第十五楽曲 第三節

 大和は響輝と一緒に傍聴した裁判で、被告人の言葉が強く記憶に残った。それは鷹哉と怜音の証言である。


「覚せい剤を使用しようと思ったきっかけは何ですか?」

「私はバンドでキーボードを担当し、作曲もできます。しかし他に作曲のできるメンバーがいて彼らほどの曲は作れません。

 インディーズであった今までは印税を全てメンバー均等に割ってきましたが、メジャーデビュー後は作詞者作曲者に既定の印税を支払うことになっていました。それに不満がありました。しかし彼らほどの曲は作れない。それで覚せい剤に手を出しました。

 薬に頼ると眠くなくなり、創作意欲が湧き、納得できる曲が作れるようになりました。まだメンバーに曲を聴かせたことはありませんが、今はその書き溜め段階でした」


 裁判官の質問に鷹哉は、長い言葉ながら淡々と答えた。響輝はじっと鷹哉の様子を見据えていた。大和はこの鷹哉の言葉に怒りを覚えた。


 欲深い。プライドだけが先行している。鷹哉に対するそんな憤りの念が大和の感情を支配した。


「覚せい剤を使用しようと思ったきっかけは何ですか?」

「メジャーデビューを前にプレッシャーから詞が書けなくなりました。今よりももっといい歌詞を書かなくてはいけない。そんな義務感が私を襲いました。そんな時に鷹哉からすすめられて覚せい剤に手を出しました」


 別の日、怜音は裁判官の質問にそう答えた。その後は鷹哉と同じ睡眠や創作意欲に関することを話した。これに対して響輝は鷹哉の時同様じっと怜音を見据えた。しかしやはり大和は怒りを覚えた。


 弱い。プレッシャーは大なり小なり自分も響輝も感じていた。しかし怜音はそれから逃げた。そして鷹哉と怜音に共通するのが、創作に覚せい剤を使ったこと。それが一番許せなかった。つまり覚せい剤を使ってできた曲に何の価値もなく、それはドーピングでしかないと大和は思うのだ。

 それに覚せい剤を創作の言い訳にしたのは言い逃れでしかないと思う。大和は既に逮捕当時の状況を聞かされているわけで、結局シャブセックスに溺れただけではないかと怒りを抱く。強い依存を示す覚せい剤による性行為、これがこの薬の怖さである。


 怜音が覚せい剤に頼って書いた詞は既に大和も響輝も受け取っていて、数曲形にしている。しかしそれを世に出すわけにはいかず、大和と響輝はこの裁判後、それらの曲を全て破棄した。

 裁判の確定をもって怜音と鷹哉は大学から退学処分を言い渡された。大和と響輝は大学を卒業し、やがて響輝は父親の紹介で中堅企業の工場員となり、大和はその頃亡くなった祖父のゴッドロックカフェを引き継いだ。


 泰雅も大学は卒業できたものの、就職活動をしていなかったことで苦労した。しかし大和と響輝のもう少し後に、アクアエデンの経営者から拾われる。当時アクアエデンは素行の悪い客が多く、既に何人もの雇われ店長が逃げ出していた。泰雅が拾われたのもちょうど当時の店長が逃げた頃だ。大学入学後から近隣で遊ぶことがあった泰雅は知られた存在で、その腕っ節を買われたのだ。

 もちろん職探しに困っていた泰雅は二つ返事でこの打診を受けた。そして泰雅が店長になってからやんちゃな客は未だ寄り付くものの、アクアエデンは店内でのトラブルがなくなった。泰雅がうまく抑え込んでいる。

 泰雅がそんな店に変えたから『AQUA EDEN』のロゴが入ったスタッフTシャツを見ると、チンピラ風情は尻尾を巻く。ダイヤモンドハーレムが夏休みの路上ライブでトラブルに巻き込まれた時、絡んできた男たちが怯えたのもこれが理由である。


 そして日は流れ、大和が祖父から店を引き継いで間もない、まだ寒さが残る3月のとある日だった。ジャパニカンミュージックの吉成が大和を訪ねてゴッドロックカフェに来る。そこで作曲と編曲の仕事を受けてほしいと打診する。


「あ、あの……なんで僕に?」


 ありがたい打診であり、すぐにでも飛びつきたくなる話なのだが、バンドが解散したばかりの大和は慎重に言葉を探した。吉成にはカウンター席に座ってもらい、2人はカウンターテーブルを挟んで対談した。


