見据える。大和は頭をかいて絶景見渡せる窓の外を見た。するとバーテンダーがカクテルを運んできた。


「大和、再会を祝って乾杯しよう?」


 カクテルグラスを掲げた泉は大和を促す。大和は一度小さく息を吐いて自身のグラスを掲げた。カン、と小さく甲高いグラスの音が耳に響くと、グラスの中で半透明の鮮やかな色のカクテルが揺れた。


「ジャパニカンの社員……なんだよな?」

「そうだよ」


 グラスを置いた大和が問い掛けると軽やかに答える泉もグラスを置いた。泉はこの再会の場を楽しんでいる。大和は泉の手元を目で追った後、彼女の目に視線を戻して質問を続けた。


「なんでさっきは初対面だって吉成専務に嘘吐いたんだよ?」

「だって色々面倒じゃん? 別に担当とアーティストの恋愛を禁止されてるわけじゃないんだけど、やっぱり大和は私の元カレなわけで、体裁が良くないのよ」

「……」


 頭に三点リーダーを流した大和はもう一度グラスを口に運んでから質問を続ける。


「東京に出てからどうしてたんだよ?」

「最初の1年は必死だったなぁ」


 窓の外を見て遠い目をする泉は、屈託のない笑顔が少しばかり素の表情になった。綺麗になった泉とこの夜思わぬ形で再会し、今夜景に映し出されたその表情に大和は見惚れる。


「けど全然芽が出なくてさ。それで2年目の途中からジャパニカンに中途入社させてもらったわけ」

「それって僕が大学4年の時じゃん」

「そうだよ。それから1年半必死で働いて、新人ながら結果も出して、社内での地位もある程度確立させて、だから大和の担当になりたいって希望も通してもらえたの」


 大和は泉の視線を追うように窓の外に目を向けた。その景色を見ながら2人はこの都会で出会ったのだと思い出す。


 大和が大学1年生だった当時、大和と同い年の泉は短大に通っていた。泉はフォークギターを手に歌手活動をしており、やがて2人は対バンライブで出会った。そして2人はすぐに親密な仲となった。

 泉は短大を卒業と同時に東京に出たのだが、その際シンガーソングライターとしてジャパニカンミュージックからメジャーデビューをすることが決まっていた。大和が今まで知っていた泉の経歴はここまでだ。


「大和、メジャーデビューってね……」


 泉が遠い目のまま言葉を続ける。大和は視線を泉に戻した。


「地元でインディーズ活動してる頃より辛いんだよ。自由なんてなくて、それでいて常に結果は求められるし、だから……」


 最後を言い淀んだ泉の言葉が気になったが、大和は複雑な心境になった。泉は地元の音楽関係者の中ではかなり期待されて東京に送り出された。それこそクラウディソニックのメジャーデビューが決まった時と同等であった。しかし東京に出た後の泉の情報を知る者は日を追うごとに減っていった。大和は自身が寂しい気持ちを抱いたことを否定できない。


 すると泉が言い淀んだはずの後の言葉を続けた。


「枕営業もしたし」


 それに大和の心臓が大きく脈打った。そういう黒い話が絶えない業界だというのは本当なのだと、かつての恋人の話にショックを受けた。それでいてメジャーデビューを目指している今や大和にとってかけがえのないバンドが1つある。大和の頭の中で気持ち悪いノイズが駆け巡ったようだった。


「そこまでしてでも華やかなステージに立てるのはほんの一握り。それなのに挫折した私は今こうしてその新人発掘をしてる。そういう未来ある若いミュージシャンたちの夢と人生を食い物にしてる。何してるんだろうね」


 自虐的に笑う泉を見て大和の視線は思わず下がる。すると大和に視線を戻した泉は悪戯な笑みを浮かべた。


「もしかして少しは嫉妬してくれた? 枕営業ってとこに」

「そりゃ、まぁ……」

「ほう。さすがは元カレ」


 悪戯な笑みが満足した表情に変わった泉だが、大和は顔を上げられない。そして泉の表情はすぐに真剣な顔に変わった。


「けど残念ながら事実なんだよねぇ」


 そう言ってカクテルグラスを口に運ぶ泉。大和はその手元を視界の上隅に捉え、自身の震える手をカクテルグラスに伸ばした。


「なんかごめんね。せっかく久しぶりに会ったのにしみったれた話になっちゃって」

「いや……」

「東京に出るのを機に大和の気持ちを無視して一方的に振ったこともごめん。結果はこのザマだ」

「それでも泉は頑張ったんだろ?」

「へへん。そう言ってもらえると私は嬉しいぞ」


 大和の労いに屈託のない笑顔で答える泉。大和に対して後ろめたい気持ちがあったのは事実で、いつかそれを詫びたいと思っていた。それでこの機に大和の担当を希望したわけである。


「私が社員になってすぐの頃かな。確か年明けだったと思うけど、クラソニのことは聞いたよ」

「そっか」


 それに対してまたもトーンを落とす大和。この話題に関して泉は音楽業界の人間なのだから耳に入っていて何ら不思議はない。


「クラソニのことは残念だったね」

「まぁ、しょうがないよ。僕も響輝も杏里ももう切り替えてるし」


 そうは言ったものの杏里に関してはほとんど嘘だし、響輝に関してもまだ完全ではない。それでも今では軽音楽に打ち込む女子高生に触れているわけで、その活動を通して少しでも傷が癒されればと大和は期待をしている。


「そっか。響輝も杏里も元気?」

「うん。よく店に来るし、杏里は店を手伝うこともあるよ」

「そっか、そっか、会いたいなぁ。他の3人とはどうなの?」


 それに対して途端に目を伏せた大和。事件以来会っていない泰雅、怜音、鷹哉の顔が大和の脳裏に浮かぶ。泰雅のことはダイヤモンドハーレムの路上ライブのこともあって知っている情報もあるが、他の2人のことは全く何も知らない。

 何も答えない大和に泉は察したわけだが、またも雰囲気を暗くしてしまったなとばつが悪い。それで泉はこの後、自身の現状を中心に明るい話題を提供した。その甲斐あってその後は楽しく飲むことができた。


「ふーん。あのアーティストって泉が発掘したんだ」

「そうだよ。だいぶ知名度上がってるでしょ?」

「そうだね。ちょっと驚いた」


 久しぶりに会うかつての恋人との酒席を思いの外楽しむ大和は、時間も忘れて会話を弾ませた。泉の風貌は変わったものの、学生時代の懐かしい気持ちを思い出す。そして気づけば終電5分前である。時計を見ながら焦った表情で大和は言う。


「ここから駅のホームまで5分で行けるっけ?」

「そりゃ間違いなく無理でしょ」


 クスクスと笑って一切動じていない泉。大和は時間を忘れたことに自己嫌悪する。


「はぁ……、タクシーかな……」

「ここから!? ビジネスホテルで朝食付きの方が安いんじゃない?」

「あ、そっか」


 帰ることしか頭になかった大和だが1泊することに意識が向く。それにしてもこんな時間から部屋なんて取れるのだろうかと心配になる。その手の手配に大和は慣れていない。


「何なら私の部屋に来る?」

「え?」

「シングルが取れなくて2人宿泊できる部屋なんだよね。どうせホテル代は会社経費だし」

「……」


 言葉が浮かばない大和を見て、泉は途端に目を細めて大和を見た。それは魅惑的にも感じる微笑みで、どういう意味だろうと思う大和は一気に頬が紅潮した。

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