第十楽曲 第五節
「ばっかじゃないの!」
ゴッドロックカフェのホールに響くのは珍しくも美和の怒鳴り声だ。ブッキングの依頼を終えて練習のために集まったメンバー。怒鳴られた古都は苦笑いを浮かべている。
「だってぇ、悔しかったんだもん」
「はぁ……」
溜息を吐く美和。唯はやっぱりこうなるかと苦い顔をしていた。大和は頭を抱えていて声が出ない。話題は古都がライブハウスでナンパな男と交わした話だ。すると希が言った。
「古都、よく言った。グッジョブ」
「えへへ」
途端に得意げな顔に変わる古都。希が古都に同調すると思っていなかった他の3人は更に頭を抱えた。そんな中、唯が美和を宥めようとする。
「まぁ、まぁ、美和ちゃん。落ち着いて」
「他のメンバーまでその下品な賭けの対象にしなかったのは良かったけど、自分で責任取ってよ」
呆れながら文句を言う美和に「もちろん」と言葉を返す古都だが、その後余計な一言を足すのが
「まぁ、もしもっと条件が厳しかったらメンバーも差し出してかも」
「っ――」
「まぁ、まぁ、美和ちゃん。今のはさすがに冗談だから落ち着いて」
ギロッと古都を睨んだ美和を見て、彼女が言葉を発する前に美和を宥めにかかった唯。けどここで話が終わらないのがダイヤモンドハーレムである。
「私はその勝負に乗っても良かったけど」
これは希の言葉である。大和は絶対に勝には聞かせることが出来ない発言だなと背中が冷たくなった。
そんな喧騒から始まったこの日の練習は滞りなく進み、開店するといつものとおり和気藹々とした雰囲気の中、メンバーは常連客達と過ごした。
そして22時になり勝の自家用車に乗ってメンバーが帰宅すると徐々に常連客達が会計を始め捌けていく。真っ直ぐ帰宅する者もいれば、はしご先の店に行く者など様々だ。
23時を過ぎ、営業時間が1時間を切ったところで店に残っている客は響輝と河野だけとなった。
「しっかし、古都ってぶっ飛んでんな」
「まったくだ」
グラスを片手に大和に話し掛ける響輝は楽しそうだ。また、それに同調した河野も楽しそうである。話題はもちろん古都が昼間にしでかした下品な賭けだ。
「それ、他のお客さんには絶対言うなよ」
念を押して口止めする大和。メンバーには練習後すぐに客に対して口止めをしていた大和だが、この時間になり、客が響輝と河野だけになって結局自身は話しているのだ。
「わかってるって」
「まぁ、山田や田中が知ったらどんな行動に出るか」
「本当ですよ……。相手のライブハウスに乗り込みかねないですよ……」
河野がウィスキーのロックグラスを傾ける様を見ながら愚痴を零す大和。
「いや、あの2人ならその前に俺にヤラせろって言いそうじゃねぇ?」
「はっはっは。それもあるかもな」
「やめて下さいよ。そんな交際してたらうちにまで飛び火して営業停止ですって」
どっと疲れた様子を隠さず大和がぼやく。
「まぁ、じいさんの代から世話になってんだ。よっぽど店に迷惑はかけんだろうから、あるとしたらやっぱり乗り込む方か」
河野のフォローに大和は胸を撫で下ろす。そして一つ息を吐くと手元のカクテルを口に運んだ。
カランカラン
「いらっしゃい。すいません、12時には
入ってきた人物を見て大和の言葉が消えた。大和は驚いて目を見開いている。
「やっほ、大和」
入店してきたのは20歳くらいの若い女で、デニムのパンツにダーク色のシャツを着ていて、肩甲骨ほどの長さの茶髪を背中に真っ直ぐ下ろしている。かなり美人だ。女は大和と親しそうな様子を見せる。
「杏里じゃん!」
「おう、杏里か」
反応したのは響輝と河野だ。
「カシオレ」
「未成年……いや、こないだ誕生日来たか」
大和は面倒くさい奴が来たなと思ったので、未成年を取り上げて逃れようかと思ったのだが思い直し、杏里が注文したカシスオレンジを作り始めた。その大和の様子に杏里はクスクすと笑ってから、響輝と河野に向いた。
「響輝、河野さん、久しぶり」
