第十一楽曲 第六節

 朝から外行きの服装に着替えてハイエースを運転する大和。気怠そうな態度を隠さない。助手席にはこの夏大和の部屋に居候をしている杏里が乗っている。


「あのさ、自分で誘えばいいじゃん」

「そんなことできたら苦労しないわよ」

「て言うか、いい加減気持ち伝えなよ」

「バ、バカ。できるわけないじゃん、そんなこと」


 普段の強気な態度からは想像できないほどしおらしい表情で顔を赤くする杏里。しっかりと化粧を施したその頬を、チークがその役割を果たさないほど紅潮させた。


「じゃぁ、僕から言ってあげるから」

「やめて! そんなことした大和を殺す」

「あのさ、定休日でダイヤモンドハーレムもオフの日曜日に、朝から起こされる僕の身にもなってみろよ」

「それは……、あたしを助けると思って」


 一度ため息を吐いた大和は、視線は前方から外さずしっかりハンドルを握っている。

 そもそも適当なジャージで部屋を出ようとした大和だが、杏里からそれを咎められ、クローゼットを引っ掻き回され、今こんな格好だ。服を選ぶのが面倒だと感じる大和にとってはその憂鬱な朝の時間を経ている。


「まったく。8月は路上ライブもあって寝不足なのに」

「お願ぁい、大和。今度ご飯奢るから」

「女でしかも学生に奢ってもらう趣味はないよ」

「そんなこと言わないでさ」


 甘い声で両手を合わせる杏里は、運転のため自分に振り向かない大和の横顔を拝むようだ。Ⅴネックのシャツから覗かせる大和の鎖骨から視線を落とすと、ダーク色のカラーパンツが視界に入る。この日大和は短い髪もしっかりとセットしてあるのだが、これも杏里からの指示だ。


「店ではあんなに普通にしゃべれるんだから、そのノリでいけばいいじゃん」

「だってぇ、店だと他にもお客さんいるから2人きりじゃなくて話しやすいんだもん」

「杏里が意中の相手に対してはそんなにシャイだなんてな……」

「えへへ。可愛いもんでしょ?」


 茶目っ気たっぷりな杏里は大和に普段の営業中の装いとはギャップを感じていて、我が従兄ながら異性として好感が持てると思う。仕事中でもこれほどの格好をすればいいのにとも思うが、女子高生が寄り付くようになるまではむさ苦しい男性客しか常連がいなかったのだから、仕方がないかとも納得する。


 やがて目的地に到着した大和はシフトレバーをパーキングに入れた。


「はぁ……。着いたよ」

「ありがとう。大和。じゃ、よろしく」

「は?」

「ん? 呼んで来てよ」

「……」


 一瞬杏里にジト目を向けて黙り込んだ大和だが、満面の笑みを向ける杏里を見て何を言っても力いっぱいの「無理」が返ってくると悟った。恥ずかしがり屋の女子と言えば聞こえはいいが、これが男ならただのヘタレだ。

 大和は渋々ポケットからスマートフォンを取り出した。車内で目的地の一軒家を見上げながら電話のコール音を聞く。呼びに行くことはせず、文明の産物の登場である。


「着いたよ」

『おう、今行く』


 電話の相手はそれだけ言って即通話を切った。スマートフォンを脇に置くとハンドルに両手を掛け、体重を預けた大和。その様子を心弾ませて見守る杏里。そしてやがて目的の人物が現れた。


「おっす。お待たせ」

「おはよう」


 ハイエースの後部座席のスライドドアを開けて車内に入ってきたのは響輝だ。ファッション柄のGパンに無地のシャツを着ている。


「響輝、おはよう」


 続いて助手席の杏里も挨拶を返すが、助手席側から乗り込んだ響輝を見る杏里は大和より首を捻っている。体も捻って後部座席に向ける杏里はさっきまでのデレデレした表情はなく、いつもの凛とした態度である。


「今日は急にどうしたんだ?」


 大和がハイエースを発進させると前列に座る2人に問い掛ける響輝。大和がいきなり杏里から叩き起こされて連れ出されたことと同様に、響輝もこの日の朝いきなり連絡を受け、出掛けると誘いを受けたのだ。尤も、杏里が大和に命令をし、響輝に連絡をさせたのだが。

