第十三楽曲 第三節

 2曲目が終わり、古都のMCが入ると希はホールを見渡す。彼女は肩で息をしており、また、汗も掻いている。しかしそのいずれもが心地いい。


 2~3列ほどになる常連客の後ろにはアルバイト先の同僚2人の顔が見える。その大学生2人はにこやかな表情で希を見ていた。目が合うと希の表情も思わず綻ぶ。常連客以外ではバンドを通して初めて呼んだ客だ。他のメンバーを差し置いてまさか自分にそれができるとは思ってもいなかった。

 希はその性格からアルバイト先でも口数は少なく、積極的に周囲とコミュニケーションを取ることはない。男子大学生の鈴木が路上ライブの動画に気づかなければ、そして女子大学生の佐藤がその動画に希がいることに気づかなければ、チケットを買ってもらえることはなかった。

 ライブの話をして以降、希はこの大学生2人から気に掛けてもらっていて、可愛がってもらっている。そして今日、自身の演奏を見せることができたことに、何とも言い難い明るい気持ちがこみ上げてくる。


『今日は私達の初ライブです!』


 ドッドッ、パーン!


 古都のMCに合わせて希はバスドラを2回踏み、クラッシュシンバルを打った。足元からバスドラの重低音が入ってきて、クラッシュの破壊音が頭頂を抜けるようである。その流れで聴衆は皆、体が浮き上がるような感覚に陥る。


 奥に目を向けるとドリンクカウンターの脇で大和と並んで酒を飲む年長の河野が確認できる。先週のリハーサルの招待ライブの後、ゴッドロックカフェのホールでは反省会と称してメンバーと招待客との打ち上げが始まった。そこで白くなった口ひげを蓄えた河野に言われたのだ。


「古都のMCの時なんだがな、希も盛り上げてやれよ」

「ん? 私みたいなのがしゃべるんですか?」

「はっはっは。まぁ、それができるに越したことはないんだが」


 酒を片手に豪快に笑う河野の意図が今一読み取れず怪訝な表情をする希。希は手元に置かれていたレモネードを一口飲むと河野が続けた。


「いやな、ドラムで応えてやれってことだよ」

「ドラムで? MCにですか?」

「あぁ。盛り上げる時はバスドラ踏んだり、クラッシュ鳴らしたり。そういうの見たことないか?」


 そう言われて希は大和に連れて行ってもらったライブハウスのステージを思い返してみる。確かにMCの時、ギターやベースの演奏は止めるのに、ドラムだけは鳴らすバンドが多かったように思う。それに気づいて希は同じ席にいた兄の勝に問い掛ける。


「お兄ちゃん、ライブDVDって持ってたりする?」

「うん。プロからアマまで多少は」

「今日帰ったら見せて」

「わかった」


 そしてこの日の打ち上げを終えて希は、自宅でライブDVDを見ながら多くのバンドのステージMCを参考にしたのだ。更に長髪のドラマーは髪を振り乱すことでアクションが大きく見えることに気づき、この1週間で練習中からそれを実践してきた。


『初めましての人が多いと思うけど、最初にバンド名言ったからもう覚えてくれましたよね?』


 苦笑いと失笑がホールに漏れる。


 チーン


 希はライドシンバルを打ち甲高い音を示す。するとオーディエンスの苦笑いが若干普通の笑顔に変わった。これも他のバンドのステージを研究してわかったことだ。MCでスベッたり、オーディエンスの反応が微妙な時は腹に響くノリのいい音より、高くて耳に残る音の方が効果音になる。


『じゃぁ、もう1回バンド紹介しますね。私達がダイヤモンドハーレムです!』


 古都のその言葉に希はツインペダルでバスドラを連打し、スネアをロールした。そしてクラッシュを強く叩く。それに合わせて前方の常連客を中心にオーディエンスから歓声が上がった。

 そのホールの様子を見ながら希はホール後方に目を向けた。するとドリンクカウンター脇で河野が親指を立てている。それを目にして希にしては珍しく、満足げな笑顔が零れた。その希に気づいたアルバイト先の同僚は初めて見る希の笑顔が新鮮で癒され、また、前方に立つ常連客の建設会社次期社長木村は萌えていた。


 ただ残念なこともある。この場に兄の勝がいないことだ。チケットも買ってくれて、希よりもこの日を楽しみにしていた勝。尤もその張り切りように希は引いていたが。とは言え、直前になって勝の会社の海外の工場でトラブルが起き、週末にも関わらず駆り出された若手の勝は、飛行機で日本を飛び立ったのだ。

