第十五楽曲 第一節

 浮かれていたとしか言いようがない。泰雅たいがはその日、大和たちと別れると普段はしないクラブ遊びをした。浮かれていた理由はメジャーデビューを前にして、いい箱で最高のステージができたことだ。バンドが有名になりつつあり周りが見えていなかった。


 ただ普段はクラブ遊びをしないと言っても、したことがないわけではないし、大学の飲み会なんかは参加する。それに一人暮らしの学友の家で朝まで宅飲みなんかもするし、バーやカラオケで夜中まで飲むこともある普通の大学生だ。

 普通より少し違うのは筋力に恵まれていることくらい。幼少期から腕っ節は強く、しかし硬派で、弱者を叩く者がいればその腕っ節で蹴散らしていた。


 大学生になって地元から少し離れたこの都会で遊ぶことも増え、更にはバンド活動を通して一般的な大学生よりも収入があり、顔も広くなっていた。まだインディーズバンドとは言え、これはさすがに人気を集め始めたバンドである。顔見知りの店も数店ある。

 しかしやはりこの時期は浮かれていたのだろう。ステージを終え、その後の打ち上げで酒も入って緩慢になっていた。それは夜中の2時に指しかかろうとしていた頃だった。


「お、泰雅いた」


 轟音が響くクラブの店内で、周囲はDJが先導する音に合わせて踊る人で溢れたホール。そこへ泰雅を発見した怜音れおが大声で声をかける。この轟音なので大声と言っても表情からその様子がわかるだけで、実際にはなんとか言葉が聞き取れる程度だ。


「どうした?」

「3人集まったから店出ようぜ」

「は?」


 泰雅は怜音の言う言葉の意味がわからない。怜音は締まりのない表情をしていて、親指を立ててホールの端を示す。するとその先には、テーブルで女を3人囲って酒を飲む鷹哉たかやの姿があった。


「3人ってナンパか?」

「そうだよ。ちゃんと俺達の人数分」


 こういう店は朝まで飲んで踊るという印象を持っている泰雅は、今の時間帯にしては店外に出るのはまだ早いような気がしている。


「まだ2時前なのに出る話になってんのか?」

「そうだよ」

「女もそのつもりなのか?」

「あぁ。餌があるからな」

「餌?」


 怜音の言葉が解せずに聞き返した泰雅だが、怜音はそれに答えることなく鷹哉の方へ歩いて行った。とりあえずと言った感じで泰雅は怜音の後につく。


 やがて男3人、女3人は店の外に出て歩き出した。ナンパをして遊ぶならそのままクラブにいればいいのにと思うが、カラオケにでも行くつもりなのだろうか。泰雅は行き先もわからないまま集団に紛れる。

 すると泰雅の横に並んだ怜音が言う。その時怜音はニヤニヤしていて、声を潜めるように話した。


「これ、餌な。部屋で使え」

「ん?」


 そう言って怜音は、手に余るほどの大きさのポーチを泰雅に渡した。泰雅はそれが何なのかわからずポーチのファスナーに指をかけた。すると怜音が慌てる。


「バ、バカ。ここで開けるな。部屋で開けろ」


 そう言うだけに止まらず、怜音はポーチを泰雅のジャケットの内ポケットに無理矢理突っ込んだ。まるで周囲から隠すようである。泰雅は一体何なのか解せないながらも、餌と言ったのだから女達はこれに釣られてついて来たことだけはわかった。


「ところで部屋って?」

「ん? あぁ、泰雅ってこういうの初めてか」


 そのニヤけた表情の怜音の言葉に、バカにされているようで少しばかり苛立ちを覚えた泰雅。尤も、怜音にそんな意図はなく泰雅の感情に気づくこともなく話を進めた。


「ホテルの部屋、3室予約取ったから」

「は?」


 ここでやっと泰雅はこのナンパが即性行為目的であることを悟った。そしてそれをわかっていて女達はついて来たのだ。こうも簡単に女をその気にさせるこのポーチの中身とは一体何なのか、泰雅は眉を顰める。


「必要なもんは全部入ってっからやり方は女に聞け。餌を提供してくれた鷹哉が優先で一番可愛いセミロングの子な。で、次が3人全員に声をかけた俺で、一番巨乳の子な。泰雅は余りもんで悪いけど、茶髪の子な。あの子もそれなりに可愛いだろ?」


