第二十一楽曲 第五節

 ジャパニカンミュージックの吉成から指定されたのは、県内都心にあるホテルのレストラン。上階に位置し窓際のその席から見える都会の夜景は眩い。

 はっきり言って大和はこの手の高級レストランに慣れていない。純白のテーブルクロスが敷かれたボックステーブルで吉成を待つ彼は肩に力が入っており、落ち着かない様子でキョロキョロしていた。


 そして約束の時間の5分前、ウェイターが2人の人物を引き連れてテーブルまでやってきた。20分前には既に到着していた大和はピリッとして立ち上がる。ウェイターの後ろにいたのが吉成だとすぐにわかったが、その更に後ろの人物は女に見え、まさか担当は女なのかと大和は身構えた。そしてそれは的中した。


「お待たせしてすいません」

「いえ。今日はお招き頂きありがとうございます」


 大和は一度深く頭を下げて謝意を口にすると、清潔感と高級感あふれる吉成のスラックスに沿って視線を上げた。


「こちらがお電話でお伝えした菱神さんの担当を任せます益岡です」

「この度はよろ、しく……、って! い――」

益岡泉ますおか・いずみです。よろしくお願いします」


 頭を上げた大和は良く知る人物の顔を視界に捉え衝撃を受けた。しかし益岡は大和の言葉を遮って名刺を差し出す。大和の様子に怪訝な表情を見せたのは吉成だ。


「そう言えば益岡は菱神さんと同郷で同い年ですね。もしかしてお知り合いですか?」

「えっと……」

「いえ、専務。初対面です」

「そうか。菱神さんの担当も希望してのことだったからそうかと思ったぞ」

「同郷ですし、これほど評価の高い方なので自分が関われたらと希望を持っておりました」

「……」


 名刺を受け取りながら言葉を失う大和。益岡は大和のよく知る女なのだが、どうやら彼女は大和との関係を隠そうとしていることだけはわかった。よく知ると言ってもそれは半端な具合ではなく、それこそ内面から体の隅々まで知っている。彼女を見る大和は脂汗が浮き出るような感覚に陥る。


「ささ、とりあえずお掛けください」

「あ、はい。失礼します」


 未だ困惑から抜け出せない大和だが、吉成の言葉でウェイターが椅子を引いたので素直に腰掛ける。そしてボックステーブルを挟んで吉成と対面し、その吉成の隣には益岡が座った。

 料理はコース料理なので注文をすることはない。吉成がシャンパンで乾杯をしようと言うので、その注文だけがウェイターに伝えられた。


 大和は吉成と益岡を交互に見る。気になるのは益岡だけなので、その視線を悟られないように吉成にはダミーで視線を向けているに過ぎない。ただ益岡には大和の困惑を悟られているように感じる。しかし益岡は穏やかな営業スマイルで行儀のいい佇まいなので、猫を被っているなと大和は皮肉に思う。


 吉成は初見の印象を裏切らず高級そうなスーツに身を包み、頭髪はしっかりセットされたダンディーな印象を抱く中年だ。眼鏡もお洒落でシャープなものをかけており、この風貌は同年代にしてゴッドロックカフェの常連客たちとは全く違うなと大和は思う。


 そして益岡もまた清潔感に包まれたピリッとしたスーツに身を包んでいる。それが高級ブランドなのかは大和に知る由もないが、ただ自身の記憶の益岡とは随分とその風貌に隔たりがある。

 綺麗に梳かれた益岡の髪は明るくなり過ぎない程度に茶髪で、真っ直ぐ背中に流されている。メイクはナチュラルで会社員の風格が漂う。年相応に見えるその顔立ちから綺麗になったなと大和は思った。


 仕事で来ているのだから当たり前なのだが、そんな目の前の2人の正装に大和は自分がみすぼらしくないか一度視線を落とす。下はカラーパンツだが派手ではない落ち着いた柄だし、上も落ち着いた色のインナーシャツにジャケットだ。問題ないだろうと自分に言い聞かせた。

 すると注文後の最初の話題で吉成が益岡に問う。


「益岡君の出身はここだっけ?」

「はい、この街です。菱神さんは出身も現住も備糸市だと伺っておりますが?」


 落ち着いた様子で答えた益岡が続けて大和に質問を向けるので、大和は「知っているくせに白々しい」と内心で悪態を吐きながらも愛想良く答えた。


「えぇ。地元で祖父の店を継いでおります。御社から頂いておりますご依頼の創作もそこでやってます」

「そうですか。それでは日を改めて一度伺わせてもらってもよろしいでしょうか?」


 その問い掛けに大和はまたも内心で嘆息する。来るのか……と。とは言え、ジャパニカンミュージックの自分の窓口担当なのだから、仕事場を見たいと思うのは当然だろうと渋々納得する。


