第十二楽曲 第五節
書店でのアルバイトを終えてバックヤードにいるのは希だ。手荷物をまとめていて、帰る準備を進めている。するとそこへ、この日は休みの女子大生のアルバイト店員が勢いよく入って来た。
「じゃーん。買っちゃった」
「あっ、佐藤さん。それ今日発売のCDじゃん」
答えたのはアルバイト店員の男子大学生だ。この日希と同時刻に退勤していた。今バックヤードにいるのは希を入れてこの3人である。
その内今入って来た佐藤と呼ばれた女子大生が手に持っているのは、ビニールに包装されたCDだったのだが、それを取り出して男子大学生に自慢しているのだ。男性歌手の新曲である。佐藤は書店とフロア隣接のCDショップにこの買い物のために来ていた。
「て言うか、ダウンロードで済ませないの?」
「うん。追ってるアーティストのは買う。鈴木君は買わないの?」
「俺はインディーズだけは買ってる」
「へぇ。まぁ、確かにインディーズはダウンロードできなかったりもするからね」
佐藤が納得したように言う。すると思い出したように「あっ」と声を上げた鈴木と呼ばれた男子大学生が、スマートフォンを操作した。
希は2人の言葉にあまり興味を示さず帰り支度を進めているから、軽音楽のアーティストらしからない反応だ。尤も、無口な希はアルバイト先でもそれほど口数は多くなく、自身がバンドを組んでいることすらも話していない。
「最近、いいなってバンド発見したんだよ」
「へぇ。どんな?」
「まだ実態がよくわからなくてさ。路上ライブの映像を見つけただけなんだけど」
「ふーん。見せて」
佐藤は鈴木に顔を寄せ、彼のスマートフォンを覗き込む。そのスマートフォンからバックヤードに弱く演奏の音が響く。すると希の耳がぴくりと反応した。佐藤は鈴木のスマートフォンから目を離さず言葉を続ける。
「ん? ガールズバンド?」
「うん。いい曲歌ってない?」
「うん。いいかも」
その言葉の後に佐藤はふと気になって希を見た。視線に気づいた希は帰り支度を済ませるとそそくさと出口へ向かった。そしてドアに手を掛けると呟くように挨拶をした。
「お疲れ様でした」
「奥武さん! ちょっと待って!」
佐藤からしたら間に合った。希からしたら間に合わなかった。希はドアを開けて体半分、室外へ出たところであった。希は体をそのままに首だけ捻って肩越しに振り返る。
「はい」
希が返事をした時には既に、佐藤は鈴木からスマートフォンを引ったくり希の傍まで来ていた。再生されている動画と希を見比べている。
「うーん、後ろの方だしドラムセットに囲まれてるから顔がわかりにくいけど、これってまさか奥武さん?」
「うそ!?」
反応したのは鈴木だ。希は面倒なことになったと思った。
基本的に練習以外の活動地は県内の政令指定都市。居住地からは1時間近くかかる。軽音楽をやっていることは学校やゴッドロックカフェの常連客にとっては周知の事実だが、希は地元であまり公言していない。尤も、希以外のメンバーがどうのようにしているのを希は知らないが。
「やっぱりそう……だよね……?」
まだ疑っているというニュアンスを含ませるが、佐藤はもう確信していた。動画と希を見比べて鈴木も徐々にその疑念を深めていく。希はこの場を逃げようと咄嗟に浮かんだ言葉を口にした。
「私、高校生なので早く帰らないと」
「それなら鈴木君に車で送ってもらおう」
「は? 俺?」
「うん。それで車の中で話そう。ついでに私も送ってって」
佐藤はなかなか強引な女のようだ。とは言え、希はもっとそのレベルの高い女を知っているし、面倒臭い男は家にいるから然して驚かない。
「佐藤さんここまで歩いて来たの?」
「さっきまで彼氏と一緒にいたんだよ。ここで降ろしてもらって、こっからは歩きだから」
「彼氏いるのに俺の車乗るの? どうせ送るのは奥武さんが先でしょ?」
