第二十楽曲 第二節
バレンタイン当日の放課後、ダイヤモンドハーレムのメンバーは4人揃って下校し、備糸駅で電車を降りた。そして唯だけが駅を出てすぐに別行動を始めた。
唯以外の3人の行き先はゴッドロックカフェで、それぞれが用意した常連客用のチョコを店に預けておくのが目的だ。それが終わり次第各々アルバイトに行く。
唯が1人で向かう先は彼女のアルバイト先の喫茶店である。この日アルバイトが休みの唯はチョコを届けるために顔を出した。
そして唯がその用事を終えてアルバイト先を出るとスマートフォンを確認する。すると古都からメッセージが入っていた。
『私達3人は任務完了。メンバー用の籠をそれぞれ用意してあるから、唯は自分の籠に入れてね。じゃ、バイト行ってくるぜ!』
唯はおおよそのことを理解して足をゴッドロックカフェに向けた。唯のアルバイト先はゴッドロックカフェと最寄り駅が一緒なのでそれがありがたい。ただ、徒歩数分の道のりもこの季節の寒さは身に染みる。巻いたマフラーの中で首を縮め、通学鞄は肩にかけて、両手でコートの襟元を絞めて歩いた。
そうして到着したゴッドロックカフェ。唯が裏口のドアに手をかけると鍵は開いていた。
「良かった」
古都から合鍵を預かっていないので、もしまだ大和が出勤していなければ鍵は閉まっている。しかし大和が既に店に下りていることがわかり、寒い中外で待つことにならなくて良かったと唯は胸を撫で下ろした。
裏口から店内に入るとバックヤードからのギターを弾き鳴らす音が響いていた。大和はバックヤードにいて、どうやら創作をしているようだと唯は悟る。彼女はそのまま歩を進め店のホールへのドアを開けた。
脇の壁に設置された照明のスイッチを手探りで探し当て、唯は照明を点灯させた。するとそこから伸びるカウンターに、古都のメッセージのとおり4つの籠が置かれていた。両手大くらいのその籠は1つだけが空で、唯はそれが自分の分だとすぐにわかった。
唯がカウンターの前に立つと、通学鞄から小分けに用意したチョコを出して詰めていく。1つだけラッピングが違うものの中身が同じチョコがあったので、それは一緒に作った古都の分だとわかった。その古都の籠の下には手書きでメモが書かれたルーズリーフが敷かれていた。
『メンバーそれぞれのチョコを1人につき1つづつ合計4つもらって下さい』
唯はそれを確認して通学鞄からペンケースを取り出す。そしてその古都のメモ書きの『づ』を×で消し、その上に『ず』と書いた。
籠を見て思うのがやはり美和も希も手作りであったこと。妥協せずに自分も作って良かったと心から安堵した。家庭科部の調理実習で作った物なので、見た目も見劣りすることはない。
唯はホールの照明を消すとバックヤードに向かった。ドアの前に『録音中』の掛札はない。それをしっかり確認して、ノックをしてから唯は入室した。
「あ、唯。お疲れ様。さっき他のメンバーも来てたんだけどもうバイト行ったよ」
室内には膝にエレキギターを置いた大和がいて、朗らかな笑顔で唯に声をかける。唯はそれにドキッとして、紅潮したことを隠すように思わずマフラーの中で首を屈めた。
「お、お疲れ様です」
唯の他にこの場にいる唯一の人物、大和だけがなんとか聞き取れるか細い声だ。慣れているはずの水曜日の2人きりの放課後だが、いつもと違う空気を唯は感じた。いや、大和はいつもどおりなのだから、その空気は唯が作り出しているのだ。
「今日もベースやる?」
「あ、はい。お願いします」
「じゃぁ、開店準備は粗方終わらせてあるから、少しやったら一緒にご飯食べに行こうか?」
そのお誘いに唯は一気に脈が早くなった。勿論大和は深い意味など持ち合わせていないし、唯も2人での食事は初めてではないのでそれを理解している。それでもバレンタインデートかな、なんて浮ついた気持ちが拭えない。
