第二十楽曲 甘味

甘味のプロローグは唯が語る

 厳しい寒さが続きもう1月も終盤だ。私はこの日のお昼休み、いつものようにクラスメイトの江里菜えりなちゃんとお弁当を食べていた。


「今日はミーティングしないの?」

「うん。その予定はないよ」


 学園祭を控えた時期は食後頻繁に教室を空けていたので、時々江里菜ちゃんはこんな質問を振ってくる。ただ学園祭以降はゴッドロックカフェでのミーティングで事足りているので、軽音楽部の元部室に集まることはない。


「次のライブって決まってるんだっけ?」

「次は春休みに市内かな」

「あ、そう言えば言ってたね。市内だから絶対行く」

「ありがとう。特にチケットがない出入り自由のステージだよ」


 江里菜ちゃんは先月のクリスマスライブにも、中学時代の友達を連れて観に来てくれた。屋外ライブで寒い中、近くはない場所まで足を運んでくれたことにとても感謝している。


「もうすぐバレンタインだね」

「……」


 突然話題が変わって思わず私の箸が止まった。どうしよう、完全に失念していた。

 去年までは当時無口だったお父さんに一応のチョコをあげて、あとは学校の女の子と交換をしたくらいだ。しかし、今年は思い当たる人がいるのでそんなわけにはいかない。と言うか、お父さん以外の男の人に渡したことがない。


「唯ちゃんは誰かあげる人いるの?」

「えっと、お父さんかな」


 私がそんな回答をするものだからすかさずジトッとした目を向けてくる江里菜ちゃん。慌てて私はもう一声足す。


「あと、バイト先の店長とかお店の常連さん」

「お店ってゴッドロックカフェだよね?」

「う、うん」


 そんな確認をしながら江里菜ちゃんはその表情を変えない。そうだよね、期待している回答はそんな当たり障りのない相手じゃないよね。


「あと、ゃまとさん……かな……」

「ほう」


 江里菜ちゃんが満足したように目を細めてそんな声を上げるものだから、私の顔が一気に熱を帯びたことがわかる。


「やっぱり唯ちゃんの本命はそこでしたか」


 満足そうに言う江里菜ちゃん。もう少し堂々とその人の名前を口にできていたら、名前を言っただけで本命だと悟られることはないのだろうと、自分の性格が恨めしい。尤も、江里菜ちゃんの様子からずっと疑いは持たれていたようだが。ただ、どうやらそれを今確信に変えてしまったのだということは、はっきりわかった。


「ふーん。それで、手作りにする?」

「ん? 手作り? 今までチョコを作ったことないよ」

「うそ!?」


 私の言葉がよほど意外だったのか目を丸くする江里菜ちゃん。中学生だった去年まではお小遣いの範囲内でチョコを買って、それをバラして小分けにして配っていた。私は料理もしなければお菓子作りもしない。


「せっかく本命がいるんだから、手作りにしなよ?」

「え? 手作りなんて自信ないよぉ」

「それなら家庭科部に行ってみれば?」

「家庭科部?」


 鸚鵡返しに疑問を口にして、私は首を傾げた。確かに家庭科部なら調理実習があるだろうからチョコを作る機会はあるのかもしれないが、私はバンドがあるので部活に所属するつもりがない。すると江里菜ちゃんが説明をしてくれた。


「毎年家庭科部はバレンタイン前の出校日の放課後に、部員じゃない生徒も集めて調理実習をしてるんだって。もちろんお題はチョコ」

「そうなの!? じゃぁ、私も参加できる?」


 笑顔で首肯してくれる江里菜ちゃん。それはとても興味深い情報で胸が弾む。誰かと一緒に作れるのならよほど失敗をすることはないし、むしろ家庭科部の部員がいるのなら安心できるレベルだろう。


「部活の先輩に聞いた話だと、今年のバレンタインは水曜日だから前日の13日火曜日がその調理実習だね」


 それを聞いて私は頭の中で思考する。

 水曜日は私のアルバイトが休みだからゴッドロックカフェに行く日。大和さんに渡すのも問題がなければ、お世話になっている常連客の高木さんも来店するだろうから手渡しできる。ただしかし問題は作る日、前日の火曜日か。アルバイトを休まなくてはならないな。

 それから、家事力に申し分のない美和ちゃんは言わずもがな、もしかしたら同じく家事力があるのんちゃんも手作りで用意するかもしれない。ちょっと焦るな。台所に立つことが極端に少ない私は心もとない。