 大型ダンプがスピードを上げて大和のハイエースを追い越すのを脇に確認しながら大和は響輝の質問に答えた。


「杏里が響輝とデートをしたいって言う――」

「あぁぁぁぁぁ!」


 大きな声を出して大和の声を遮る杏里だが、そもそも大型ダンプの通過音で大和の声は後部座席の響輝に届いていなかった。それを知らない杏里が後部座席に体を捻って取り繕う。


「いやさ、買い物と遊びに行きたいなぁってずっと思ってたんだよ。それでせっかくだから大和と響輝も一緒にどうかなって」

「ふーん。ま、暇だったから全然いいけど」


 先に出した杏里の大声だけはしっかりと認識していた響輝。頭に疑問符が一瞬浮かんだが、特に気にすることもなく杏里の回答を受け入れた。

 杏里は体を正面に戻すと少し俯いてはにかむ。大和は横目にその様子を捉え、やれやれと思った。すると響輝が話題を転換した。


「そう言えばこないだ路上ライブでトラブったんだって?」

「あぁ、うん」


 思い出して少し大和が気落ちする。しかしそれを声色には出さなかったので、響輝はその様子に気づかない。杏里もこの話題に少し表情を曇らせる。

 警察沙汰にはならなかったものの、メンバーが暴力を受け、それに対して自分が助けてやれなかったことを悔いている大和。その日以降は仮眠を取ることもせず、しっかりとメンバーの演奏を見守っている。しかし心配を掛けたくないので、なるべく平静を装って響輝に対応をしている。


「大丈夫だったのか?」

「うん、通り掛かった人が助けてくれたみたいで」

「ん? 通行人?」

「そう。背の高い人で、希にドラムのうんちくを語ったって言ってたな」


 それを聞いて一度腕を組んで考え込む響輝。大和と杏里は響輝のその様子に気づかない。


「その時ってどこでってたんだ?」

「刹那広場」


 その場所を聞いて眉をぴくりと上げた響輝。場所と風貌から一人の男が思い浮かぶ。しかし確信はない。そこへ大和の声が入ったので響輝はすっきりしないながらも憶測を止めた。


「常連さんには内緒にしてな」

「あぁ、そうだな。心配するしな」


 響輝は大和に同調した。


 路上ライブでトラブルが起きた日はゴッドロックカフェに戻るなり希と唯の手首に湿布を貼った大和。それを杏里が見て驚き、そして心配した。事情を聞いた杏里は自分が路上ライブの予定を組んだことに責任を感じ、少し取り乱した。そして昨日の営業中、響輝だけに漏らしてしまったのだ。

 もちろん大和もメンバーも杏里が責任を感じる必要はないと思っている。そもそもの発端は学校でのトラブルだったのだから。それにメンバーはこの夏、路上ライブを止める意思はなく、トラブル後も精力的に続けている。


 すると再び響輝が話題を転換した。


「そう言えばずっと気になってたんだけど、杏里はなんで大和の部屋に居候してんだ?」

「え? あぁ、えっと……」


 いきなりの質問に慌てる杏里。響輝は実家暮らしの杏里が家の中で何か居づらい理由でもあるのかと勘ぐっている。響輝も実家暮らしだ。少しは話が聞けるのではないかと思っている。杏里との付き合いはもう長くて濃い。他の人物相手ならそんなことを勘ぐってもなかなか聞けない響輝だが、相手が杏里なので遠慮がない。


「ただ酒!」

「は!?」


 思い付きで声を張った杏里の発言が予想外で思わず声を上げる響輝。先ほどまで呆れていた大和もこれにはとうとう笑い出し、しかし響輝に気づかれないよう声を押し殺していた。


「店の手伝いをするとさ、大和がただでお酒飲ませてくれるから。店を手伝うなら大和の部屋で生活をするのが便利だし。ダイヤモンドハーレムの路上ライブもあるから」

「ふーん、なるほどな」


 これに納得したのは響輝だが、杏里のこの言葉は嘘である。

 杏里は響輝に惚れている。それこそクラウディソニックを手伝っていた高校生の時から。しかしバンドが解散してしまい、響輝と一緒にいられる時間が減ってしまったので、響輝が行きつけにしているゴッドロックカフェに来たのだ。そして夏だけと親から承諾をもらい、従兄である大和の部屋に住み着いている。

 大和も杏里の魂胆は知っているのだが、尤もそれに気づいたのはこの日朝から叩き起こされて、響輝を誘い出すことに協力させられたことがきっかけだ。つまり元々杏里が響輝に惚れているのは知っていたので、居候をする杏里の魂胆に辻褄が合ったわけだ。

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