「久しぶり。元気してたか?」
「うん。昨日、大学のテストが終わってさっきまで大学近くで飲んでたんだけど、タルいから抜けて来ちゃった」
大学2年の杏里は県内都市部にある大学に通っている。家はゴッドロックカフェがある備糸市内にあり実家住まいだ。昨年は大和と響輝が組んでいたクラウディソニックの手伝いをよくやっていて、ゴッドロックカフェにも時々顔を出していたので響輝と河野とも親しい。クラウディソニックが解散してからは初めての来店である。
「抜けて来たってこの時間に帰って来たのか?」
「うん。本当は向こうの友達の家に泊まるつもりだったんだけど、まぁいいかなって」
そう言う杏里は確かにそれなりの荷物を持っている。その大きなバッグには泊まりに必須な着替えなどが入っている。そもそも杏里の大学近くと言うと、ここから40~50分ほど掛かるのでこの時間に帰って来たと言う杏里に響輝は少し驚いたのだ。
「じいさんの葬式以来か?」
「そうだね。河野さんもこんな時間まで飲んでて元気そう」
屈託なく笑う杏里はその表情から嫌味を感じさせない。河野は孫を見るような嬉しそうな顔をしてウィスキーを口に運んだ。
「はいよ、カシオレ」
「サンキュ」
杏里が大和からグラスを受け取ると4人はグラスを合わせて乾杯をした。
この後は杏里の近況の話などで盛り上がったわけだが、0時になると河野が帰ろうとしたので、響輝もそれ以上店に残ることはせず、河野と一緒に店を出た。
「助かるよ」
「いえいえ」
閉店作業を買って出るのは杏里で、大和は素直に礼を口にした。カウンターの中で2人は作業を進めながら、唐突に杏里が言う。
「今日さ、家に帰るつもりがないの」
「げ……」
「げ……って何よ?」
「いや。それで?」
「泊まってっていい?」
「……」
大和はやはりかと思った。大学近くの友人宅での泊まりの予定を流してそれなりの荷物で来たのだから、ある程度の予感はしていた。こんなのはもう慣れたもので、クラウディソニック活動時代から、夜遅くなると当時実家住まいだった大学生の大和の家に、当時高校生の杏里はよく泊まったものだ。
「最初からそのつもりだっただろ?」
「そりゃね」
おどけて言う杏里は開き直っている。閉店作業を手伝っている彼女の手際は良く、慣れているようだ。そして杏里は言葉を続ける。
「大和がおじいちゃんから引き継いでから2階に上がったことないし」
「何にも変わってないよ」
「家具とかは大和の荷物になってるでしょ?」
「そりゃ、まぁ」
作業のために髪を後頭部でまとめた杏里はこめかみから伸びた髪が頬に真っ直ぐに下りている。前髪は縦にすいていて笑うと幼さをも感じる。杏里はその無邪気な笑顔を大和に振りまいて楽しそうだ。
「へへん、お泊り会。久しぶりに一緒に寝よう?」
「布団敷いてやるからそっちで寝ろよ」
「つれないなぁ」
杏里は不満を口にするが、その様子は楽しげなので心からの不満は感じられない。
「さっき響輝と河野さんが言ってたけど、ガールズバンドの面倒見てるんだって?」
「うん、そう。うちの高校の後輩」
「へぇ。どう?」
「いや、それがさ。初心者なのに期待大なんだよ。みんな妹みたいで可愛いし」
「ふーん。大和がそんなに楽しそうに話をするなんてね」
そんなことを言われて照れてしまった大和は誤魔化すように大げさに作業の手を動かした。そして杏里に目を向けずに聞いた。
「意外か?」
「意外。そんな打診でも来た日には、面倒くさそうに不満垂れそうじゃん?」
「……」
図星である。当初は面倒くさいとしか思っておらず、消極的だった。それがまずは店の雰囲気をいい意味で変えられたことから前向きになり、いざ始まってみれば大和も張り切っている。こんなにも自分のモチベーションが変化するものなのかと不思議に思っているほどだ。
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