 短い時間で色々と考えて私は1つの決心をした。


「その調理実習に参加したい」

「お、唯ちゃん、やる気だね」

「江里菜ちゃん付き合ってくれる?」

「私は自分の部活があるから無理だよ」

「そうなんだ……」


 思わず肩を落としてしまった。江里菜ちゃんは運動部だからなかなかそんなわけにはいかないのだろうと理解したが、人見知りの私は自分1人で参加するのに勇気がいる。ただあと1人だけ自分から誘うことのできる相手に心当たりがある。


「私は自分の部活があるから家で作るけど、その日は家庭科部にたくさん人が集まるから自分の本来の部活を休む女子生徒が続出するらしいよ」


 すると笑ってそんな補足説明をしてくれた。そこでふと私は疑問を抱いて問い掛けた。


「江里菜ちゃんは本命を渡す相手はいるの?」

「……」


 え? どうしたの? 途端にデレた顔をして俯く江里菜ちゃん。まさかいい人いるの?


「唯ちゃんのクラスマスライブの日に中学の友達誘って観に行ったじゃない?」

「うん。その節は本当にありがとう」

「その日にね、ライブ会場で野球部を連れた高坂君と会ったの」

「うんうん」


 美和ちゃんの幼馴染の高坂正樹たかさか・まさき君。美和ちゃんとの繋がりでライブに来てくれていたことは知っている。それにテスト前は高坂君や江里菜ちゃんも加わってよく勉強会をしているから、この面々は既に親しい。


「ライブ後に、イブだしせっかくだからみんなで遊ぼうって話になって、それで私は中学の時の友達を連れてたから合コンみたいになっちゃって」

「えぇぇぇ!」


 思わず声が張ってしまった。しかし待てよ。江里菜ちゃんの友達が備糸高校の野球部と面識がなくて合コンになるのはわかる。けど江里菜ちゃんは備糸高校の生徒だから新鮮味がないはずだ。だからこのデレ顔の意味がわからない。


「それをきっかけに最近高坂君とよく連絡を取ってるんだ」

「……」

「今度2人で一緒に遊びに行く約束もしちゃった」

「……」


 はて? 私は今一理解が追いつかない。なぜ江里菜ちゃんと高坂君が急接近しているの? 私の記憶だと高坂君は間違いなく美和ちゃんに惚れていたはず。美和ちゃんは大和さんを向いているのだけど、高坂君がそれを知っているのかはわからないが、それでも振り向かない美和ちゃん一筋のはず。

 すると衝撃の事実を江里菜ちゃんは口にした。


「その顔は知らないようね。高坂君、学園祭の日に美和ちゃんからはっきり振られちゃったみたいで」

「っっっっっ!」


 声にならない声なのかよくわからない音が私の喉から口を通過した。まったく知らなかった。


「それで落ち込んでたから話を聞いてあげたの。そしたら今いい感じになっちゃって。元々勉強会でいい人だなとは思ってたし」


 私は口をあんぐりと開けたままなのだが、江里菜ちゃんのその表情は完全に恋する乙女だ。すると江里菜ちゃんが思い出したように話題を戻す。


「そう言えば。家庭科部の調理実習は調理台の数の関係で定員があるよ? 人気だし申し込み順だから急がないと枠がなくなるかも」

「そうなの!?」


 それは看過できない情報だ。私は残っていたおかずを口に放り込むと手早くお弁当箱を片付けて隣の教室に急いだ。


 廊下から教室を覗くと目的の女子生徒はいた。あまり大きな声を出すのは得意じゃないけど、私は勇気を出して彼女の名前を呼んだ。


「古都ちゃん!」


 目的の人物、古都ちゃんは自分の名前を耳にして振り向く。たったそれだけの動作なのに美少女の彼女はとても絵になるからつい見惚れてしまう。古都ちゃんは私に気づくとパッと明るい笑顔を見せて、寄って来てくれた。


「唯、どうしたの?」

「えっとね。13日の火曜日に家庭科部で調理実習があるんだって」


 そう切り出して私は古都ちゃんにバレンタインデーのことと調理実習の話をした。そして一通り説明が終わるとまとめの質問をしようとした。


「それで、火曜日はバイトの休みをもらって参加したいと思ってるんだけど、もし良かったら古都ちゃん一緒に――」

「私もバイト休んで行く!」


 私が言い切る前に拳を握って力強く答える古都ちゃん。その瞳はとても輝いている。一緒に参加する人ができて私はほっとした。

 こうしてダイヤモンドハーレムの家事力が低い2人のとある放課後の予定は決まった。

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