「はい。全然構いません。こちらもまだ御社に出向いたことがないので、打ち合わせの際などは是非伺わせていただきます」

「恐縮です」


 暗黙の了解の如く丁寧な営業トークが続くが、そもそもなぜ彼女はこんな格好をして会社員をしているのか。名刺を見る限りジャパニカンミュージックの社員であることは間違いないのだが、大和にはそれがわからない。

 するとウェイターがシャンパンと3つのシャンパングラス持ってやってきた。慣れた様子でグラスにシャンパンを注ぎ、それを3人の手元に置く。


「それでは乾杯をしましょうか」


 ウェイターが離れたのを見計らって吉成が言うので、3人は乾杯をした。高級であろうそのシャンパンだが、この場の状況に困惑している大和は味がよくわからない。それでも会食は始まったわけで、この後料理も運ばれてきた。

 食事の最中も困惑の抜けない大和であるが、なんとか会話に意識を向けることはできた。さすがに上の空というわけではない。


 そして会食も終盤まで進むと益岡が言った。


「こちらにお薦めできるようなアーティストはおりませんでしょうか?」


 それを聞いて大和ははっとなり思い出す。去年から吉成に言われていたことであり、ライブハウスに行く際などは気を付けて見ていた。そして年末にやっと心当たりができて、これまでそのバンドの動向を追っていたのだ。


「このバンドなんですが」


 大和は鞄から取り出したCDを吉成と益岡の間に差し出す。どちらが手に取るのかわからなかったのでそうしたのだが、それは吉成が手に取った。


「ほう。メガ、パンク……ですか?」

「はい。去年初めて見かけたバンドで、それは12月にインディーズデビューをした時のCDです。流通販売されていないので全国的にはまだ無名かと思いますが、面白いバンドだと思ったのでご紹介しようと思いました」


 大和が紹介したのは大和を心酔するベーシスト・カズが所属するバンドである。ダイヤモンドハーレムのクリスマスライブの際にその成長を目にした大和は、ジャパニカンミュージックに紹介できるのではないかと考えたのだ。

 そのライブの日にインディーズCDを買っていた大和は、それを聴いてより薦める気持ちが強くなり、カズと連絡を取ってもう1枚買った。それが今このテーブルに置かれたCDである。


「ホテルに戻ったら早速チェックしてみて」

「はい。わかりました」


 吉成が益岡にCDを託すのを見て大和は鞄からクリアファイルも取り出した。そして中に入った書類の文面が見えるように吉成と益岡に向けて差し出す。それはメガパンクの情報をまとめたA4用紙1枚の資料である。


「直近のライブは問い合わせて聞いてあるのでまとめました。ホームページもSNSもあるバンドなのでそれを見て頂いてもわかりますが、東京の方でもライブの予定はあるそうです」

「ほう。わざわざここまでしていただいてありがとうございます」

「ありがとうございます。首都圏のライブは是非足を運んでみようと思います」


 吉成と益岡は揃って謝意を口にする。大和が手渡した資料も益岡が受け取り自分の鞄に収めた。


 やがて会食は終わり、3人は揃って店の外に出た。接待を受けるのも初めての大和は恐縮しながらもご馳走に預かった。


「それでは私はこのホテルで部屋を取っておりますので、今日はこれで休ませていただきます。――益岡君、あと頼む」

「はい。承知しました」

「今日はありがとうございました」


 大和は丁寧に頭を下げて礼を言った。すると益岡が大和に問い掛けた。


「菱神さん、もし宜しければ上の階のラウンジでもう少しお話しませんか? ――専務、よろしいでしょうか?」

「あぁ。菱神さんのご迷惑でなければ」

「僕は全然大丈夫です」


 吉成が少しばかり恐縮した様子を見せるので大和は咄嗟に承諾したのだが、実は終電も気になる。とは言え、まだ1~2時間くらいは大丈夫だとわかっているし、それよりも益岡には聞きたいことが山ほどある。

 大和は吉成と別れて益岡と一緒に上の階に上がった。

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