第十一楽曲 第五節

 焦りながらも必死で頭を働かせて考える美和。しかしこの場を収める妙案が浮かばない。すると美和の耳に風切り音と、その直後に鈍い打撃音が届いた。


「ぐほっ……」


 美和に絡んでいた金髪の男が悶絶しながら脇腹を押さえ地面に膝を付く。美和は慌てて顔を上げた。そこには初めて見る長身の男が立っていた。

 Tシャツを着ているその男は一見長身以外は標準的な体系に見える。しかしそれでも胸や腕の筋肉が発達していることがわかる。着ているTシャツはスタッフTシャツのようで、背中に『AQUA EDEN』とロゴが書かれていた。


「大丈夫か?」


 冷静ながらもそれとは裏腹に未だ震えが止まっていなかった美和は言葉を発することができず、ぶんぶんと首を縦に振るだけだ。すると長身の男は唯の方に向かって行った。一方、長身の男の背中のロゴを見た時から、途端に真っ青になっていたサングラスの男。サングラスの男は希の手をすかさず離した。


「こいつはやべーって、行こう」

「おう」


 同調したのは唯の腕を掴んでいた長髪の男だ。腕を解放された唯と希は途端に腕に痛みを感じる。かなり強い力で握られていたようだ。取り巻きの男が怯えた様子を見せるので怪訝な顔で詰め寄るのはリーダー格の女だ。


「ちょ、何? どうしたの?」

「やべーんだよ。さっさと――うぐっ……」


 足早にこの場を去ろうとした長髪の男だが、現れた長身の男にその長い髪を掴まれ、金髪の男同様脇腹に拳を入れられた。そして悶絶して地面に膝を付く。それを唖然として見守るダイヤモンドハーレムのメンバー。暴力的ではあるが、間違いなく助けられている。

 焦ったのはサングラスの男だ。次は自分だと強張った瞬間、長身の男は凄いスピードでサングラスの男に詰め寄った。サングラスの男はそれを認識した瞬間、下顎に拳を入れられてしまい、痛みを認識することなく失神した。


「本当は女には手を上げない主義なんだけどな。ま、これは制裁ってことで」


 そう言いながらサングラスの男から血気盛んな女に向いた長身の男。血気盛んな女はまさかと思った。その瞬間、乾いた音が二発。それに合わせて血気盛んな女の顔が横に弾けた。見事なビンタである。

 そして動きが早すぎて自らも平手打ちを食らったことに未だ信じられない様子の温厚そうだった女。2人とも頬を手で押さえている。


「ビンタの分と髪を引っ張った分な。女の顔と髪は攻撃しちゃダメだろ。お前らも女なんだからわかるだろ、それくらい」


 平手を食らってショックが隠せない血気盛んな女と温厚そうだった女。突っ掛かったところで勝てるとも思っておらず、頬を押さえたまま呆然としている。


「うぅ……」


 すると最初に脇腹を殴られた金髪の男が立ち上がった。その怯えた目から戦意がないことは明らかだ。その男が立ち上がったことを確認して長身の男が言う。


「さっさと伸びてる奴ら片付けてズラかれや」

「は、はい。すいません」

「ちょ、何なのよ? あんた」


 そこに口を挟んだのはリーダー格の女だ。しかしすかさず金髪の男が女を制する。


「ばか、もうやめろって」

「は? ちょ……」


 リーダー格の女は金髪の男に腕を引かれ古都と希の前から離される。金髪の男はリーダー格の女の腕を離すと、唯の前にいた長髪の男の腕を掴み立ち上がらせた。唯はその様子を一歩引き怯えた様子で見ている。

 金髪の男は立ち上がった長髪の男と共に希の前に戻ってくると伸びているサングラスの男の両肩を抱えてなんとかその場から立ち去った。そして置いていかれた希の元クラスメイト達。この状況が自分達の利益になるとは思えず、彼女達もまた足早にその場を立ち去った。


「あ、あの……」


 古都が遠慮がちに長身の男に声を掛ける。少し離れた通りでは野次馬が数名こちらを見ていた。これが演奏に興味を持って立ち止まってくれたのならどれだけ良かったことか。そんなことを思いながらも古都は長身の男に言った。


