第十三楽曲 第二節

 ダイヤモンドハーレムがデビューを迎えたステージで2曲目の演奏が始まった。まだだ、まだまだだ。明るい表情を見せる古都が楽しんでいることは間違いない。しかしそれでもステージ寄り前方は、まだホールの3分の1程度しか埋めていない。

 ライブ全体のチケットの売上げだけなら満員になるほどだと聞いている。それならば自分達のステージは満員にしたいと欲をかくのが古都だ。


 始まったばかりのイントロの演奏で、古都はドリンクカウンターの脇にいる大和を見た。ここは広くはないライブハウス。もちろん大和はステージを見ているので難なく古都と目が合う。瞬間、古都が真剣な目をして入り口に向かってクイッと顎を振った。


「はぁ……」


 溜息を吐いた大和。自身が目立つ行動はあまりしたくなかったのだが。しかも顎で使いやがって。やれやれと肩を落として大和はカウンターに酒を置くと、その場を動いた。隣に立っていた河野はその意味が理解できず怪訝な表情を見せる。


 その頃、ダイヤモンドハーレムが立つステージのライブハウス、クラブギグボックスの屋外ではそれなりに多い人数の客が屯していた。皆一様に目的はトリである5組目のバンドだ。

 5組中4組がメンズバンドのこの日、ちょうど真ん中の3組目にブッキングされたガールズバンドに興味を示す者は少なく、開演からいる客は休憩のため外に出ていた。また、5組目が目当ての客の中にはまだホールに一度も入っていない客もおり、彼らは目当てのバンドのステージ時間に間に合えばいいとのんびりしている。


 ホールの大和は、ダイヤモンドハーレムを見てくださいと頭を下げなくてはならないのかと思いながら、ホールから前室への扉を開けた。するとちょうど2人の女性客が屋外との扉を開けたところだった。


 瞬間。


『うおぉぉぉぉぉ!』


 耳を劈くようなハイトーンの女声が、ホール最後方にいる大和の耳に入ってきて、それは瞬く間に脳天をぶち破った。驚いた大和は開けた扉に手を掛けたままステージに振り返る。すると目に映ったのは、まだイントロのはずなのにそのつぶらな瞳を更に丸くしてマイクに声をぶつける古都の姿だった。


『私達がダイヤモンドハーレムだー! 騒ぎたい奴は今すぐかかって来ぉぉぉい!』


 続けてスピーカーから発射されるシャウトに驚いた大和は口をあんぐりと開けて立ち尽くした。両脇の美和と唯は一瞬目を見開いたが、すぐに笑顔になってノリよく演奏を続けた。後方の希は髪を振り乱しドラムを叩いている。小柄で可愛らしい希とはギャップのあるその姿に、大和は一瞬目を奪われる。

 チケットブースのスタッフも入って来たばかりの女性客2人も古都の声量に驚いて固まる。が、しかし。女性客はステージに興味を示し、スタッフに早くチケットを切るように申し出る。スタッフも興味を示しているが、彼の場所からステージを観ることは叶わない。


 その頃、クラブギグボックスの外ではそのほとんどの客達が古都の大声にビクッと肩を上下させた。いや、客達だけではない。ただの通りすがりのスーツ姿のサラリーマンも同様だ。日曜日に休日出勤だろうか、そんな日に鼓膜を刺激されてさぞ驚いたことだろう。


「ったく。うまく使いやがって」


 大和が嘆くとすぐにAメロから歌が始まった。チケットを切ってもらったばかりの女性客は足早にステージに向かう。


 ドリンクカウンターの前にいるのは他店のブッキングマネージャーと河野だ。河野は既に先週のリハーサルライブで聴いた演奏に聴き入っている。そして表情を無くしているのが他店のブッキングマネージャーだ。

 軽音楽に耳の肥えた彼は生演奏と生の古都の歌声を初めて聴く。1曲目はホール内の轟音に紛れた地声を微かに耳にしていただけだ。しかし今は完全に目と耳をステージに奪われていた。綺麗に通るハイトーンの力強い美声だ。

