第十三楽曲 第一節

 音合わせを終えて本番のステージに立ったダイヤモンドハーレムのメンバー。薄暗く広がるホールはステージ前をゴッドロックカフェの常連客が占めている。その先は床が目立つ。客の一部は外の空気を吸いに行っているようで、一部はドリンクカウンターの前で休憩をしている。

 ステージ衣装は全員がショートパンツかミニスカートにボディーラインを模るTシャツだ。薄く化粧もしていて各々がその容姿の魅力をいかんなく発揮している。

 大和は年長常連客の河野と一緒にドリンクカウンターの脇に立っていた。ステージ上のメンバーもその2人の姿は捉えている。


「あっ、希ちゃんいる」

「おぉ、間に合った」


 チケットブースとホールの間の重い扉を開けたのは、希のアルバイト先の女子大学生佐藤と、男子大学生鈴木だ。2人の声は希には届かないが、希はドラムセットから出した顔から2人の姿を捉え、思わず口角が上がる。大学生の2人はそのままゴッドロックカフェの常連客の後ろに立った。


 ステージ前の聴衆の後方を眺めて古都は思った。理想とは違う、と。当たり前である。初めてのステージでそんなにうまくいくわけがない。むしろ常連客が固定ファンとして付いてくれているだけでもありがたいものだ。それでも古都は動いた。


『こんにちは。ダイヤモンドハーレムです。今日はよろしくお願いします』


 これは演奏開始の前振りでメンバー間では打ち合わせどおりだ。途端に希がハイハットでカウントを鳴らし、1曲目のイントロが始まった。


 ――うん、うまく合った。


 美和は順調な出だしに安堵した。それは唯も希も同様だ。しかし、イントロからAメロに移行しようかというその時。なんと古都は演奏を止めてギターをステージ床に置いたのだ。

 戸惑う他の3人のメンバー。何かトラブルでも起きたのか? 演奏を止めるべきか? そんなメンバーの様子を知ってか知らずか、古都は背中越しに右手をくいくいと動かした。その手には既にピックが握られていない。希はこれから古都が何をするつもりなのかはわからないが、演奏を続けろという意味だと理解した。

 すると今度はなんと、古都はステージからホールに下りた。しかも入ったばかりのAメロをマイクも通さずに歌っている。


 ――あいつ、地声でなんて声量だ。


 ドラムの希にもほんの微かに聴こえた古都の歌声。驚きながらも希は演奏を続けた。唯と美和は古都の行動に目を見開いており、ステージ上から演奏を止めることなく彼女の姿を追った。

 ドリンクカウンターの脇では大和が口をあんぐりと開けて固まっている。今にも手に持つドリンクを落としてしまいそうだ。


「はっはっは。いきなり何やってんだあいつは。ロックだな」


 大和の片耳になんとか河野の笑い声が聞こえる。ステージを下りた古都はそのまま歌いながらステージ前の客を掻き分ける。古都が横を抜ける時、ゴッドロックカフェの常連客の耳は力強く綺麗に通る古都のハイトーンボイスを捉え、微かに鼓膜を刺激された。それは希のアルバイト先の大学生も同じ感覚だった。


「鈴木君、ライブハウスのライブってこんな感じなの?」

「いや……」


 言葉を失う鈴木と、ライブハウスという場に慣れていない佐藤。2人は、少しだけ人だかりのあったステージ前を抜けた古都を目で追っている。

 ステージ上のメンバーはここまでくると開き直っていた。本番前に緊張していた唯も吹っ切れたようで、どうにでもなれという感じで笑顔を浮かべて演奏をしていた。


 ホールとステージを隔てる手すりを潜って人だかりを抜けた古都は、歌うことを止めず、まずはホール中ほどの壁際で床に座ってドリンクを飲んでいた男3人組の前まで来た。古都を見上げて目を見開く3人の男。しかしノリを駆り立て、微かな刺激を与える歌声が鼓膜を揺らす。


「うおっ」


 声を上げた1人の男は古都に腕を抱えられたことで驚いた。その時に距離が近くなった顔からより強く古都の歌声が聴こえる。轟音のライブハウスのホールの中でどれだけの声量だと言うのだ。男は驚いた。