「助けてくれてありがとうございます」

「ん? あぁ、気にするな」


 立ち去る輩共を見送りながら短く言葉を返す長身の男。そこへビラを手にしたままの美和が寄って来た。


「えっと、私達を指導してくれてるプロデューサーにも報告してお礼をお伝えしたいので、お名前聞いてもいいですか?」

「プロデューサー……。それでここんとこの辺りにいたのか……」

「え? ごめんなさい。聞こえなかったので、もう一度お願いします」


 ボソボソっと呟くように言ったのは男の独り言で、それは美和にもすぐ近くにいる古都と希にも聞き取れてはいなかった。


「あ、いや。そうだ、嬢ちゃん」


 男は美和の質問に答えることなく希を向いた。自分に話を振られると思っていなかった希は肩に力が入る。ただ「嬢ちゃん」と呼ばれたのは童顔と小柄のせいかと少しだけムカッとした。しかし助けてもらった手前、そんな態度は表せない。


「体幹鍛えた方がいいぞ。リズムはズレないけど、キックが弱いのは勿体無いし、ハイハットからライドに移行する時、距離があるからその小さな体だと1拍目に挟むクラッシュが弱いんだ。あと、嬢ちゃん達がやってるハードな曲調だとツインペダルも試すといい。けどそのためにはやっぱり体幹鍛えた方が――」

「あの!」


 希が男の言葉を遮った。男ははっとなってつい熱くなって語ってしまったと頭を掻いた。希はその助言が的確であるとは感じている。自覚もあった。しかし今トラブルから助けてもらったとは言え、演奏にまで口を出すのは踏み込みすぎではないかと思う。それを咎めようとした。……のだが、それを察して男は希が言葉を繋ぐ前に言う。


「すまん。調子に乗って言い過ぎた」


 男が踵を返したので、美和が慌てた。


「あの、お名前……」

「頑張れよ、少女達」


 男は背中向きに手を振ってこの場を離れてしまった。それを呆然と見送るメンバー。とにかく助かった。こちらを見ていた野次馬も徐々に捌けていく。


「誰だったんだろ……」


 古都が男の背中を見送りながら呟く。どこかで見たことがあるような気もするのだが、今一思い出せない。それは美和も同様で、その美和が男の背中を見送りながら言う。


「音楽詳しそうだったよね」

「詳しいってもんじゃない」


 その声に古都と美和は希を向いた。希も男の背中を見送っている。


「間違いなくドラマーだよ。現役かどうかはわからないけど」


 希のその意見に納得する古都と美和。そして長身の男の背中は見えなくなってしまった。


 完全に気持ちが落ちてしまったメンバーはこの後なかなか演奏に取り掛かれないでいた。もうダイヤモンドハーレムの演奏に興味を示して足を止める聴衆もいない。これは演奏を再開する前から感じてしまっていた。トラブルが起きてしまったことが心底勿体無いとメンバーは落胆する。


「おーい。大丈夫かー?」


 そこへ駆け寄って来たのは大和だ。唯以外のメンバーが長身の男と話している時に、唯が大和に電話をかけこの場の状況を話していたのだ。それを聞いて大和は慌てて地下のコインパークから駆けつけたのである。


「あ、うん。なんとか」


 美和が答えると状況を大和に説明した。すると安心したように体の力が抜ける大和。それでも暴力を受けたメンバーに対してはまだ心配の念が残る。


「良かったぁ……。誰だったんだろうな、その助けてくれた人」

「えっとね、黒のスタッフTシャツっぽいの着てた」

「スタッフTシャツ? どこの?」

「えっと……」


 発言はしたものの言葉に詰まる古都。先程までの落ち着かない状況で目にしたロゴの記憶がすでに薄れていた。それは他のメンバー3人も同様で、小首を傾げる。他のメンバーは長身の男が着ていたTシャツがスタッフTシャツだったのだという認識ももうない。


「ごめん、思い出せないや」

「なんだよ……」

「だって、背中だったし。それにそこまでしっかりロゴを読んだわけでもないし」


 眉尻を下げて苦笑いを浮かべる古都。あまり手がかりがない長身の男。しかしこの場にいる全員が感謝をした。

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