 それはこの日初めて古都の歌声を聴く他のオーディエンスも同じであった。ノリながらも古都の声に心を鷲掴みにされていた。更には、動画で見たことがあるはずの希のアルバイト先の同僚も同じ反応を示していた。


 チケットブースの若い男のスタッフは唖然とした様子で大和を見る。


「大和さん……」

「ん?」

「大和さんの知り合いのバンドだって聞いてるけど?」

「あはは。申し訳ない」


 大和は頭を掻きながら乾いた笑いを浮かべた。そして扉にあった手を離し、チケットブース側に残った。すると慌しく屋外側の扉が開いた。流れ込むように前室となっているチケットブースに入ってきたのは2人の男だった。その内1人がスタッフに詰め寄る。


「今の何?」

「あぁ、今ステージで演奏してる女の子」

「マジ? どんな感じ?」


 大和がホール側の手を離したことでホール内の音は多少漏れているものの、吸音や遮音が施されたライブハウスのホールの外に漏れる音は変形する。入ってきたばかりの男2人の耳に、演奏の質と古都の美声はありのままには届いていない。


「まぁ、気になるなら中に入って観てみれば?」

「そうする!」


 やや興奮気味に答えた男2人は手の甲に押されたスタンプをスタッフに見せると、ホール側の入り口を開けた。

 瞬間。


「うおっ」


 サビに差し掛かりノリのいいメロディーに乗った古都の力強い声がチケットブースに流れ込んでくる。それに耳と心を奪われたのはスタッフと入って来たばかりの男2人だけではない。聞き慣れたはずの大和も同じだった。

 同時に屋外側の扉も開く。興味を示した外の客がまた入ってきたのだ。彼らはすぐにチケットを切ってもらうと、足早にホールに消えた。


「えっと、大和さん……」

「ん?」


 未だその場に立ち尽くしたままの大和はチケットブースのスタッフから再び声を掛けられる。


「彼女らって路上ライブもやってたんだよね?」

「そうだけど」

「なんで今まで注目されなかったの?」


 大和はふと目を上に向けて考える。何故だろう。そしてその理由かは定かではないが、1つの仮説が浮かんだ。


「たぶんだけど、音が割れちゃうからスピーカーの音量を絞ってたんだよ」

「そうなの?」

「うん。それでも割れちゃってたけど」


 路上ライブの時に使っていた機材は、ゴッドロックカフェの小さなホールに合わせた容量の機材だ。屋外で使うには色々と不便があった。お世辞にも綺麗な音質でライブができていたわけではない。

 逆に動画には完璧とは言わないまでもそれなりに通った音が収録されていたので、閲覧数が伸びたのかと大和は納得した。少し離れた場所からの撮影が功を奏したようだ。ただ、その閲覧数は世界中の誰が見ているのかもわからないので、それがこの日のステージにうまく繋がらなかったことが少々残念だ。


「僕もそろそろ戻るよ」

「あ、はい」


 大和はスタッフにそう言い残すと自身もホールに戻った。当初外の客達をホールに呼び込む役目を仰せつかったと思っていた大和。しかし古都にまんまとしてやられたと思った。彼女は最初からできるだけ自分で何とかする気でいたのだ。


 演奏中の古都は狙い通りに事を運べたことにしてやったりの笑みを浮かべている。

 大和がホール側の扉を開けたこと、そしてその時に屋外側の扉も開いたこと。この2つが重なったことは偶然でしかなかったが、古都にとっては願っていたことが起こり、そのタイミングでもって自身の美声を外まで轟かせたのだ。最初から大和に客を引っ張ってきてもらうつもりはなかった。あくまで扉を開けてほしいだけだった。

 そして今正に古都の狙いどおり、外にいた客達はホールに集結し始めている。ホールに戻った大和はドリンクカウンターの脇で、ぞろぞろと入ってくるそのオーディエンスを興奮気味に見守っていた。


「こいつら凄げぇな」


 ドリンクカウンターの内側からの本間の呟くような声を大和は確かに耳にした。本間はドリンクを口に運んでいるが、その手に持つのはカクテル瓶だ。大和は営業中なのにと思ったが、気分がいいので笑顔のままその言葉を呑み込んだ。

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