第十二楽曲 第三節
オーディエンスの歓声が上がった。ドリンクカウンターの脇にいた大和は開演時間だと気づきステージを向く。ステージでは袖から1組目の出演バンドが流れてきた。
この日のライブは全5組出演の対バンライブ。大和が目ぼしいと思ったバンドは4組目とトリの5組目の出演だ。アマチュアバンドにも関わらずホールは見事に観客で埋まっている。
「おぉぉぉ! 大和さん、行って来る」
大和の隣で古都が興奮を抑えられない。古都が言うのはステージ前まで行って来るという意味だ。客は多いものの、まだステージ前に群がっている印象はない。大和は古都の意図を理解して答えた。
「僕が注目してるのは4組目とトリだから最初から飛ばし過ぎないようにね」
「うん。じゃぁ、3組目だけここで休憩する」
そう言うと古都は人混みを掻き分けて意気揚々とステージ前まで進んで行った。
「ん? 美和もかよ」
大和がその言葉を発した時には既に美和も古都の背中を追って進んでいた。その時大和の目に一瞬映った美和の目は輝いていた。やっぱりこの場が好きなのだなと思う。ドリンクカウンターの脇に残ったのは大和と唯と希である。
やがて演奏が始まると、人が多いのでそれなりに盛り上がってはいると思う大和。しかしトリのバンドを目当てに来たオーディエンスが多数であろうし、ついでと言った感じで1組目を見ている印象を抱いていた。
唯と希は何か盗めるものがあればとしっかりステージに目を向けていた。女子なのでそれほど背は高くなく、オーディエンスの頭で見づらいのは残念だ。それでも先程まで怯えた様子も見せていた唯だから、始まってしまえば真剣な今の唯の表情に大和は感心する。
「どう?」
大和は唯の耳に口を寄せて大声で問い掛ける。唯はなんとか大和の言葉を拾って、その大和を見た。そして大和と同じように口を耳に寄せて答える。
「凄く上手です」
短い言葉の感想ではあるが、何か感じるところはあるのだろうと大和は思った。大和は希にも耳元で大声を出して問い掛ける。
「どう?」
「よく見えないけど、聴こえる分には色々参考になる。はむ」
大和はぞくっとして缶ビールを落としそうになった。大和と同様に耳元に口を寄せて答えた希の唇が自分の耳に触れたのだ。尤も、これをチャンスとばかりに希はわざと唇の先で大和の耳を噛んだのだが。そんな希の思惑は知る由もない大和だが、次からは演奏が止まってから話し掛けようと思った。動揺して心臓がもたない。
程なくして1組目のバンドが持ち時間の30分を使いステージから下りた。古都と美和が戻って来る様子はない。大和は飲み終わって手にしていた空き缶をカウンターに返す。すると背後から声を掛けられた。
「あの……、元クラソニの大和さん……ですか?」
そこには20歳くらいの青年が立っていた。大和はどこかで見たことがある顔だと思う。
「はい、そうですけど」
「うわっ! 俺、めっちゃファンなんです。握手してもらってもいいですか?」
差し出されたその手を大和は握るが、相手が誰なのかまだ今一掴めない。唯と希はその様子を見守っていた。すると手を離した青年は自己紹介を始めた。
「自分、今日4組目のメガパンクのベースのカズです。初めまして」
「あぁ、出演者か。頑張って」
大和の労いに「はい」と元気よく答えるカズは大和と会ったことで目を輝かせている。大和は注目していた4組のバンドのメンバーなので見覚えがあるのだと納得した。リサーチの時に彼らのバンド、メガパンクのホームページで見ていたのだ。
ただリサーチと言っても、ホームページの情報とネットの書き込み情報くらいしか大和は持ち合わせていない。実際にどんな曲を
「今日は知り合いのバンドのステージか何かですか?」
「いや。ふらっと来ただけかな」
大和はカズの質問に愛想笑いを浮かべて答える。楽曲も知らずに注目しているバンドだなんて言うのは失礼だと思ったのだ。
「何組目までいます?」
「最後まではいるつもりだよ」
「やった。じゃぁ俺らのも観てもらえるんですね?」
「うん」