「そんな細かいこといいから。早く行くよ」
希を無視して話が決まった。希は返事もすることなく結局2人の大学生に付いていき、駐車場に停められた鈴木の乗用車に乗り込む。
「奥武さん、バンドやってるの?」
「はい」
後部座席に座る女子2人。その様子を運転席からルームミラー越しに鈴木が伺う。
「さっきの動画、奥武さ……、て言うか、これからは希ちゃんでいい?」
「呼び方はどういう風でも」
「へへ。さっきの動画は希ちゃんだよね?」
「はい」
希は真っ直ぐ前を見据えてあまり愛想の良くない声で答える。希が視界に捕らえているのは鈴木の後頭部とその先に見える車窓だ。時々希は道順を鈴木に指示するが、それ以外の話題はあまり積極的ではない。それに構わず佐藤は続ける。
「動画は路上ライブだよね? よくやってるの?」
「いえ。夏休みに集中してやっただけです」
「へー。ライブの予定はあるの?」
興味を示して質問攻めをする佐藤だが、そもそもダイヤモンドハーレムの動画を見つけたのはハンドルを握る鈴木で、彼の方が実はより興味を持っている。
「あります」
そう答えてから希は控えているライブを説明した。
「うーん。土曜日はシフト入ってるなぁ。鈴木君って再来週の日曜日空いてる?」
「えっと、確か空いてる」
ルームミラー越しに一瞬視線を向けて答える鈴木。佐藤はスマートフォンに入力したスケジュールを確認している。
「希ちゃん、日曜日のライブ行きたい。鈴木君も一緒にどう?」
「お、いいね。行く」
これは希にとって願ってもない話で、金額の了承を受けると、当日チケットを取り置きしておくと約束した。
そもそもインディーズバンドの発掘に抜かりない鈴木は、この手のライブが好きである。佐藤は小柄な女子高生の同僚がドラマーだと知って興味を持ったのだ。
リハーサルライブの整理券は既に配布が終わってしまったが、今希と一緒にいる2人が希望しているライブはライブハウスに伝えておけばチケットの取り置きができる。それに学友ではないから長勢教諭の条件にも抵触しない。
一方、アルバイトが休みの唯はゴッドロックカフェに顔を出し、この日は早めに帰宅した。すると自宅の玄関から一番近い音楽部屋の照明が点いていることに気づく。唯は玄関を上がるとその扉を開けた。
「あ、唯。おかえり」
「お姉ちゃん、ただいま。ピアノの練習してたの?」
「さっきまでね。もう遅いから演奏は止めて色々整理してたとこ」
本棚の整理をしていた唯の姉、彩は穏やかな笑顔で唯に答えると、手元の作業に戻った。そしてそのまま唯に話しかける。
「来週末のライブ楽しみにしてるね」
「うん。頑張る」
「お父さんと一緒に行くから」
「うん……」
一瞬、表情が曇りそうになったが唯は持ちこたえた。もう1人来てほしい人がいるのだが、意図的なのか予定を入れられ、断られたのだ。
「再来週のライブはごめんね」
「ううん。気にしないで」
デビューライブに関して彩は自身のピアノの予定があり、父は日曜日ながら会社行事と重なったと聞いている。残念ではあるが、唯は理解していた。
「唯のステージ楽しみだなぁ」
そんなことを言いながら作業を済ませた彩は唯に向き直る。我が妹のステージ演奏を見るのが実に久しぶりの彩は、その日を心待ちにしていた。
「大和さんもいるんでしょ?」
「う、うん……」
「ふーん。唯に見初められた男がどんな感じかこの目でしっかり見てやろう」
「あわわわわ」
彩がそんなことを言うものだから唯は顔を真っ赤にして狼狽えた。そんな唯を彩はクスクス笑いながら見た。
「お父さんには内緒にしておくから安心して」
「う、うん。ありがとう」
そうして2人は音楽部屋を出ると、各々の自室に入った。
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