第十五楽曲 第二節

 冷水を頭から浴びたことで冷静さを取り戻すと、泰雅は温水に切り替えて体を流した。

 とにかくこれは犯罪である。警察に行くべきか。しかしそれだとバンドのメンバーが逮捕されてしまう。メンバーが2人も逮捕されたらメジャーデビューはどうなるのだ? そんな不安が泰雅を襲う。

 とにかく今は証拠品を握っているのだからこれだけは死守しよう。その上で響輝と大和に相談しよう。響輝はメンバーのことをよく考えてくれるし、大和は祖父の店の常連客に弁護士がいたはず。結論を出すのはそれからだ。彼らは今、ゴッドロックカフェでアレンジの見直しをしているはずだから、風呂を出たら連絡してみよう。


 考えがまとまった泰雅はバスルームを出て体を拭くと、備え付けのナイトウェアに身を包んだ。そしてベッドルームに戻ろうとして洗面台を見た。


 ――しまった! ない!


 泰雅は慌ててベッドルームに駆け込んだ。するとライターでアルミホールをあぶってストローを咥える女の姿が目に入った。部屋に充満する甘い匂いが泰雅に絶望を与える。洗面台に置いていたポーチは、泰雅がシャワーを浴びている間に女が持ち出していたのだ。

 泰雅は女の両手を掴み、その時に女がライターから指を離したことで火が消える。


「あぁん。もうちょっとぉ」


 切なそうな声を出す女。床に座り込む女の脇には口を開けたポーチが置かれている。そこから覗くもう1袋の白い粉。とりあえず証拠品はまだ残っている。そう思って泰雅がポーチを拾った時だった。


 ダンッ!


 ガチャッという音も飲み込むほど勢い良く開けられた部屋のドアは、壁にぶつかり荒々しい音を立てた。そして入ってくるコート姿の男達。その下は恐らくスーツで、泰雅は彼らが警察だとすぐに悟った。


「動くな!」


 その言葉を皮切りに怒声が次から次へと投げ掛けられる。効果が少しずつ出始めている女は浮遊している感じで、この状況に全く目を向けていない。泰雅は響輝と大和に相談することが叶わずショックを受けるが、とにかくこの手の証拠品を警察に渡さなければと思う。が、しかし……


「その手に持っているものを渡せ!」


 怒気を含む警察の言葉で泰雅はまた絶望した。自分が容疑者になっていると悟ったのだ。そしてそれは案の定で、この後白い粉は簡易検査にかけられ、泰雅の手には手錠がかけられた。

 絶望したままの泰雅は警察に引っ張られるまま、部屋を出された。その時に同じフロアの別の部屋から、同じように手錠をかけられた鷹哉と怜音が出てきた。


「おい、なんで同時に部屋から出すんだよ! 別々に連れて行くぞ!」


 物々しい雰囲気のホテルの廊下で一人の警察の怒声が響く。その瞬間、鷹哉とその連れの女が警察に引っ張られ、連れ出された。怜音とその連れの女は警察から壁に体を向けられ、そしてすぐに泰雅も同じように壁に体を向けられた。

 これは逮捕された者同士が近寄って口裏を合わせないための措置で、本来は廊下で逮捕者同士の顔合わせも避けたかったのが警察の意図だ。浮遊感の抜けない泰雅の連れの女はまだ部屋の中におり、まともに立ち上がれないのか2人の警察に両脇を抱えられ無理矢理立たされた。


 連行された時の鷹哉の目は焦点が定まらず、それを目にした泰雅は自分が未然に防げなかったという情けなさを感じる。犯罪の常習だった仲間にも、何もできずに共犯になってしまった自分にも怒りが込み上げた。

 すべてが後手だ。ポーチを渡された時にすぐにしっかり中身を確認しておけば。中身を知った時にすぐに行動に移していれば。何よりも、今まで犯罪に手を染めていた仲間に気づくこともできなかったと悔やんだ。


 この後警察署に連行された泰雅は取調べを受けた。使用していないことは尿検査ですぐに潔白が証明されたが、所持の方で容疑が晴れることはなく、拘留延長をされた。

 もちろん使用目的で所持しておらず、部屋に入るまでポーチの中身が覚せい剤であることも知らなかったと証言した。しかし同室の女がしっかり使用していたことで使用目的の所持の疑いは晴れなかった。事実、同室の女の使用すらも止められなかったのだから、結局泰雅自身、同罪意識が拭えなかった。


 一方、泰雅たちが取調べを受けている間に警察から連絡を受けたバンドリーダーの響輝。これは逮捕されたバンドメンバー3人がクラブに入るまでの直前に一緒に行動を共にしていたからで、大和と杏里も含めた3人からも事情を聞きたいというものだった。はっきり警察はそう言わなかったが、この時はもちろん3人にも疑いがかかっていた。