 自宅ではシスコン全開の勝だが、その容姿の良さからモテるし、頭は良く仕事もできるのだと継母の玲子から聞いたことがある。シスコンを除けば完璧人間の勝なので、頼られ、駆り出されることは致し方ないと希は理解しているが、やはりこの日この場に来られなかったことが寂しい。


 希はMCの古都の次の言葉で意識をステージに戻す。


『それじゃぁ、次の曲いきます! 聴いてください』


 希のカウントをしっかり耳にしてから演奏を始める唯。これで3曲目になるが、今のところ全曲順調に出だしは揃っている。ノーミスで演奏ができていることにも安堵するし、唯にしては珍しく緊張が解けていてステージを楽しんでいる。今までと世界が変わったようにも見えていて、なぜ早くからこの景色を見ようとしなかったのかと嘆く自分もいる。

 ホール最前列の唯の前には常連客の高木がいて、演奏中は何度も目が合う。目が合う度に唯は笑顔を向ける。高木は唯にベースを譲ってくれた住宅メーカーの営業マンで有給を取って来ている。ただ、この日のステージはさすがにもっとグレードの高いベースを使うようにと大和から指示され、唯は大和のコレクションの中から借りたベースを使っている。


 それでも先週のリハーサルライブは常連客達の招待が目的でもあったため、高木から譲ってもらったベースでステージに立った。練習の相棒としていつも大事に使っているベースだ。その先週のステージ後の打ち上げで高木に言われた。


「唯ちゃん、ベース楽しい?」

「は、はい」

「じゃぁさ、その気持ちをステージでも俺達に見せてよ」

「え?」


 高木は穏やかに唯に言ったのだが、唯はその意味があまりわからなかった。そんな唯の様子を見て高木は続けた。


「楽しいなら楽しいって表情をして、それを俺達の目を見てちゃんと伝えてよ」


 目を見て……その言葉で下ばかり見て演奏していることの指摘だと唯は気づいた。唯は一度レモネードを口に含み喉に通す。

 大和からもその類の指摘はあった。しかし控えめな唯はそれがなかなか克服できずにいた。しかしいつも応援してくれる高木の言葉で何かを掴んだ。


「そうか、単純に楽しさを表すのか……」

「うんうん」


 満足そうに答える高木。

 今までは失敗してはいけないとか、とにかく綺麗な演奏をしなくてはいけないなどの意識から過剰に緊張していた唯。しかしオーディエンスは楽しむために来るのだ。それならばステージ上の自分が真っ先に楽しんでそれを表現しなくてはならない。そう思うと吹っ切れたような気がした。


 それはその日の打ち上げを終えて帰宅してからも痛感させられた。姉の彩に言われたのだ。その日のステージを見に来ていた彩と唯の父は打ち上げには参加せず、演奏終了後すぐに帰宅していた。


「軽音楽が羨ましいって思ったよ」

「え? そうなの?」


 唯の帰宅後唯の部屋に入ってきた彩はベッドに腰かけた。唯は学習デスクの椅子に座って話していた。


「うん。ピアノのステージは演者がホールに対して横向きじゃない?」

「あぁ、うん」

「けど軽音楽はホールに演者が向いてるから、お客さんの目を見て演奏できるんだもん」


 確かにそうだ。高木にも言われたことである。

 ピアノは譜面や鍵盤を見ることが多く、更にホールに対して演者が横向きのため観客と目が合うことは稀だ。その点軽音楽は可動範囲も広く、オーディエンスと向かい合っている。


「だからさ、演奏を発表するピアノと違って、軽音楽のバンドはお客さんと一緒にステージを作るんだなって、それが羨ましかった」


 それを聞いて唯ははっとなった。あがり症の唯。演奏中になかなか顔を上げられない。自分にできるだろうかという不安も残る。それでも来てくれた客と一緒にステージを作るのだという意識が芽生えた。それこそが自分達の今やっている音楽の魅力だと強く思った。


 そして迎えたこの日のステージ。当初は緊張で息苦しかったが、希が励ましてくれた。美和が優しく抱きしめてくれた。そしてずっと憧れている古都は冒頭からいきなりステージを飛び出した。それがなんだかおかしくて、唯は楽しくなった。開き直ることができた。

 それから唯はずっとステージが楽しくて、オーディエンスと目を合わせて笑顔を交わすことに幸せを感じたのだ。今3曲目。この楽しいステージはもう真ん中まで差し掛かったのかと、唯はそれに寂しさすら感じるようになっていた。

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