 泰雅の疑問をよそに女の割り振りを説明する怜音。それだけ言うと怜音は泰雅から離れ、目当ての女の横を歩き始めた。そして泰雅の隣はすぐに、泰雅に割り振られた女が歩き始めた。疑問は残るものの、泰雅はたまにはこういう遊びもいいかと開き直り、集団の歩に合わせた。


 バンドのキーボードを担当する鷹哉は、大学生になってから地元の備糸市を離れてこの都会で一人暮らしをしている。備糸市からは一時間弱の距離であるのに贅沢だと、周囲からは羨む声を投げ掛けられる。これも経済的に余裕のある家庭の息子だからで、十分な額の仕送りをもらっていた。

 都会に出てきた鷹哉は大学の単位はギリギリで、バンド活動の傍ら、夜の繁華街で頻繁に遊んでいる。更に言うと、クラウディソニックはバンド活動の収益を全額メンバーで均等に分けているため、収入もそれなりにある。尤もこれはインディーズの今の形態であり、メジャーデビュー後は作詞作曲者個人に規定の印税が支払われる話になっていた。


 ボーカルの怜音は鷹哉以外のメンバーと同様、現在は備糸市内の実家暮らしだ。バンドの曲は全曲作詞を担当している。バンドの作曲者は響輝と大和だけなのだが、彼らの曲に詞をつけたり、書いた詞の曲を作ってもらったりしている。今後作る曲はメジャー曲になるわけだが、最近はその作詞活動が滞っており、鷹哉に付き合って遊ぶことが増えていた。


 やがて到着したホテルの一室で女と2人になった泰雅。女が先にシャワーを済ませ、備え付けのナイトウェアに身を包むと、ダブルベッドの縁に座る泰雅に擦り寄った。


「ねぇ、あなたも早くシャワー済ませてキメようよぉ」


 甘ったるい女のその話し方に嫌悪感を覚えないこともない泰雅だが、抱いてしまえばその最中は関係ないかと考える。それより女は「キメよう」と言った。それはどういうことなのか。そんな疑問を抱いていると女が急かすように泰雅に擦り寄る。


「ねぇ、持ってるんでしょ? くれるって言うからついてきたんだよぉ」


 ここで泰雅はそう言えばと思い出した。一度立ち上がってクロークのハンガーにかけたジャケットを探る。そして怜音に手渡されたポーチを持って再びベッドに座った。


「これか?」

「うん! これこれ!」


 女の目の色が変わった。明らかに高揚していて、食いついている。今にも泰雅の手から奪い取りそうな勢いで身を乗り出す。結局中身を把握していない泰雅は何が入っているのだろうかと、まずはそれを確かめるためポーチを開けた。


「なっ……」

「わぁぁぁぁぁ」


 泰雅は驚きとともに声を失った。ポーチの中の光景を見て初めて目にするそれが何なのかすぐに察知した。一方、女は目を輝かせている。


「ちょっと待て!」

「あぁん。何よぉ」


 泰雅は体で隠すようにポーチを女から遠ざけた。

 泰雅が目にしたポーチの中身。それは、ストロー、アルミホイル、ライターなどで、そして極め付けがビニール袋に小分けされた2袋の白い粉だった。


「早くキメようよぉ」

「これ、まさか覚せい剤か……?」

「そうだよ。もしかして、シャブ初めて? うふふ。キメセクってめっちゃ気持ちいいんだよ」


 そう、それは覚せい剤。それを知って泰雅は激しく動揺した。瞬間、壁を向く。その先にいるのであろうバンド仲間の顔が浮かぶ。


 ――まさか、常習者……?


 しかし無常にもその疑問は一瞬で確信に変わった。怜音の言葉から入手したのは鷹哉。そして怜音の言動から彼もまた、このポーチの中身を知らずに自分に渡したわけがない。

 泰雅は考えた。しかし女が急かしてくるのが鬱陶しく、一度ポーチを持ったまま逃げるように洗面所に入った。とにかく今は頭を整理したい。落ち着いて考えたい。泰雅は服を脱いでバスルームに身を入れると、冷たいシャワーを頭から浴びた。室内とは言え、真冬に冷水を浴びて泰雅の大きな体は凍えた。

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