第二十一楽曲 第七節
ホテルの上階の綺麗な夜景が堪能できるラウンジで泉の笑い声が響く。大和は気恥ずかしくなって泉から視線を逸らした。
「あはは。まさかあわよくばなんて想像した?」
「バ、バカ」
「彼女いるんでしょ?」
「は!? いないよ」
「うそ。さっきから大和のスマホ光ってるよ?」
裏向きでテーブルの上に置いていた大和のスマートフォンだが、会食に合わせて予めマナーモードにしてあった。しかしメッセージアプリがその受信をLEDランプの点滅で知らせている。テーブルに反射するそれを泉はしっかり目にしていた。
ただその発信者はダイヤモンドハーレムのメンバーであり、泉が席を立った時にそのグループラインを大和は確認していたわけだが、通知を確認しただけなのでメッセージの内容までは把握していない。
「これは違うよ」
「ふーん。私はもっとお話がしたいけど、たぶんここももう閉店だろうし、お酒買って部屋で一緒に飲めたらなぁって思ったのよ」
「……。明日入社式だろ?」
「出席は専務の方。仕事はあるけど、アーティスト時代から夜更かしもお酒も慣れてるよ」
大和は思考を巡らせる。自身の仕事はそもそも夜型だから休みの日の夜遊びくらいは何も問題がない。ただ、泉とホテルの一室で過ごすことに戸惑いを覚える。それでも何かを期待する自分もいるから救えない。すると泉が大和の感情を知ってか知らずか言うのだ。
「それとも本当にベッドで語り合いたい?」
「……」
言葉に詰まる大和だが、泉のこういうストレートなところは相変わらずだなと思う。それでも交際していた当時はそれなりに信頼関係が築けていたと大和は自負している。
「ま、私はどっちでもいいけど」
止めを刺すようにぐいぐい言葉を投げかける泉。そして更に言うのだ。
「知ってた? 浮気の相手として一番多いのは元カレ元カノなんだって」
「……」
「別に私は今相手がいないから浮気にはならないんだけど、大和はそうなるのかな? なんでも性経験がある相手とはガードが緩くなるらしいよ? だから私はどっちでもいいの」
屈託なく笑って言う泉だが、大和は頬を赤く染めた。と言うか、そもそも本当に自分には特定の相手がいないのにと内心嘆く。それでも可愛らしく微笑んで、誘っているように感じる泉から大和は目が離せなかった。
10分後。結局大和は泉と一緒に部屋に入った。性欲に抗えなかったサルめ。しかも酒を買ってきたわけではない。入った時点で何も私物が置かれていないその部屋で、つまりその目的を理解しているくせに、大和は部屋のタイプを見て固まるのだ。
「ダ、ダブルの部屋かよ……」
「ん? 問題ある? そういうつもりなんでしょ?」
「……」
一度もそういうつもりだとは言っていないが、それはあくまで言葉で意思表示をしていないだけで、行動にははっきりと表れている。そう、泉について部屋に入った時点で。ただ2人泊まれる部屋だと聞いてはいたものの、まさか大きなベッドが1つの部屋だとは思っていなかった。何とも白々しい。
「私先にシャワー浴びるね」
「あ、うん……」
「それとも一緒に入る?」
「バ、バカ。早く入れよ」
「はーい」
泉は楽しそうに浴室へ消えた。それを見送った大和は「ふぅ」と大きく息を吐いてベッドの淵に座る。一気に脱力したように思うが、泉が戻ってくればまた緊張がぶり返すだろうと自覚している。
すると大和のスマートフォンが振るえた。相変わらずずっと鳴っていたダイヤモンドハーレムのグループラインである。この時は久しぶりに鳴ったわけだが、それまでがこれほど鳴るのも珍しいので、大和はそのメッセージを確認しようとアプリを開いた。
「う……」
思わず絶句する大和。メンバーの書き込みを見てのことだが、唯一杏里だけはそれを傍観して楽しんでいるようで、茶々を入れる内容だ。
『美和:お花見は終わって皆解散しました。無事帰宅です』
『希:同じく。大和さん、今日の会食、実は相手が女だったら承知しないから』
『古都:なんだと! 大和さんが女と会食!?』
『唯:違うよ。レコード会社の人とだよ』
中略。
『希:大和さん、一切返事がないけどまさかやっぱり女じゃないでしょうね?』
『美和:やっぱりそうなのかな……』
『唯:違うって言ってたけど……』
『杏里:従兄ながら大和も男なんだよ? 皆の衆、察してあげなさい』