よほど大和に見てもらえるのが嬉しそうなカズ。クラウディソニック時代を知る古都と美和はステージ前に行っているので、この場にいる唯と希はクラウディソニックがそれほど有名なバンドだったのかとしみじみ思った。
この後もカズは大和の傍を離れず、しきりに話し掛けた。それは2組目のバンドが終わって、3組目が始まり古都と美和が戻ってきてからも同様だった。
やっと離れたのは3組目の最後の曲が始まる時で、むしろメガパンクの出番を控えてこのタイミングで控え室に戻るカズは遅いくらいだ。悪い印象を抱いたわけではないが、あまりの信望ぶりに大和はどっと疲れた。それを感じた時に3組目のステージは終わった。
「凄かったね。誰だったの?」
古都が大和に身を寄せて問い掛ける。その古都はうっすら額に汗を浮かべていて、2組目まではしゃいでいた時の汗がまだ乾いていないようだ。
「次のバンドのベースのメンバーだって」
「ふーん。大和さんが注目してる?」
「うん。けど、曲を聴くのも初めてなんだよね」
「そっかぁ。いいバンドだといいね」
古都がにんまりと笑ってカウンターの中に追加のドリンクを注文する。しかしこの女、財布は預けた荷物の中である。貴重品は預からないと言われていたにも関わらず、ギターも貴重品だと思い張って黙ってギグバックのポケットに入れていた。
「ったく」
大和は古都の視線を感じて札をカウンターに置いた。古都だけに奢るのも不公平なので女子全員の追加ドリンクを注文したのだ。
「4組目は前に行かないのか?」
「こっちでじっくり見てる。大和さんの注目で大和さんに絡んだ人がいるバンドだから」
古都は予定を変更して、次のメガパンクは後方から見るようだ。他の3人の女子達もこの場を動こうとはしない。
そして女子達がちびちびとドリンクを口に運んでいると、4組目のバンド、メガパンクがステージ上がり演奏が始まった。
「ほう、いいじゃん」
標準的な声量で感嘆の声を上げる大和だが、ホールに響くステージ上からの轟音でその声は誰の耳にも届いていない。
ステージに上がったメガパンクは全員男のバンドであるが、曲調はダイヤモンドハーレムを思わせる。ポップなメロディーにハードなアレンジをしている。彼らの女子版がダイヤモンドハーレムだと言った感じだが、彼らの方が曲調はよりヘビーである。
メンバー構成はボーカル、ツインギター、ベース、ドラムの5人組だ。ボーカルの音域は広く、各パートの演奏技術も申し分ない。彼ら目当てのオーディエンスの盛り上がりようは凄まじい。
大和はこの日一番の真剣な表情でステージを見ていた。そしてメガパンクは持ち時間の30分を終えてステージを下りた。
「凄かったね」
人が捌けたステージから目を離さず古都が大和に言う。古都にもメガパンクの凄さは伝わったようだ。
「美和、前行こう?」
「うん」
古都は美和を促すとその場を離れた。大和は唯と希に向く。
「2人はどうする? 最後くらい前行く? って言っても今からじゃ中間地点くらいまでしか行けないけど」
大和がホールに向き直ると古都と美和の頭を視界に捉えたのだが、2人はトリのバンドのファンに前方を確保されてしまって、ホールの中央付近で立ち止まっていた。その位置で観るようだ。
「のんちゃん、どうしようか?」
「最後だし行ってみよう」
「うん」
唯は恐る恐るであったが、希の手を握って一緒にホールを進み、人混みを掻き分け、古都と美和のもとまで行った。
「どうでした?」
すると大和は男から声を掛けられる。その方向に振り向くとそこにはステージを終えたばかりのカズが立っていた。
「お疲れ様」
まずは労って大和はドリンクカウンターでカズに1杯差し入れた。
「ありがとうございます」
そして大和が好意的な印象を伝えるとカズの喜びようは凄まじく、この後もカズはトリのバンドが終わるまで大和の傍を離れることはなかった。
一方、トリのバンドに大和はそれほど大した印象は受けなかった。上手いとは思ったし、ノリのいい曲を歌うのでライブバンドとして人気があるのは納得するものの、それだけだった。
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