第二十楽曲 第一節

 2月前半のアルバイトの休日希望を出すギリギリのタイミングだったが、それがなんとか間に合い、唯が古都を誘った翌日に2人して調理実習参加の申し込みを済ませた。参加枠の残りもわずかだったため、間に合ったことに安堵する。


 そして迎えた2月13日の放課後、古都と唯は揃って調理実習室に向かった。目的は家庭科部主催の調理実習だ。お題はチョコである。

 材料費ということで少しばかりの会費は徴収されるものの、その他の持ち物はエプロンと三角巾だけなので、身軽なものである。


「今日、調理実習が終わったらカフェ行かない?」

「大和さんのとこ?」


 廊下を歩きながら古都が活き活きした表情で言うので、唯は質問を返した。


「うん。唯は明日もバイト休みだからカフェに行くでしょ? 私は今日のうちに常連さんに渡しておかないと」

「あ、そうか」

「連絡はしてあるから皆今日は店に来るって言ってたよ」

「うん、付き合う」


 話は決まったようだ。

 2人して調理実習室に到着すると、家庭科部の部員が既に数名いて材料や調理器具を並べていた。古都と唯は会費を払うとエプロンを着て髪を結い、指定された調理台の前に立った。この2人のエプロン姿は見る者を魅了するが、尤もこの室内に今男子生徒はいない。そもそも格好が良くても家事力の低い2人である。


「今日はよろしくお願いします」

「お願いします」


 古都と唯は自分たちの調理台で準備をしていた女子生徒に声をかける。その女子生徒は古都と唯に気づいて2人を向く。


「2組の雲雀ひばりさんと3組の木虎きとらさんね。家庭科部で5組の森下もりしたよ。タメだから敬語じゃなくていいわ」


 縁なし眼鏡をかけている森下は透き通るように肌が白く綺麗で、どこか凛としている。一方、素っ気なくも感じるその話し方は希を思わせる。森下は肩まである真っ直ぐの髪を、ヘアピンを使ってこめかみ辺りで留め、三角巾で覆っていた。準備を進めるその手際はいい。


「こんにちは。1年8組の村越むらこしです。今日はよろしくお願いします」


 すると古都と唯のすぐ後に小柄で幼顔の村越という生徒が加わった。森下は古都と唯に言ったように自己紹介を済ませる。そして簡単な説明を始めた。


「今日は調理台1台につき4人で実習をするわ。この調理台はトリュフを選択した生徒が集まってて、みんな1年生だから気を楽にして。各調理台に家庭科部の部員がいるから基本的には部員の主導で進める。レシピは黒板に書いてあるとおりよ」

「うっす! 了解!」


 唯と村越は控えめに「はい」と返事をするが、古都だけは軽やかに敬礼のポーズを取った。


 その後、森下主導のもと調理実習は始まった。森下は鍋で生クリームを温め、他の3人は板チョコを細かく刻み始めた。しかし、家事力の低いバンドガール2人。包丁を握るその手元は覚束ない。ガチガチに肩に力が入っていた。


「あの……2人は学園祭で有名になった美少女バンドのメンバーだよね?」


 それなりの手際で板チョコを刻んでいた村越が徐に口を開く。唯はその代名詞に恐縮して思わず口を噤むが、包丁を握って眉間に皺の寄っていた古都が一度手を止めて、穏やかな表情を向ける。


「うん、そうだよ」


 できれば唯のように少しは謙遜してほしいが、この女には無理な願いだろう。古都が答えたので村越は続ける。


「その有名な2人が渡す相手っていうのも誰なのか気になるけど」

「あぁ、私たちはバンドを通してお世話になってる人がたくさんいるから」


 古都が当たり障りのない回答を示すのだが、村越はふと手を止めて窓の外を向いた。


「そういうことだったんだ。まぁ、私よりも彼らの方が気になってると思うけど」

「ひえっ!」

「う……」


 唯が悲鳴を上げて、古都が思わず絶句する。2人とも手元の作業に悪戦苦闘していて窓の外の光景に気づいていなかった。

 1階にあるこの調理実習室の外には、窓から中を覗く男子生徒がいつの間にか多数集まっていた。部活をさぼっているのであろう運動着の生徒から制服姿の生徒まで様々だ。彼らはどこで聞きつけたのか、ダイヤモンドハーレムのメンバーがチョコを作る調理実習に参加すると知って気が気ではないのだ。