『希:それどういう意味よ?』
『杏里:どうせ女だってことよ。カッカッカ』
以下、割愛。ここからは炎上状態だ。確認していた大和から思わず脂汗が浮かぶ。……そう本人が錯覚しただけだが。
しかし最後に書き込まれたメッセージ、つまり先ほど大和が通知の振動を感じた時のメッセージを見て大和の表情が変わった。
『古都:大和さんは私たちダイヤモンドハーレム4人の大和さんだからね! 信じてるよ!』
ふとそんなことを面と向かって言われても「何をバカなことを」としか思わなかったかもしれない。書き込まれたメッセージという相手の顔が見えない状況が、いつもと違う感情を大和に抱かせた。
そう、いつもならただのノリとか、お決まりの掛け合いとか、揶揄っているだけとか、そんな風にしか思わなかっただろう。しかしなぜだかこのメッセージが大和の心に染みた。
「ふぅ、お待たせ。大和も入れば」
しばらくそのメッセージを見ているとシャワーを浴びた泉が戻って来た。バスローブに身を包んだ泉はしっとり髪を濡らしていて、胸元の開いた上半身は下着を着けていないのだろうと大和にはわかった。思わず目を奪われる格好だが、大和は真剣な表情でベッドから立ち上がった。
「ごめん、泉」
そう言った大和の表情はどこか晴れやかで、スマートフォンを握る手に力がこもっている。一方泉は、突然の謝罪にきょとんとした。
「僕やっぱり帰るわ」
「え? どうしたの? こんな時間に何か用事?」
「いや、そうじゃないんだけど……。僕には今交際してる人とかもいないんだけど……。ただどう言ったらいいのかわからないんだけど……」
必死で言葉を探す大和を、泉は髪にタオルを当てながら首を傾げて見据える。大和が言い切るまで口は挟まないつもりだ。
「恋人とかそういうんじゃないんだけど、だから裏切るとかそういう言葉の使い方も本当は違うかもしれないんだけど、それでも今は大切にしたい人がいる」
本当は「人たち」と大和は言いたかったのだが、話がややこしくなりそうだったので「人」と言った。そして脳裏にはダイヤモンドハーレムの4人が浮かんでいた。それに対して泉は穏やかでいて、しかしどこか悲しそうな表情で言った。
「そっか。大和もこっちで色々な出会いがあったんだね。羨ましいな、大和にそこまで考えてもらえる人が。まぁ、私は自業自得なんだけど。それでも夢のためとは言え、大事な人は一回でも手放しちゃダメだったんだね」
大和は泉の言葉を噛みしめた。いくら鈍感な大和でも泉の気持ちがまだ残っていると悟ったのだ。尤も、その程度はわからないが、それでももしかしたらこの晩、寄りを戻したい思惑もあったのではないかと思った。
「わかったよ、気にしないで。もちろん仕事にも影響させないから安心して」
「本当にごめん。こんな時間に部屋が取れるのかもわからないから今日はタクシーで帰るよ」
「あぁ、それなら気にしないでこの部屋を使って」
「へ?」
意味が分からず間抜けな声を出す大和。その時に顔を上げると風呂上がりで艶やかな泉が目に入り、しかも胸元が開いているため目のやり場に困る。既に知っている間柄のくせにこういうところがこの男は小心である。
「この部屋、実は大和のために取った部屋なの」
「は!?」
「専務から予め、夜帰すもの申し訳ないから部屋を取っておけって言われてて」
「……」
「シングルが空いてなくてこの部屋になったのは本当。つまり私の部屋が別にあるから私が自分の部屋に戻るね。エイプリルフールってことで許してちょ」
あっけらかんと言う泉。大和が唖然としているので泉は笑い出した。
「あはは。まさか本当に私の部屋じゃないって気づかなかったとは思わなかったよ。出張中なのに私のスーツケースないでしょ? 相変わらず大和は鈍いなぁ。あはは」
そう言って泉は大和の反応を楽しんだのだ。しかしその後すぐにパンツ一枚で平気で着替えるものだから、咄嗟に大和は視線を外して狼狽えた。そして泉は明るく手を振って部屋を出た。
「それじゃ、これからよろしくね。気持ちは嘘じゃないから作戦変えて出直すよ。おやすみ、ばいば~い」
出直すとはどういう意味なのか。そしてこの晩、大和の頭からは泉の裸体がシルエットと化しいつまでも消えなかった。
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