「それはもちろん菱神さんの音楽センスを買っているからです」

「えっと、業界の方なら最近僕達の身に何が起きたかはご存知かと思いますが……」

「はい、存じております。確かに事件がまだ風化しない段階でクラウディソニックに関わるのはイメージ低下に繋がります。しかし今日私は、菱神さん個人にお仕事の打診に来ました」

「僕、個人……ですか?」

「えぇ。本当は私もクラウディソニックが欲しいと追いかけておりました。それはあなたの作る曲に感銘を受けたからです。しかしお恥ずかしながら他のレーベルに先を越されてしまいました。そんな時に今回の事件が起きました。ただ、解散したとは聞いておりますが、例え解散していなくてもバンドを拾うのは難しいです」


 カウンター席で肘をついて、軽く両手を組んで話す吉成。薄暗い店内のカウンターテーブルの上のスポットライトが、吉成のシャープな眼鏡を照らす。店の常連客とは程遠い清潔感のあるダンディーと言える男を前に、大和の肩に力が入る。


「それならなぜ?」

「申し上げたように私は菱神さんの曲に感銘を受けたのです。そして今回は菱神さん個人への打診です。バンドではないので問題ありませんし、もし社内に反対意見を言う者がいたら私の職権で排除します」


 大和は手渡されたばかりの名刺をまじまじと眺める。「吉成章吾」の上に書かれた「専務取締役」の文字。その文字が輝いているように見えた。大和は顔を上げると、その時にはもう満面の笑みになった。


「是非! 是非ともお願いします」

「良かった。それでは詳しい内容のお話に入らせていただきます。まず、クラウディソニックの時のYAMATO名義での活動はご遠慮願いたい。そもそも公にはなっておりませんし、そうかと言って隠し通せるわけでもないのですが、やはり業界でのイメージは良くありません」

「じゃぁ、菱神大和ひしかみ・やまと。漢字表記の本名はどうですか?」

「えぇ。それなら問題ありません。それから……」


 こうして大和は吉成と仕事をすることになったのだ。大和は好きな音楽にまた携われることが嬉しかった。これからもゴッドロックカフェでそれは叶うのだが、やはりプロとして作曲の仕事ができることに喜びを感じた。


 そして4月になると大和の前に現れたのは古都である。長勢教諭から勝手にゴッドロックカフェを紹介したと聞いて、実際に古都と会って、大和は長勢を恨んだ。クラウディソニックの事情なら長勢も知っているのに、わざわざ古都を寄越したことにほとほと迷惑だと感じた。

 高校生になったばかりで業界の人間ではないのだから知らないのだろうが、古都はクラウディソニックのファンであったことを公言し、事ある毎に大和へ音楽を教えろと迫る。大和に拘るのはもちろんクラウディソニックのファンだったからだ。

 それに自身も高校生の時に抱いていたのであろう、軽音楽に対するキラキラとした瞳を向ける。それは希望に満ちた目だった。メジャーデビューを諦めたばかりの大和にはそれが眩し過ぎたのだ。胸が苦しくなって関わりたくなかった。


 しかし古都は店に通うようになり、大事な常連客を取り込む。常連客だってクラウディソニックの事情は知っているはずなのに、無責任にも古都をはやし立てる。長勢といい、常連客といい、何故大和の周りにはこれほど呑気な輩ばかりがいるのか。

 結局大和が根負けして、古都が集めたメンバー諸共バンドの指導を引き受けた。渋々引き受けた。嫌々引き受けた。そのはずなのに大和はいつしかメジャーデビューを目指すと言った女子達に感化され、十代の頃の気持ちを思い起こされ、彼女達のプロデュースに夢中になった。

 響輝も音楽から距離を置いたとは言え、彼女達と触れ合うことは楽しんでいた。彼女達を羨ましくも感じたが、それでも嫉妬より応援したい気持ちの方が勝り、何かと大和を手伝った。


 そんな時、全く違う動きをしていたのは杏里だった。大和の知らないところで、それどころか響輝も彼女の動きを把握していなかった。

 杏里は年度が変わった頃から少しずつ、県内政令指定都市にあるライブハウスや楽器店など、軽音楽の関係店舗に足を運ぶようになった。

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