「い、行きます」
唯は承諾すると鞄とコートとマフラーを手前の椅子に置き、室内にあったベースを手に取った。そして機材が敷き詰められた4人掛けのテーブルを回り込んで、大和の隣に座った。
それを確認して大和がベースに持ち変えると椅子ごと唯に向く。唯もおずおずと体と椅子を回した。お互いの演奏の手が確認できるように、指導をしてもらう時は隣同士の席を使って対面する。2人の間にテーブルなど視界を遮るものは挟まない。いつもそうしていることなのだが、それがこの日ばかりはなんだか恥ずかしく感じる唯である。
「これ、メンバーからですか?」
「あぁ、うん。さっき来た時にくれたんだ。嬉しいよね」
唯の目に留まったのはラッピングされた3つの小さな箱。大和の手元のテーブルに置かれていた。自分も大和のために一番うまくできたチョコを用意している。人生で初めて渡す本命チョコだ。それを意識しているので唯の緊張は収まらないのである。
こんな調子ながらも唯はこの日のベースの練習を進め、それが終わると大和と一緒に近くの洋食店に入った。
「あ、あの……これ……」
「ん?」
それぞれ注文を済ませると、料理を待っている時に唯がラッピングされた箱を大和に差し出した。心臓の音が耳に届きそうなほど唯は緊張している。一方大和は箱を見て目が輝く。
「僕に?」
唯は一度コクンと首を縦に振って手を引いた。大和は嬉しそうに箱を受け取ると箱の底まで眺めるように持ち上げた。
「昨日、古都ちゃんも一緒に作ったものだから、古都ちゃんのとそれほど違いがないと思うんですけど……」
「そんなこと気にしないよ。時間を使って作ってくれたチョコをもらえることが嬉しいから」
その言葉で報われる。ちゃんと渡すことができて良かった。一番受け取ってほしい人にチョコを受け取ってもらえて唯の肩から幾分力が抜けた。
その後唯は調子を取り戻し、楽しい食事の時間を過ごした。それが終わって2人はゴッドロックカフェに帰った。
この日は唯を推している常連客高木が来店した。開店後すぐの時間帯で、いつもどおりの水曜日である。
「ラッキー。メンバーからのチョコだ」
唯の隣に座ろうとした高木が、カウンターの上に置かれたメンバー4人のチョコに気付いてすぐさま手を伸ばす。するとそこへすかさず唯が声をかけた。
「私の分、高木さんには別に用意してあります。良かったら受け取ってください。他のお客さんには内緒でお願いします」
途端に高木の目が見開く。まだ高木以外の常連客が来店していないことは救いで、唯は店内で堂々と渡すことができた。それを大和はカウンターの中から微笑ましく見守る。
「マジで!? ちょー嬉しい!」
「良かった、喜んでもらえて。高木さんにはいつもたくさんお世話になってるから」
「大和スマン! 唯ちゃんから特別にもらっちゃった」
すかさず惚気る高木。中年のおっさんが女子高生からチョコをもらってはしゃいでいる。しかし大和はそれを意に介さない。
「僕もちゃんと別にもらいましたから」
「うわー! なんだよー!」
「あはは」
大げさにのけ反る高木を見て大和が笑う。高木の隣で唯も楽しそうにしていた。
唯が高木に渡した物は大和の次にうまくできた物で、自身の父親に渡す予定の物と同等である。大和は自分がもらった分とラッピングを比較してクオリティーの違いに気付いたので、自分がもらったチョコを見せることはしなかった。とは言え、内心では優越感に浸っている大和だから、こういうところがたまにちょっと嫌な奴である。
高木は持っていたバッグに唯からもらったチョコを隠すと、その後、続々と常連客が来店した。この日のメンバーは唯だけだが、客の誰もがカウンターに置かれたチョコを受け取り、ご満悦であった。
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