 そんな外野からの視線に晒されながらもチョコ作りは進む。生クリームに混ぜて溶かされたチョコは氷水に当てられていた。少し手が空いたこのタイミングで古都は森下に問い掛ける。


「さすが家庭科部は手際が違うね」

「このくらいは家庭科部じゃなくてもできて当然よ」

「う……」

「それに私は家庭科部って言っても普段はこっちじゃないから」

「ん? どういうこと?」


 古都は首を傾げる。唯も村越も解せないようで森下の回答に耳を傾けた。


「家庭科部の活動は主に調理実習と服飾の2つがあるの。部員がそれぞれ好きな方に参加できるんだけど、調理実習の人はこっちで、服飾の人は普段家庭科室で裁縫をしているわ。私は服飾の方だから、いつもは家庭科室にいるの。今日はイベントだからこっちの助っ人」

「へー、そうなんだね。て言うことは、服が作れるんだ」

「まぁ、そうね」


 その後一口大に小分けされたチョコは冷蔵庫も使って冷やされ、粘土質の硬さになった。森下はそれを取り出すと調理台の上に置いた。


「これを今から手で捏ねて形を整えるわ」

「うっす!」

「「はい」」


 各々が一口大のチョコを掴み捏ねていく。その作業をしながら唯が少しは自分も話をしようと思い、口を開いた。


「森下さんって普段はどんな服を作るの?」

「何でも作るわ。体育祭の時は応援団長の団服も作ったし、私服も部屋着も作ったことがある。それからこのエプロンも自作よ」


 森下はあっさりと言うがその言葉は今身に着けているエプロンに向いていて、どこか誇らしげにも感じる。縫い目が目立たないように綺麗に作られたそのエプロンに他の3人は感心する。すると唯が質問を続けた。


「学校行事用だけじゃない服飾もやるんだね」

「えぇ。家庭科部は特に大会やコンクールの縛りがないから、自分で好きにテーマを決めて作りたいものが作れるのよ」

「へー、なんかいいね、そういうの」

「そうね。材料費は自己負担だけど、楽しいわ」


 それほど表情に変化がない森下ではあるが、楽しんでいることが嘘ではないと唯にはしっかり伝わった。


 作業は移行し、形を整えたチョコにココアパウダーなどの粉末材料をまぶしていく。この時に古都が興味深げに質問をする。


「村越さんは誰にあげるの?」

「私は……中学の時の先輩が別の高校にいて……」

「へー、そうなんだ。いいね、そういうの」


 村越が紅潮するものだから古都は察してまとめた。そして同じ質問をすかさず森下に向ける。


「森下さんは?」

「今日私は部活でここにいるだけよ。家族くらいにしかあげる人はいないわ」


 淡々と答える森下を見てもう少しキャピキャピした話を期待していた古都だが、それならそれで仕方ないかとも思った。


 飾り付けられてトレーに並べられたチョコは、森下の手で冷蔵庫に運ばれた。森下はそれが終わると調理台に戻って来て説明をする。


「今冷蔵庫に入れたから明日の放課後には十分固まっているわ。作業はこれで終わりだから、明日の放課後に冷蔵庫から出して、詰めたら完成よ。もし明日の放課後の都合が悪ければ、明日は昼休みもここを開放してるからその時に自分の分を取り分けてね」

「「「はーい」」」


 作業が終わった4人は手分けして調理器具の片付けに移った。窓の外では真っ赤になった夕日がほとんど沈んでいるが、モグラのようにその腰壁から頭を出した男子生徒のおかげでそれを拝むことはできない。


「ん? 明日なの!?」

「あ……」


 突然古都が声を上げたことで唯も気づいた。普段から台所に立たないので固める時間が必要なことを認識していなかった家事力の低い2人。唯は明日もアルバイトが休みだから問題ないが、この日の夜、ゴッドロックカフェに行った古都は常連客に謝罪した。


「ごめんなさーい。実はまだ完成してなくて今日は手渡しできません。明日の放課後、バイトに行く前に店に預けるから、明日以降で自由に持って帰ってくださーい」


 常連客は苦笑いながらも古都からチョコをもらえるのだから快く対応した。その様子をこの日アルバイトが休みの美和が笑う一方、唯は苦笑いだ。ただここで得したのは大和で、2日続けて店は大入り確定である。

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