 3人が任意聴取に応じるため警察署へ向かう道中、大和は祖父に連絡をして、その連絡を常連客で弁護士の河野に引き継いでもらった。


『俺も今車で警察署に向かってる。電車を下りたら3人だけで警察署には入らず、駅で俺を待て。それを響輝と杏里にも伝えろ』

「はい」


 移動中の電車の中、こんな状況なのでマナーも無視して通話をする大和。その声は震えていて、真剣に河野の言葉を聞いた。


『この後、警察には弁護士として俺からも連絡を入れておく。俺が責任を持ってお前たちと警察に行って、聴取に応じると伝える。だから電車を下りたら必ず俺を待て』

「わかりました」


 その後河野と合流してから到着した警察署で、大和たち3人は河野のアドバイスに従い素直に聴取に応じた。尿検査も受けて3人の潔白は証明された。


 数日後、泰雅は嫌疑不十分で不起訴処分となってやっと釈放された。しかし安堵する間もなく泰雅は、留置場を出た足ですぐさま大和と響輝のもとへ謝罪に出向いた。場所は営業開始前のゴッドロックカフェのホールで、カウンターの中では大和の祖父が開店準備をしていた。


「今回は本当に悪かった」


 泰雅は深く頭を下げた。泰雅が巻き込まれた形であることは河野を通して既に把握していた大和と響輝。しかしこの頃はまだ許す気持ちと許せない気持ちが同居していた。なぜなら……


「レーベルから今回の話はなかったことにって連絡があったよ」

「……」


 響輝の言葉に唇を噛む泰雅。目頭が熱くなるが自分には泣く権利すらないと戒め、グッと堪えた。


「芸能事務所からも受け入れられないって連絡があった」


 あからさまに肩を落とす響輝。大和の様子も響輝と大差なかった。それが泰雅には痛かった。

 今回の事件によってクラウディソニックのメジャーデビューは白紙となった。まず芸能事務所が手を引き、受け入れ先がなくなったことでレーベルも手を引いた。

 泰雅が釈放されるまでの間、大和と響輝と杏里は関係各所に謝罪に回った。出演が決まっていたライブハウスは県内が主だったが、一部首都や地方の箱もあった。メジャーデビューを心待ちにしていたゴッドロックカフェの常連客にも謝罪した。


 常連客こそ潔白の大和と響輝と杏里に非はないと温かい言葉をくれたが、他の各所はそういうわけにいかない。ライブハウス関係者はライブをキャンセルされ、その空いた枠を埋めるために奔走したわけだ。迷惑をかけている。

 そして大和と響輝が2人で赴いた東京で叱責を受けたのがレコード会社と芸能事務所である。無論、クラウディソニックが所属予定だった芸能事務所と、その専属先の予定だったレコード会社だ。2人は深く頭を下げた。


 この事件はニュースにこそならなかったものの、地元のライブハウス関係者の中では知られる話となった。尤も、結局はまだ全国的に有名ではないインディーズバンドだから公にならなかっただけの話だ。


「これは俺と大和の2人で話して決めたことだけど……」


 響輝のその切り出しに泰雅が息を飲む。緊張しながらも続く響輝の言葉に耳を集中させた。


「クラウディソニックは解散する。それを逮捕されたお前たち3人には俺から一方的に通告する」


 泰雅は俯いてギュッと目を瞑った。事件を起こしたのだ。しかもメンバーで逮捕者が過半数の3人も出た。結局自身は罪に問われなかったとは言え当たり前だ。泰雅は頭で理解したこのことを強く理性に言い聞かせた。


「わ、かった……」

「ただ、杏里がそのことで取り乱してて……」


 大和が言葉を繋ぐ。罪悪感しか抱いていない泰雅に更なる罪悪感が襲う。それこそメンバーよりもメジャーデビューを心待ちにしていた杏里だ。これからメンバーは東京に行って杏里とは離れる予定だったのに、それでも杏里は楽しみにしていた。それを思うと泰雅のメンタルは押し潰されそうだった。


「杏里にもちゃんと謝りに行――」

「それを止めてほしくて言ったんだ!」


 大和が怒鳴った。驚いてビクッと泰雅の大きな肩が上下する。響輝は俯いた様子で動じてはいない。

 ただ、この後誰からも言葉が発せられることはなかった。事件当事者の3人には杏里に会ってほしくないと、大和がそう考えていることが泰雅には痛感できたから。


 この後、怜音と鷹哉は保釈金を支払って保釈された。そして後の裁判で怜音と鷹哉は初犯だったため執行猶予付きの有罪判決を受けた。使用の常習性が高く仕入れをした鷹哉の量刑は怜音よりも重かった。その後2人とも控訴せず、裁判は確定した。

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