「うおっ」


 もう1人の男も声を上げた。彼もまた古都から腕を抱えられ、古都の美声と声量に取り込まれていた。余った1人の男はツレ2人の姿を羨む。

 古都は2人の男を引っ張ってゴッドロックカフェの常連客の後ろに移動した。そこで腕を離すと余っていた男もしっかり付いてきていることを確認する。古都はそれが嬉しくてその余っていた男に歌いながら満面の笑みを向ける。


「へへぇ~」


 余っていた男はデレた。

 腕を引かれた2人の男は佐藤と鈴木の隣に位置し、既にステージを向いていて、演奏をする3人の女子たちに向かって腕を振り上げノリ始めた。唖然とした感じがあったゴッドロックカフェの常連客と希のアルバイト先の同僚だが、男たちの姿を見て途端に盛り上がりを見せる。

 その反応にステージ上の3人は思わず口角が上がり、それと同時に気分も上がる。古都は終始いい表情をしており、歌うことを止めない。


 カウンター脇でその様子を見ていた河野はドリンクを片手に、反対側の手を振り上げノリをアピールする。その時に河野と目が合った古都は思わず表情が綻ぶ。

 一方、その河野の隣で大和は未だ唖然とした様子だ。すると、その大和の近くまで古都が来た。一瞬身構えた大和だが、古都の目的は自分ではないとすぐに悟った。

 古都はドリンクカウンターの前で屯する客たちの腕を取っては相手の肩に顔を寄せステージを指差す。鼓膜を刺激する古都の歌声と近づく美貌。それを順々にするものだから、男性客は皆一様にデレっとした表情を見せステージ前まで移動する。

 それが面白くないと思ったのは女性客だが、耳元で歌われた古都の美声に心を掴まれ、そして寄せられた古都の美貌に結局同性までもが落ちた。女性客ですらも古都に従いステージ前まで移動したのだ。


「ちょ、いいのかよ!? あれ!」


 けたたましい音が鳴り響くホールで、ドリンクカウンターの中にいる本間に不満を呈したのは、古都と品のない賭けをした他店のブッキングマネージャーだ。古都はその様子に気づいていないが、大和がそれに気づき苦笑いを浮かべて近寄る。


「本間さん、すいません。お咎めは後で僕がみっちり受けますんで」

「ったく」


 呆れて笑うのは本間で、腕を組んでステージと古都の様子を交互に見守っている。しかし他店のブッキングマネージャーは更に噛みつく。


「なんで大和がお咎め受けるんだよ! お前は関係ないだろ! マナー違反は古都だ!」

「えっと……、高校の先輩だから……?」

「は!?」

「ま、そういうことです」


 よその都市まで来て誰も他人の母校のことなど気にもしないだろうに、そんな言い訳を並べる大和。面倒くさそうなので大和はブッキングマネージャーから離れ、河野の隣に戻った。


「お守りも大変だな」

「本当ですよ」


 河野の言葉に肩を窄める大和。手に持っていた缶ビールを一気に飲み干し喉を潤すと、空き缶をカウンターに返した。


 結局古都はホール中を歩き回り、ステージ前にいなかった客をほぼステージ前に集めた。ステージ前に移動しなかったのは大和と河野と、古都と下品な賭けをした他店のブッキングマネージャーの3人だけだ。


 そして演奏が止み、1曲目が終わった。本来ならば2曲目まで通して演奏する段取りのセットリストを組んでいたが、古都がステージに戻る様子を見せたので、希はそれを待つためカウントを打たなかった。

 美和はその間に自分のギターをスタンドに立て掛けると、ステージ床に寝かされた古都のギターを拾い上げ、チューニングを始めた。


『改めましてこんにちは! ダイヤモンドハーレムです!』


 チューニングのために美和がステージセンターにいるので、ステージに上がった古都は美和のポジションでマイクを通してMCを始める。途端に歓声と拳が上がるオーディエンス。その盛り上がりに幾らかの安堵を示す古都だが、まだまだ満足はしていない。ステージ前に集まったオーディエンスはホールのまだ3分の1程度。もっと、もっとだ。


『2曲目いきます! 聴いて下さい』

『うおー!』


 歓声を耳にして古都は美和からギターを受け取ると、一瞬美和と目を合わせて微笑み合った。


 ――ナイス古都。格好良かったよ。

 ――任せろ!


 アイコンタクトでそんな会話を交わすと古都と美和は立ち位置を戻した。2人のその背中を確認した希は2本のスティックをぶつけて2曲目のカウントを打った。

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